Jamais Vu
-273-

第20章
最後の対決
(4)

 萠黄は暗い開口部に飛び込んだのは、ほとんど賭けだった。真佐吉の支配する地下都市だ。そこに何が待ち受けているか知れたものじゃない。萠黄はエアクッションを身体の下に発生させて受け身を取ったが、ドスンと弾む感触がすぐに返ってきた。エアクッションが摩擦で小さな火花を散らす。
 わずかに床をこする音がすると、萠黄の頭は壁の数センチ手前で停止した。
 そこは狭い部屋だった。といっても今までいた空間に比較してのことで、実際には学校の教室一個分の広さはあった。
 天井の蛍光灯はぼんやりとしていて、萠黄は目が慣れるのにしばらく待たねばならなかった。
 部屋の空気は生暖かく、わずかに湿度が含まれている。目を凝らすと、いくつかの長細い台があり、その上に清香たちを封じ込めていたのと同じ透明ケースが載っていた。数えるとその数は十。清香と齋藤を入れれば十二である。真佐吉は、すべてのリアルをここでケースに収納するつもりなのだろう。
 物音がした。衣擦れのようなかすかな音だった。
 萠黄の飛び込んできた四角い穴は、シャッターが閉じた時から一切の音を遮断していた。だから劇場の音ではない。
 誰かが隠れているのか? 台の陰に腰をかがめ、音のしたほうを見ると、中ほどに台のケースの中で、黒い塊がうごめくのが見えた。
「誰?」
 萠黄は思い切って声をかけた。
「──ああ──助けてくれ──動けない」
 かすれた男の声が答えた。萠黄はハアとため息をつくと、ゆっくり腰を上げた。
「柊さん」
「──萠黄さんか──俺はどうなっちまったんだ?」
 萠黄は柊の横に立った。
 柊は長身の背丈にぴったり合った透明ケースの中から萠黄を見上げていた。口許はだらしなく開き、その目からは傲岸不遜な光は消えていた。
「──ここは──どこだ」
「WIBAの地下よ」
「真佐吉のヤツ──」柊は起き上がろうとしたが、身体に力が入らないようだ。「ダメだ、動けない」
「自業自得や」
 萠黄は多少哀れみを覚えながらも、そう言わずにはいられなかった。
「ヒドいな」柊は息も絶え絶えである。「俺には元の世界に戻っても──待ってる人間はひとりもいない──それならこの世界で生き残る道を探したって──構わないだろう?」
「他人を巻き込んでいいわけないでしょうが」
「──しかたないことだ──誰にも迷惑をかけない人生なんて──そんなもの有りはしないさ」
 頭上で機械の動作音がした。ハッとして見上げると、ケースと同じ長さの透明な蓋が、柊の上に降りてこようとしていた。頭の部分に白いホースが付いている。清香たちのようにケースを密閉した後、催眠ガスを浴びせようというのだ。
「いやだ──助けてくれ、萠黄さん──このままじゃ真佐吉が喜ぶだけだぞ」
「身勝手な人!」
 萠黄はケースのそばを離れた。柊は目だけで彼女を追う。
「──こんなので終わる人生なんてイヤだ──チャンスをくれ!」
 降り切った蓋はケースの上面にガチャリとはまった──と思えた時、室内の空気が嵐のように荒々しく対流し、蓋がホースを千切って壁際まで吹き飛んだ。
 風は他のケースや装置などを巻き込んで、それらをひっくり返し、破壊した。
 やがて騒音は収まった。柊がそっと瞼を開けると、自分を見おろしている萠黄の顔があった。
「わたしはアンタと組むつもりはない。真佐吉さんを許すつもりもない。それだけ」
 言い終えた萠黄は耳をそばだてた。萠黄が入ってきた四角い穴の反対側に扉がひとつあり、その向こうで男たちの近づく声がした。追っ手だ。
 萠黄は部屋の中を見回し、奥に観音開きの扉があるのに気がついた。彼女は柊に最後の一瞥をくれると、急ぎそちらに向かった。

 忙しい忙しいと何度もこぼしながら、野宮助教授は機械のセッティングに余念がなかった。彼が設計し、今朝がた完成したばかりの〈無指向性プラズマ放射装置〉。仕組みは小田切ハジメを無力化した時に使用した兵器と同じだが、威力は数十倍強力になっている。
 野宮は、真崎隊長代理から借り受けた装甲車にこの装置を搭載すると、前後を武装したジープに守られて、ここWIBAへと勇んで乗り込んできた。
「運転手クン、しっかり頼むぞ」
「ハイッ」
 ハンドルを握るのは二十歳にも満たないリアルキラーズ隊員だ。聞けば昨日入隊したばかりだという。
 真崎は『人員不足で追加募集したら、役に立ちそうにない、青いのばかり集まってきやがった』と嘆いていた。
 お互い、部下には恵まれないなと、助教授は夕焼けに向かってため息をついた。
(山上も山中も山下も当てにはならんし、有能な和久井クンは失踪──。さりとて高齢の筵潟教授に手伝わせるわけにもイカンしな)
 野宮は視線を目の前の機械に移した。燦然と輝くプラズマ放射装置は一抱えもある壺のような形をしていた。
 設計した野宮は、装置の開発をひと月前から進めており、ヴァーチャル世界の誕生後は昼夜を問わずに完成を急がせ、ついに今日、日の目を見たのである。
「作動させれば、リアルは瞬時にして抵抗する力を失い、立っていることすらできなくなる。もちろん、伊里江真佐吉も含めてな。そうなれば後は子供にだって逮捕できるというわけだ。ウハハ、今夜は久しぶりにうまいガムが噛めそうだわい」
「良かったですネ、先生」
 運転手の少年が素直に相づちを打った。
 装甲車はセントラルタワーに近づきつつある。
「このタワーを抜けた所まで行ってもらおうか」
「了解です、先生」
 その時、バックミラーに駆け寄ってくる迷彩服の姿が映った。
 男は走っている装甲車の助手席側の扉を開けて、強引に乗り込んできた。
「先輩、どうかしましたか?」
 少年が訊ねると、男は愛想笑いを浮かべて、
「いや、俺も護衛に付けと叔父貴に言われてな」
「伯父さん──ですか」
「隊長代理だよ」
「真崎さん!?──カッコイイ〜」
「そんなわけで」と言って、男は笑顔を野宮に向けた。「よろしく。利根崎です」
「ああ、いや、こちらこそ──」
 言い終わらないうちに、パンッと乾いた音がした。
 野宮は額に熱い痛みを感じた。
 目の前を赤いしぶきが飛び散った。
(何だ、これは? もしかして血か?)
 野宮の思考は、そこで途切れた。
 目の前が急速に暗くなり、すぐに何も見えなくなった。

「ど、どーゆーことだよぉー。話が違うじゃねーか!」
 利根崎は頭を抱えて喚いた。プラズマ放射装置にもたれて絶命している野宮助教授の頭部は、すでに砂状化が始まっていた。
「コイツはリアルじゃなかったのかよぉー! 俺はそう信じてたから、わざわざ油断させて撃ったんだよぉ! クソッ、柊のヤロー、だましやがったな!」
 装甲車は走り続けている。運転手の少年は恐怖のあまり、ブレーキをかけることさえできないでいた。
「最後のチャンスだって念を押されたのに、俺、今度こそ叔父貴に殺されちまう──。オイ、少年!」
 運転手の少年は身体をビクッと震わせた。
「車を停めるな。停めたら撃つ。それがいやなら走り続けるんだ!」
 装甲車の前を先行していたジープは、所定の位置であるタワー下に到着すると予定どおり停止した。しかし装甲車はスピードを落とさず、そのままジープに突進すると、人員を乗せたままの車体を跳ね飛ばした。
 後ろから付いてきたジープの隊員が真崎に緊急連絡を入れた時には、装甲車の姿はもはや遥か先だった。
「こうなったら──死んで詫びるしかねえ!」
 利根崎は少年に銃を突きつけ、装甲車を暴走させた。
 装甲車は一路、WIBAの端に向かって突進した。
 波除の堤防を越えた時、利根崎は真佐吉の笑い声を聞いたような気がした。
 次の瞬間、琵琶湖の水は、少年と利根崎と、そして半ば砂と化した野宮助教授の亡骸を飲み込んでいた。


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