Jamais Vu
-267-

第19章
魔王の迷宮
(13)

 全身の血が逆流した。萠黄は明白な殺意を視線に込めて、倒れている利根崎を睨んだ。
「ア痛たたた」
 利根崎は身体を捻るようにして苦痛を訴えた。萠黄の怒りが彼を拘束するエアロープを引き絞ったのだ。
「SMの女王にでもなったつもりか、コラァ!」
 利根崎の減らず口は続く。萠黄の目はますます白くなり、利根崎の身体がミシミシと音を立てた。
「クッ、やめろ! でないとお前の友達は死ぬぞ!」
「アンタも死ねよ!!」
 もはや冷静さを失った萠黄は、激情に駆られて、一層力を込めて締め上げる。男の顔は真っ赤に膨れ上がり、今にも眼球が飛び出しそうだった。
「ひ、ひいらぎ!」
 利根崎がわめいた。
(柊?)
 萠黄はその名前にぎょっとした。
「助けろ! そこにいるんだろ!?」
 利根崎を潰しかけた萠黄の力は、一瞬にして霧散した。
 萠黄は目を大きく見開いて、長身の僧の姿を探した。二階の広いフロアには白い布の掛かったショーケースが、いつでも商品陳列できるように並べられている。
「いてへんやない」萠黄は静かなフロアから利根崎に目を戻し、再び怒りを増幅させた。「いい加減なことばっかり言うて、だいたいあの人がアンタらの味方になるわけないわ!」
「それが──ないこともないんだな」
 ふいに階段の上から苦笑混じりの声が落ちてきた。
 振り仰ぐ萠黄。すると柊拓巳がそこにいた。柊は久保田と和久井を引っ立てながら、ゆっくりと萠黄のほうに降りてくる。
「ああ良かった。早くこの娘をとっちめてくれ!」
 利根崎は床の上から柊に救いを求めた。その口調からはさっきまでの必死さは消え、まるで子飼いの用心棒に命令する主人のような横柄さがにじみ出ている。
 柊はそんな利根崎のことなど無視し、萠黄に対して鋭い眼光を向けていた。
「まだ姿を出すつもりはなかったんだが」
 柊は聞こえよがしに舌打ちした。
 久保田たちは踊り場に捨てるように倒されている。もがきかたからして、萠黄と同じようにエアロープの技を使ったのだろう。
「真似しい」
「なんだって?」
「特許料、よこし」
 萠黄は柊に手を差し出した。柊はようやく気づいたように後ろを振り向いた。
「君の独創性に敬意を表したのさ」
「屋上からずっとわたしたちを尾行してたでしょ」
「気づいてたのか。ハハハ、さすがだ」
 柊の顔は言葉ほど笑っていない。緊張感がいやが上にも高まる。
「どういうこと? あなたは真佐吉さんと共闘するって言うてたのに、どうして迷彩服と?」
「都合が良ければ悪魔とも杯を交わすさ」
「彼らはリアルの敵やんか」
 萠黄はチラッと利根崎たちを見た。エアロープはまだ効いているが、柊と闘うとなれば彼らを解放しなければならなくなる。
「俺が付いたのは奴らじゃない。コイツらは──」
と柊は階段の下に到達すると、利根崎のそばに歩み寄り、彼の尻を足蹴にした。
「コイツらは今でも敵だ。いずれまとめて潰す。だが俺の描いた野望を実現するため、伊里江真佐吉以上に強力な仲間が現れたんだよ」
「仲間?」
「そうだ」柊はここでようやく微笑んだ。「最後の同志。または、十二番目のリアル」
 萠黄はハッとなり、頭の中で素早く数え直してみた。
 ハモリを含む四人のリアルは既に亡くなっている。だから残りは八人。
 影松清香。
 ビッグジョーク齋藤。
 小田切ハジメ。
 五十嵐寛壽郎
 駿河炎。
 柊拓巳は目の前にいる。
 そして自分自身、光嶋萠黄。
 以上、生存し、名前の確認できるリアルは七人。
(そやあとひとり足らへんかったんや)
 萠黄は心底驚いた。柊は、最後のひとりが今こそ現れたと言っているのだ。
「興味ある話だろう。フフフ」
 柊は幾分くだけた動作で手近な陳列台に腰かけ、萠黄にも座るよう促した。しかし彼女は無言で断った。
「彼──そう、十二番目のリアルは男なんだが、彼は俺にこう言った。『真佐吉はいずれ滅びる。その後の世界は君の好きなようにするがいい』と。どうだ、話せる奴だと思わないか?」
「どこにいるの? その人の名前は?」
 萠黄は畳み掛けた。その人物の発言よりも、正体のほうが百倍、気になる。
 しかし柊は困った顔をした。
「彼は正体を明かしたくないと言ってる。バレると自由に動けなくなるとの理由からな」
「それやったら信用でけへん。あなたのでまかせかもしれへんし」
「教えたら、俺の話に乗ってくれるかい?」
「………」
「君も大学でお世話になった人物さ。そう言えば判るだろう?」
 萠黄の頭に人物写真が次々と浮かんだ。そしてその真っ先に浮かんだ人物がいた。
「ウソでしょ?」
「本当さ。助教授の野宮甲太郎氏だよ」


[TOP] [ページトップへ]