Jamais Vu
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第20章
最後の対決
(5)

「あのバカタレがっ」
 真崎はテーブルの上の書類やパソコンをはじき飛ばした。作戦室にいた若い隊員たちは一斉に押し黙り、おびえた目を自分たちのリーダーに向けた。
「勝手に暴走しおって……。終いには自分で自分の首を絞めたか──」
 真崎は椅子にどさりと腰を落とし、頭を抱えてうなだれた。そんな上司を前にして、報告したシュウも言葉を失っていた。
 真崎の甥である利根崎が、あろうことか野宮助教授を銃殺し、プラズマ放射装置を積んだ装甲車ごと琵琶湖に飛び込んだのだ。
 今回の作戦には、真佐吉の妨害を警戒して路上には隊員たちを各所に配置し、万全の態勢で望んでいた。だがこのような形で内部、いや内輪から計画が瓦解するとは誰も予想だにしていなかった。
 一連の顛末については、車載カメラとマイクによってその一部始終を知ることができた。
「俺の監督不行き届きだ」真崎は両手に顔を埋めながらうめくように言った。「いやそもそも、奴を引き入れたのが間違いだった」
 真崎は午後、外務官僚に呼ばれて米軍への状況報告のため名古屋まで出かけていて、現場にはいなかった。
「隊長代理は忙しすぎたのです。個々の隊員にかまっている暇などなかったはずです」
 シュウは慰めの言葉を口にしたが、真崎に通用しないことは誰よりもシュウ自身が知っていた。
「装置を乗せた装甲車ですが、引き揚げは不可能だそうです。現在、遺体を収容すべく潜水隊を編制し──」
「無駄だっ」野崎は吐き捨てた。「残り時間は限られている。よけいなことに人員を割いている暇はない」
「はっ」
 その通りである。今は全てにおいてギリギリの状態だ。
「WIBAの地下攻略はどうなっている?」
 シュウは安堵した。いつもの隊長代理が戻ってきた。
「予定どおり地下一階から順次包囲を狭めながら、部隊を階下へと進ませています。ご存知のようにWIBAには八方向に大階段がありますが、北階段──現在のWIBAの停泊状態から便宜的に命名したものですが──そこから進んだ班が、つい十分前、地下二階に降りたのが最前線です」
 シュウは机の上に立体地図を投影させた。WIBAは水面上のビル群と釣り合いをとるため、水面下にも相当な構造物を擁している。それらを一階ごとに点検していくのだ。時間や人数がいくらあっても足りない。
「地上は完全に掌握しました。各施設を管理するPAIをリセットし、我々の上位PAIの管理下に置きました。地下も1ブロックごとにネットワークからの遮断を実行しています」
「すべての大元は地下五階にあるんだったな」
「そうです。今のペースが維持できれば明日の午後にはたどりつけるかと」
「急がせろ。真佐吉は必ず地下のどこかにいる」
 シュウは作戦室を振り返った。隊員たちは隊長代理がいつもの彼に戻ったと知り、それぞれの任務遂行に没頭していた。
「しかし、隊長代理」シュウは幾分声をひそめた。「隊員たちの中には、我々をここにおびき寄せたこと自体、真佐吉の罠ではないかと疑っている者がいます」
「バカな。タイムリミットが迫った今、リアルたちを呼び集めた当人が、この時期、いなくてどうする?」
「数百人の謎の男たちも気になります。いまだその所在はつかめていませんが」
「調査結果は読んだ。そいつらは一般人の有象無象だろう。話にならない。たとえ武器を持って待ち構えていたとしても、地下に向かっているのは我が選り抜きの精鋭部隊だ。敵ではない」
「ただ、相手が相手だけに」
「策士の真佐吉といっても限界はある。無用な取り越し苦労をするな」
 真崎は机を離れ、窓に顔を寄せた。
 この作戦室はWIBAの最も陸地寄りに立つ建物の一階が当てられている。外は夕焼けが消えようとしており、今朝から広がり始めた黒い雲が空の半分を占領している。その下を数隻の大型ボートが水上を滑っていく。真佐吉やリアルの逃亡を防ぐ目的で空中と水中の両方にセンサーを配置しているのだ。反応すれば直ちに武装したヘリや水上バイク、潜航艇が発進することになっている。
「光嶋萠黄は、エレベータで地下に降りたのだな?」
「そうです。……利根崎の報告では、突然現れた複数の男に拉致されたと」
 真崎は背中で頷いた。
 沈黙の間があり、シュウは訊ねずにいられなかった。
「米軍は何と言ってましたか?」
 真崎はその質問を予期していたのだろう。胸の前で腕を組むと、
「あさって、つまりタイムリミットである十四日目の前日正午までに決着がつかない場合は、最後の手段をとると通告してきた」
「つまりそれは──」
「核ミサイルをここに落とすということだ」
 シュウは胃の中に、鉛の塊を放り込まれたような気分になった。
 野宮助教授の装置が作動していれば、真佐吉は捕われて今頃は勝利の美酒に酔いしれていられたも知れない。真崎はそれほど当てにはしていなかったようだが。
 状況は好転しないまま、いよいよ崖っぷちを迎えようとしている。これからはひとつの作戦ミスが命取りになるだろう。シュウは身震いを禁じ得なかった。
「勝つしかない」
 窓を離れた真崎はシュウの肩に手を置き、その指に力を込めた。
「アメリカに残してきた嫁さんと子供のためにもな」
 シュウは拳を握りしめると、小さな声で「はい」と答えた。と同時に意外な思いに打たれていた。真崎が命令以外の私的な会話の中で、誰かの〈家族関係〉に触れたことなど、かつて一度もなかったからだ。


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