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-279- 第20章 最後の対決 (10) |
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〈……ただいま回線が大変混み合っております。しばらく経ってから、もう一度おかけ直し──〉 五十嵐は公衆電話の受話器を置いた。かけた先は孫の寛之が入院している病院だ。左右反対に配置されたプッシュボタンは押しにくかったが、なんとか使えた。 五十嵐の記憶では今日明日あたりが手術の日だ。その日は必ず立ち会うと約束したのにどうやら果たせそうにない。五十嵐はせめて電話で力づけようと思ったのだが、十分おきに三度かけても同じメッセージが返ってくるだけだった。 五十嵐は公衆電話を後にした。今となってはクラシックな設備だが、二〇一四年の今日でもなくなってはいなかった。逆にPAIを嫌って携帯電話を持たないという人々の微増により、かろうじて命脈を保っているようだ。 午前四時。 街はまだ暗い空の下で静かに眠っている。 通りの向こうにWIBAが浮かんでいた。 五十嵐は襟を正すと、ゆっくりと歩き出した。着ている背広は昨夜無断で世話になった家にあったものを、やはり無断で借用したものだ。 (男・五十嵐寛寿郎、いざ行かん──) その時である。 「あのォ、すいませェん、『おっかけリアルTV』です。二十四時間生放送中の」 マイクを持った男が突然五十嵐の前に飛び出してきた。大型ビデオカメラを肩に乗せた男と、長いマイクスタンドを捧げた女性を従えている。 「失礼ですが、あなたは“将軍”ではありませんか?」 レポーターと思しき男はマイクを五十嵐に突きつけた。 「そう呼ばれたこともある」 五十嵐はマスコミの出現に動じることなく応えた。 「で、将軍。あなたはリアルなのですか?」 五十嵐はレポーターのストレートな問にも、鷹揚に頷いた。 「いかにも、私はリアルである」 相手は「やっと出会えた」といわんばかりに恍惚とした表情を浮かべた。一億数千万人の中のたった十二人。 「あああ、あなたが本物のリアルですか。いやぁ〜初めてお目にかかります。えーっと」 五十嵐は、横断歩道を渡り始めた。そのすぐ先にWIBAと陸地を繋げている桟橋がある。 「お待ちください、閣下!」TVクルーが執拗に追ってくる。「あなたはなぜWIBAに行かれるのですか?」 「大事な人を守るためだ」 「大事な人とは?」 「寛之」 「ひろゆき……さん? ワッ!」 レポーターは後ろからやってきた集団に突き飛ばされた。集団は五十嵐の前にまわると、地面に膝をついて、口々に「閣下!」と叫んだ。 「おお、これはこれは、君たちか」 彼らは五十嵐を慕って東京からついてきた者たちだったのだ。総勢三十人はいるだろうか。コテージ村以後、別行動となってしまい、五十嵐も彼らの身を案じていた。 ひとりの若者が仲間たちを代表して進み出た。亡くなった信太に次いで副リーダー格だった中村という若者だ。感激のあまり、目を真っ赤に腫らしている。 「我々はここに来ればきっと閣下と再会できると信じていました。どうか我々をWIBAへのお供にお加えください」 お願いしますと仲間たちは一斉に頭を下げた。 五十嵐は困惑した。だが中村は先回りして、 「WIBAではリアルキラーズが虎視眈々と牙を研いで、閣下の来訪を待ち構えているでしょう。どうか護衛役を我々に。一同すでに覚悟と準備はできております」 できてますと復唱した一団は、手に手に持った銃や手榴弾を空に向かって突き上げた。 《カゲヒナタさーん、本番一分前ですよぉーーー!!》 「なにィー、まだ台本ももらってないのに──」 雛田は控え室を飛び出そうとしたところで夢から醒めた。その途端、アゴから床に落下し、グエッとカエルの潰れたような悲鳴を上げた。 《起きたか、ヒナタ。大変だ!》 机の上でカバ松が騒いでいた。 「このバカカバ、人を起こすのに毎回引っかけるヤツがあるか」 《引っかかるお前が悪い。そんなことよりこれを見ろ》 カバ松は身を引き、テレビ映像を前に出した。そこには、大勢の人間が地べたに座って土下座している様子が映っていた。 「何だよコレ。新興宗教の紹介か?」 《バカたれ、ココ見ろ、ココ》 カバ松が短い前足で画面を叩いた。雛田は携帯を目の高さに持ち上げた。土下座グループの先頭で拝まれている人物に見覚えがあった。 「──これ、五十嵐さんか?」 《そうだよ》 「東京にいた時の集会だろ?」 《まだ寝ぼけてやがんのか? これは録画じゃない、生中継だ》 雛田は絶句した。部屋を見回すと、すぐ横のソファには伊里江が眠い目をこすっている。その奥では、炎親子がまだ夢の中だ。 「起きろ、みんな起きてくれ!」 大声でモーニングコールを叫びながら、雛田は部屋の隅の大型テレビのスイッチを入れた。たちまち五十嵐の姿が大写しになった。 「どういうことだよ。五時半の夜明けを期して、全員であの桟橋を渡ろうと決めたのに、ジイさん、ひとりで出かけちまったってのか」 《そのようだな。おそらくひとりで攻め入るつもりなんだろう》 「それじゃ、作戦もへったくれもないじゃないか。またココがどうにかなっちまったんじゃないか」 雛田は苛立たしげに自分の頭を指さした。そして部屋を出ると、二階に向かって大声で呼びかけた。 「むんさん、起きてください。ジイさんが暴走した!」 五十嵐はつい先ほどまで、果たし合いの場に臨む武士の心境でいた。ところが予想もしなかったことに、行方不明だった仲間たちが彼の到着を待っていた。 さらにテレビや新聞などの取材チームだ。彼らも近くで待機していたのだろう、五十嵐の出現を知り、続々と押し寄せてきた。 「ひと言お願いします」女性レポーターが人混みをかき分け、マイクを五十嵐の前に差し出した。「世界中が、あなたがたリアルの動きに注目しています。あなたはこれからどうなさるおつもりですか?」 五十嵐は周囲の喧噪をよそに、静かな口調で答えた。 「真佐吉を退治します。真佐吉はいわば現代によみがえった鬼=AそしてWIBAは鬼が島≠ナあります。私は全力で鬼退治をおこない、彼奴めの野望を打ち砕き、世界に平和と秩序を取り戻します」 それは視聴者に向けてではなく、可愛い孫に向かっての宣言だった。寛之の住むこの世界を守らねばならない。彼を突き動かしているのは、それだけだった。 オオというどよめきが沸き起こった。 「すると五十嵐さんは“桃太郎”なんですね! さしずめここに集まったお仲間は、犬、猿、雉でしょうか!」 女性レポーターは、自分の言い回しが気に入ったのか、何度も「桃太郎」を連呼した。すると、どよめきの声は輪をかけて広がり、やがてシュプレヒコールが混じり始めた。 「俺たちは鬼を退治する閣下の犬になるぞ!」 「俺は猿だ!」 「雉だ!」 五十嵐は眉をひそめて、女性レポーターに反論した。 「彼らを動物扱いするな」 そして仲間の前で両腕を広げ、彼らにWIBAに行くことの危険性を訴え、自分についてこないよう説得しようと試みた。 だが、その声はエイエイオーの掛け声にかき消された。 群集心理によって昂揚した仲間たちは「鬼を倒せ!」「宝を奪え!」などと口々に叫びながら、勝手に前進し始した。神輿のように担がれた五十嵐も、こうなっては観念する他なかった。 桟橋は大型トラックの対面通行にも耐えられるよう設計されている。群衆は今や百人の規模に膨れ上がり、橋の上を威風堂々と進んでいく。 「あっ、誰かいるぞ!」 ひとりが前方を指さした。皆の視線がWIBAの入口ゲートに注がれた。 迷彩服の男がひとり、たたずんでいる。 曽我部マサルだった。 |
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