Jamais Vu
-268-

第19章
魔王の迷宮
(14)

「あの野宮先生が……」
 萠黄は記憶の中に残っている助教授の映像を、全シーン早送りで再生した。野宮がリアルのひとりだという柊のとんでもない発言を否定したかったのだ。
「先生はわたしらを大学に迎えた時、あんまりいい顔してなかったみたいやけど」
「リアル同士、相手に感づかれるのを恐れてたんじゃないかな。俺の想像だけど」
 そうなのだろうか。萠黄にはまだ納得がいかない。
「そうやとしても、転送装置で帰ろうとした時に、教えてくれてもよさそうなもんやわ」
「俺だってそう言ってやった。そしたら『研究所のトップがリアルでは周囲の信頼を得ることはできず、研究スタッフから外されることが予想された』と言い訳した」
(だからって、味方までだますなんて)
 心の中でそう非難しながらも、自分が野宮の立場ならそうしたかもしれないと萠黄は思った。笹倉防衛庁長官の〈リアルを殺せ〉発言などを思い出せば、野宮の心情は察するに余りある。
 とはいえ、理屈では理解できても、気持ちの上では容易に受け入れることができない。あのとき助教授は、全員を元の世界に送り返した後、実は私もリアルでしたとカミングアウトして装置に飛び込むつもりだったのだろうか?
「証拠は見せてくれはったんやろね」
「ああ、真っ先に訊ねたよ。あの焼け焦げた観覧車の前でね。すると助教授はやってみせやがった」
「?」
「得意のガム飛ばしだ。彼は次から次へと狙った的に命中させた。最後は俺の眉間にまでペタリとね! 思わず女みたいな悲鳴をあげてしまったがな」
 萠黄は野宮の非衛生的なその技を思い出した。逃げる山下研究員の背中に見事命中させた芸当は決してまぐれではなかったのだ。小耳にした話では、毎朝職場に向かう途中で必ずこれをやっているのだという。「大学の先生ともあろう人が、なんて子供じみたことを」と聞いた時は眉をひそめたものだが、あれがリアルパワーによるものだとしたら、行儀の話は別にして、リアルだということに頷けないこともない──なんてワケはない!
「もちろん決定的な証拠も見せられた」柊は先回りして言った。「彼は持っていたナイフを自分の腕に走らせた。するとパックリ開いた傷口が気合いと共に塞がったよ。皮膚の上に、砂にならない赤い血を残してね」
 萠黄はぞっとした。それが本当ならまぎれもなくリアルだろう。でも、あまり想像したくない光景だ。あわてて話を移す。
「野宮先生とはどんな話を?」
「そう、大事なのはそこだ」
 柊は、さながら商売人のようにパンと合わせた手をもみ始めた。表情も喜色を取り戻している。
「野宮さんには真佐吉を一気に屠る秘策があるらしい。そのためには陰ながら俺の手助けが必要だ、とこう言うんだ。だから俺は取引の相手を真佐吉から野宮さんに変更した。彼とは大学にいる時に信頼関係を築いていたからね」
 どうせまた野宮を丸め込もうと、僧のフリを演じたに違いない。
 だましたり、だまされたり。萠黄は憂鬱に気分になった。
「野宮さんは、今日か明日にもその秘策を実行する。だから手段を問わず、至急リアルたちを集めろというのが、俺に与えられた使命なんだ」
「集めてどうするの?」
「決まってるじゃないか。真佐吉を退治したら、奴の隠し持ってる転送装置を使って、すぐさま元の世界に送り返すためだ」
「………」
「でも俺は残る。そして君にも残ってほしい」
「しつこい! わたしは帰るで!」
「つれないなあ」
 柊は腰を上げた。萠黄は一歩引いて身構える。
 するとそれまで様子をうかがっていた利根崎が、床の上から声を張り上げた。
「なあ、柊。俺を助けてくれるよな? この縛めを解いてくれるよな?」
 柊は冷たい目で利根崎を見おろした。
「アンタらとの関係はこれまでだ。もともと今朝捕まえた連中をエサに、萠黄さんを誘導するだけの役割だったんからな。それさえできなかったアンタらは、もはや用済みだ」
「それじゃあ、汚名返上のチャンスがなくなっちまう」
 柊は、知らないねと冷たい視線で答え、
「アンタは最後のリアルが誰なのかというトップシークレットを耳にした。悪いが消えてもらうよ」
 それを聞いた利根崎の顔がみるみる恐怖に青ざめた。動かせるのは首から上と足首だけで、逃げようにも逃げられない。
 柊が両手を突き出すと、利根崎はさらに恐慌をきたし、歯をカタカタと鳴らした。
「待って!」
 萠黄が声をかけると、柊は両手を掲げたまま、顔を萠黄に向けた。
「ん? 考え直してくれたのかな?」
 萠黄は答えず、指先を額につけて、沈思黙考の姿勢をとった。ふいに吹き出してきた汗がいくつもの流れになって首筋を落ちていく。
 どうしたらええのん?
 思いがけない事態が連続して起き、思いもしなかった情報を矢継ぎ早に聞かされた。それで急に態度を決めろと迫られても、うまく考えがまとまるわけがない。
 フロアにひんやりした空気が流れた。
 遠くからかすかに人の足音が聞こえてくる。リアルキラーズたちはかなり近くまで侵攻してきているらしい。
「どうした? もう時間がないぞ」
 柊がイライラした声を飛ばす。
 萠黄はようやく瞼を開いた。その瞳に迷いの陰はなかった。
「むんのところに連れてって。むんを無傷で釈放してくれるなら、そちらの要求は飲んであげるわ」


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