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-281- 第20章 最後の対決 (12) |
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(この男、かなりの手練だ) 五十嵐は、相手の迷彩服の技をそう評価した。決して見くびってはいなかった。昔とった杵柄で、剣道五段の腕にリアルの能力が重なれば、たやすく撃退できると考えていたことは否定できない。 「やってくれるな」曽我部は唇を舐めた。この男の癖らしい。「さあ来いよ。もっと楽しませてくれ」 《ほう──早朝から剣術の稽古ですか。精が出ますな》 ふいに拡声器の声が割って入った。 張りつめた空気が一転、WIBAのビル街に引きずられた。 「目だ!」 誰かが叫んだ。全員の目がWIBAに向く。 入口ゲートの左右に二本のポールが立てられてあり、五メートルほどの高さに大型液晶掲示板が設置されている。いまそのふたつの画面に灯が入り、巨大な目が各々ひとつずつ、画面一杯のサイズで表示されていた。 拡声器から流れた声の主は、まぎれもなく真佐吉だったことからして、この目が彼のものであることを疑う者はいなかった。 《どうぞ、遠慮なく続けてくれたまえ》 真佐吉の声は、まるで居間でくつろぎながらテレビ観戦でもしているような、およそ殺伐とした空気にそぐわない、人を食ったものだった。 橋の上の人々も、WIBA側にいるリアルキラーズも、それぞれざわめき立った。 静かなのは、五十嵐と曽我部のふたりだけだった。 《私は五十嵐さんが勝つほうに賭けよう》 人々はさらに騒然とした。 真佐吉はこの勝負を最初から見ていたのだ。 「気にするなよ。足許をすくわれるぞ」 曽我部が余裕ありげに注意すると、 「気にしとらん」 五十嵐も切り返す。 と、曽我部が動いた。 真っ直ぐ五十嵐に向かって接近してくる。 その手からナイフが放たれた。ひとつは真正面から、もうひとつは山なりに放物線を描いて。 五十嵐はひとつめのナイフは難なく叩き落とした。しかし二本目が降ってくることに気をとられた瞬間、曽我部の姿を見失った。 (やられた。卑怯な!) 五十嵐は全神経を動員して、相手の位置をまさぐった。 左斜め前、欄干のたもとに殺気を感じた。急いでサーベルを傾けた瞬間、ライトの照射圏外から放たれたナイフが五十嵐の頬をかすめた。ぶわっと全身に汗が噴き出す。 だがそれが囮だったと知ったとき、五十嵐は脇腹に冷たい衝撃を感じた。 (斬られた!) それでもサーベルを斜め後方に振り下ろすと、衝撃は五十嵐に致命傷を与える前に飛び去った。 両者は離れた。 五十嵐は脇腹に手をやった。べとついた血が指先に触れた。服の上からでは傷の程度が判らなかったが、五十嵐は傷口から闘気が抜けていくような気がして、思わず膝をついた。 背後の人々が「ああっ」と叫ぶのが聞こえた。 「これもかわすのか」曽我部は吐き捨てるように言った。彼も肩で息をしている。「つくづくリアルってのは厄介な存在だな」 「閣下、しっかり!」 「将軍、がんばれ!」 突如声援が沸き起こった。足踏みする音が橋を打ち鳴らす。レポーターの熱のこもった実況中継も、より大きな声で聞こえてきた。 「将軍さんよ」曽我部がまた口を開いた。「アンタ、お孫さんに付き添わなくていいのか?」 五十嵐の耳は、何も聞こえなくなった。曽我部の声以外は。 「今日が手術の日なんだってな。よく知ってるだろ?」 「──な、なぜ」 「言ったじゃないか。リアルのことは調べ上げてあるって。五十嵐さん、アンタの素性や略歴、住んでるところに家族構成なんかな。お孫さんの名前、寛之君っていったかな。今は東京大田区の川崎総合病院に入院中の」 「孫の名を口にするな!」 五十嵐は怒りに全身の毛を逆立てたが、曽我部は続ける。 「駅で暴漢に襲われ、そのまま入院したら、検査で偶然、難病に冒されていることが判明した。日本でも数人という特殊な病気らしいな。しかも怪我の影響で容態が悪化した。至急、移植手術をおこなう必要がある。寛之君の運が良かったのは、ドナーを求めた数日後に提供者が見つかったこと。運が悪かったのは、手術の予定日が鏡像世界の誕生後だったこと」 「──?」 「まさか気づいてなかったのか? この世界で手術なんぞすれば、即、命取りだってことを」 五十嵐は脳天に雷が落ちたような衝撃を受け、その場に膝を落とした。 「大田区の病院──」 むんはいつの間にか人垣の最前線にいた。彼女はたったいま耳聡く聞き止めた言葉を反芻しながら、最前より口角泡を飛ばして実況している女性レポーターのそばに近寄った。 「ねえ、すいません」 「邪魔しないで、いま放送中──アラ、あなた、舞風さんじゃないの!?」 むんと彼女とは、北海道事件の遺族団の記者会見を通じて顔見知りだった。 「ご無沙汰してます。あの、お願いがあるんですが」 「わたしにできることなら」 ナイフが嵐のように五十嵐に襲いかかった。 彼は防戦一方だった。孫の寛之のことが頭から離れず、戦いに集中することができなくなっていた。 闘う相手の心をかき乱す──。それが曽我部の真骨頂であることを彼は知らなかった。彼は完全に曽我部の術中にはまってしまっていた。 真佐吉の〈目〉はその様子を静かに見おろしていた。 |
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