Jamais Vu
-269-

第19章
魔王の迷宮
(15)

「懸命な判断、感謝するよ」
 前言を撤回した萠黄の心理を推し量ることなく、柊はにっこり笑って彼女を手招きした。萠黄は相手のリズムに乗るのを嫌って首を横に振り、
「この人たちは許したってな」
「ん? さっきは死ねとか言ってなかったっけ?」
「………」
「殺しはしない。だが放免するわけにもいかないな。君の連れと合わせて、どこか空いた部屋にでも閉じ込めておくか」
 柊は階段のそばに戻り、壁際に立て置かれたパーティションを動かした。そこにひとつの扉があった。〈従業員専用〉のパネルが貼りつけてある。
「おあつらえ向きだ。この中でしばらく眠っていてもらおう」
 そう言って柊はドアノブに手を伸ばした。ところがその手がノブに触れるかと見えた瞬間、ノブが左にググッと移動した。
「──!」
 柊は二、三度目をしばたたかせた。何が起きたのか理解できなかった。そしてもう一度ノブをつかもうとした。ノブはその手をもかいくぐって、今度は右に移動した。
「???」
 再々度つかもうとする。またまたするりと逃げていく。柊はウガーッと叫んで扉から身体を離した。
「何の仕掛けだ!? 俺をコケにしやがって!」
 柊は腰を引くと、反動をつけて扉を思い切り蹴った。
 だが扉はびくともせず、蹴った柊は足を押さえて顔をしかめた。
「こ、これは扉なんかじゃない!」
 そう言った途端、スーッと扉は消えた。そこには周囲と同じ壁があるだけだった。
(液晶──この建物は内壁も外と同じく、液晶画面でできてたのか)
 扉に見えたのはホログラフィ映像だったのだ。おそらくこの百貨店が開店したあかつきには、壁面を優雅な模様が泳ぐことだろう。それとも店内を案内する動画を映したり、まるで森林の中にいるような自然の風景を映写したりするのだろうか。しかも立体映像で。
「ナメた真似してくれるじゃないか。これも真佐吉のしわざか!」
 はじかれたように萠黄は顔を上げた。そうだ、こんなことができるのは彼以外にいない。すると真佐吉はこれまでの柊とのやりとりをすべて聞いていたのか?
 驚きが治まる間もなく、ガーッと音がして階段の右並びに並ぶエレベータのひとつが開いた。現れたのは十人ほどの見知らぬ男たちだった。背広姿、Tシャツにジーンズ、体育教師のようなジャージとまちまちだ。迷彩服は混じっていない。
「お迎えに上がりました」
 先頭に立った紺の背広に空色のネクタイの男が口を開いた。眼鏡の奥の目が萠黄と柊を交互に眺める。
「誰?」
 萠黄が訊ねると、
「伊里江真佐吉の代理です」
と答えた。
「おい!」柊は背広の男ににじり寄った。「代理だか何だか知らないが、いまいいところなんだ。アンタらの出番じゃ──グッ」
 柊がうなじに手を当てた。指のあいだから十センチほどの細長い棒状のものが見える。柊は口をぱくぱくと動かしたかと思うと、床の上にどうっと倒れた。棒は首筋に刺さったままだ。萠黄が反対側に首をめぐらせると、構えていた銃を降ろす別の男がいた。
「強力な麻酔銃です──光嶋萠黄さんですね?」
 背広の男が事務的な声で訊ねる。
「──はい」
「よかった」男は緊張した表情を若干緩めると、萠黄に深々とお辞儀した。「どうぞ、私どもといっしょにお越し下さい。真佐吉がお待ちかねです」
「え……お待ちかねって……」
 階段の上では久保田と和久井が、ようやく柊の呪縛を逃れることができ、立ち上がろうと身体をさすっていた。対照的に床に転がった利根崎ら三人組は、エアロープにくくられたまま依然としてジタバタもがいている。
「真佐吉が招待しているのは、あなただけです」
 背広の男は、慇懃だが有無を言わせぬ口調で言った。そして彼の後ろから前に出たふたりの男は、萠黄をはさむようにして左右に立った。どちらも肩からマシンガンを下げている。
 自分だけなら対処のしようもあるが、バーチャルの仲間が巻き添えを食っては……。
「久保田さん」萠黄は呼びかけた。「むんのこと、よろしくお願いします」
「判った!」
 久保田は頷きながら二段飛ばしで階段を降りてくると、頭から手拭いをはずして細く切り裂いた。ロープの代わりに利根崎を縛るつもりなのだ。萠黄が去ればエアロープは自動的に消える。それを見越しての行動だった。
 萠黄は信頼の眼差しを久保田に送ると、男たちに囲まれてエレベータに乗り込んだ。扉が閉まる。
 箱はすぐに下方へと動き始めた。思ったとおり真佐吉のアジトは地下にあるらしい。
 操作盤の地階表記は五階までしかない。ところが萠黄たちを乗せた箱は、地下五階に達してもスピードを緩めない。ランプは〈5〉で止まったままにもかかわらず。
(いよいよ地図にないエリアや)
 萠黄は手の平の汗をTシャツで拭った。
 いよいよ本物の真佐吉と対面できるのか?

「坊主、何か用か?」
 小学校の校門の内側で見張っていた男は、近寄ってくる車椅子の少年に問いかけた。
『すいません、WIBAへはどの道を行けばいいのか教えてくれませんか』
「ああ? 君はひとりか? 保護者はいないのか?」
『いません』
 別の見張り番が横から覗き込んだ。
「コイツ、唇を動かさずにしゃべってるぞ」
「坊主、ここは坊主ひとりでうろついていい場所じゃないんだぞ」
「──おいどうした」
 さらに数人の迷彩服が集まってきた。
「この少年がWIBAに行きたいんだとさ」
「ダメだダメだ、あそこはいま一般人の入場を禁じている」
「──待てよ」迷彩服のひとりが緊張した声を上げた。
「コイツはリアルじゃないのか?」
「アッ、そういえば京都の大学で見たことがある」
「坊主! お前、あのリアルだろ?」
『──だったらどうなんだよ!』
 車椅子の少年は駿河炎だった。口調ががらりと変わったので、居並ぶ迷彩服たちは一斉に驚いて顔を見合わせた。
『早く教えろ、WIBAはどっちだって訊いてんだよ』
「──坊主、お前、中にいる仲間を助けにきたんじゃないのか?」
と、ひとりがアゴで後ろの校舎を示した。
『仲間?』炎少年のクククと笑う声がスピーカーからこぼれた。サングラスをかけてきちんと座った当人の表情はピクリとも動いていない。『俺に仲間なんかいない』
 迷彩服たちは、ザザッと炎を取り囲んだ。
「話は中で聞こう──おい、連行しろ」
 だが次の瞬間、迷彩服たちは炎のリアルパワーによってはじき飛ばされていた。
「くそっ」
 ひとりが腰の拳銃に手を伸ばすと、他の隊員たちもそれにならって身構えようとした。
 キィィィーーーン。
 突然、空気を切り裂く音が周囲に満ち満ちた。迷彩服たちはあわてて耳を押さえて空を見上げた。ジェット機が飛来したのかと勘違いしたのだ。
 音源は炎少年のスピーカーだった。超高周波が絶え間なく流れ出している。迷彩服たちは銃を向けるどころか、刺すように鼓膜を刺激する音に七転八倒している。中には早々と気絶する者もいた。
 数分後、音は消えた。しかし立っている者はひとりもいなかった。
『ちぇっ、張り合いないなー』
 炎少年は車輪を返すと、ゆっくりと校門を出ていった。そのまま塀沿いの道を進む。別の敵が現れたらどんな手で倒してやろうかと考えているうちに、見覚えのある四輪駆動車がやってきた。
「少年! うまくやったな」
 運転席から降りてきた雛田がねぎらいの言葉をかけた。
『つまんなかった。アイツら弱すぎ』
「まあ、また活躍の場はあるさ。さあ乗ってくれ」
 そう言って後部ドアを開いた。リフトがせり出してきて、少年を車椅子ごと車高の高さまで引き上げる。炎の母親はずっと心配そうな顔をしていたが、無事な息子を見てホッとしたようだ。
「お客がいるから少々狭くなった。我慢しろよ」
 ミドルシートにもたれた五十嵐、伊里江真佐夫、そしてむんの後頭部が見える。炎はがっかりした。
『萠黄さんはいなかったのか……』
「なんだって?」
 雛田が車を発進させながら訊ねる。
『独り言だよ。アンタはヘマしなかったんだな』
「校庭の裏門は手薄だった。お前が引きつけてくれたおかげで無人になったしな」
 メデタイメデタイと、ダッシュボードのカバ松が短い両腕でペチペチと拍手した。
《カゲにしては上出来だ》
「見てただけのくせに、エラそうな」
《元はといえば、オレがコンビに立ち寄って食い物がないか確かめてこいと意見したからだぞ》
「偶然そこで出くわした迷彩服相手に、俺がうまく話しかけたからだ」
《口の軽い奴だったのがラッキーだったんだ》
「俺の話芸のなせる技だ」
 カバ松は大きな口を開けてケタケタと笑い転げた。雛田は不快に顔をシワ寄せた。
「ずいぶん陽が傾きましたね」
 炎の母親が助手席で誰に言うともなく言葉を口にした。
「どこかWIBAの見えるところで、今後の行動計画と立てましょう。助けた仲間も養生させたいし」
 雛田は知らなかったが、むんたちが軟禁されていた小学校は、彼女らが潜んでいた家のすぐ裏手にあった。萠黄が助けに駆けつけたとき、親友はすぐそばにいたのだ。
「見えた! あれがWIBAか」
 雛田は目をすがめて、湖上のビルを観た。
《近距離で眺めると、なかなか壮観だな》
「清香はあそこにいるのか……」
 WIBAの背後を、黒い雲が覆い始めていた。それは残された時間に、彼らの身に振りかかる試練の重さを予感させた。


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