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-264- 第19章 魔王の迷宮 (10) |
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アンテナをなぎ倒した萠黄の拳には、巨大な壁面で嘲笑し続ける真佐吉に対する憤りが込められていた。 しかしアンテナが折れてしまうと萠黄は予想していたわけではない。基部からポキリと折れ、展望台の屋根を重々しくバウンドしたアンテナは、そのまま萠黄の視界からスッと消えていった。 萠黄は四つん這いになって、屋根の縁まであたふたと近づいた。おそるおそる覗き込むと、アンテナは誰もいない道路の上にちょうど激突するところだった。ゴワーンと大きな破壊音が辺りに響いた。 (リアルパワーが強くなってる) 萠黄は腹這いになったまま自分の拳を顔に近づけた。じんじんと鈍い痛みが残っている。 (注意せんと誰かを傷つけてしまう) 殴った瞬間は、まな板を殴りつけたくらいの感触しかなかったのに。この先、リアルはどうなってしまうのだろう。萠黄にとってはタワーの高さ以上にそのことが恐怖だった。 (ひとりじゃ無理。ひとりじゃ耐えられない) 萠黄は両腕の中に突っ伏した。 今こそ誰かにそばにいてほしいと思った。 しかし、むんは誘拐されてしまい、仲間たちは散り散りになった。 (わたしはこれからどうすればいいの? 誰か教えてよお!) そんな心の叫びに返ってきたのはローター音だった。ハッと顔を上げる。その目に迷彩服の駆る一人乗りオートジャイロが迫ってくるのが見えた。数は三つ。どれも鼻面に機関銃らしき武装を施している。萠黄は頭を現実に戻すと、もはや退却するしかないと判断した。 (ひとまず久保田さんと合流しよう) 展望台を蹴った時、タワーがわずかに揺れた。 萠黄がビルからビルへと飛び跳ねるあいだも、壁面の真佐吉は彼女を追い続けた。 《萠黄さん、そう派手に動いていると敵についてこいと言うようなものだよ。ハッハッハ》 確かにその通りである。忍者のくの一でもあるまいし、フィクションの世界のように、急にヒロイックな活躍を自分自身に要求しても無理というものだ。 萠黄はひとまずマンションらしき建物のバルコニーに身を隠した。少し遅れてオートジャイロが通り過ぎていく。周囲を見回すと、隣りのビルとの間が狭い路地になっている。萠黄はひらりとバルコニーを飛び越え、地上へと飛び降りていった。 (高い所にとまってる鳩を見て、怖くないんかなと思ったこともあるけど、飛べるっていうのは高さに対する恐怖心がなくなることでもあるんやね) 路地に着地した萠黄は、ジャイロの飛び去った方角とは別のほうへ駆け出した。路地といっても身を隠すものは皆無だ。ボーッとしていればすぐに見つかってしまうだろう。 「そや、地図地図」 萠黄はポケットから携帯電話を出した。和久井助手から受け取ったむんの携帯である。メニューから地図を選ぶと、すぐにWIBAの立体地図が立ち上がった。 地図は萠黄の目の前でぐるっと一周した後、現在地を光の点で指し示した。点はふたつのビルの隙間で生き物のように明滅している。どこかに安全な逃げ道はないかと目を走らせると、すぐそばの地面に開いた四角い穴に気がついた。地下通路だ。 携帯をつかんだまま、ビルの角まで走り、通りの左右を確認する。さいわい迷彩服の姿はない。萠黄は地図の通りに穿たれた地下通路の入口まで一気に駆け寄り、階段を足早に降りた。とっさの判断で、併設されているエスカレータには乗らなかった。乗客に反応して起動するタイプのエスカレータだったので、動き出す機械音を気取られるのを恐れたからである。階段を下りる足音もできるだけ鳴らないよう注意を払った。 《いいぞ、萠黄さん。その調子だ》 壁には萠黄を追うように、真佐吉の姿が滑っていく。 萠黄は無視した。そして地図を見る。通路は久保田たちと共に降りた最初のビルまで続いているようだ。 転けたりしないよう逸る心を抑えて、一歩一歩確実に階段を降りていく。 地下フロアに人影はなかった。気配すら存在しない。にもかかわらず天井の蛍光灯は明々と灯っており、おかげでそこがショッピング街を想定して作られたエリアであることは一目で判った。 もちろんさまざまな店が入るであろう場所は、降りたシャッターで閉め切られている。彼女の目に映ったのは、ひたすら真っ直ぐな通路だけだ。 萠黄は駆けた。今こそリアルパワー全開だとばかりに、百メートルを九秒台の速度で走り抜けた。 走りながらも、常に背中は真佐吉の視線を感じていた。 「お──おかえり!」 久保田は全身で喜びを表して萠黄の帰還を喜んだ。 久保田と和久井助手は、ビルの最上階に降りる階段で萠黄の帰りを待ちわびていたので、普通に下から階段を昇ってきた萠黄を見て驚いた。 「──そうか、敵も重装備でWIBAに入り込んでいたか。それじゃおいそれと空を飛ぶわけにもいかんか」 久保田は言いながら、耳は注意深くドアの外に向けられていた。屋上からは風に混じって、遠くを旋回するオートジャイロの音が流れてくる。 「携帯メモリーに入ってた地図のおかげで、無事にここまで帰ってこれたんよ」 萠黄は携帯電話を手の平で撫でた。まるでむんを愛おしむように。 「あっ」 久保田が妙な声で叫び、自分の腹を手でさすった。 「どうしたの?」 「腹の虫が鳴った」 それを聞いて、萠黄の腹もぐうと鳴った。 「食事をする暇なんてなかったしね」 「さすがに空腹には勝てんなあ。どこかに開店してるレストランかコンビニはないのかい?」 萠黄は立体地図をふたりの前にかざすと、 「オープンの予定はあるけど、まだ早いみたい」 その指さす所には確かに有名ファミリーレストランやコンビニの店名があった。そのどれも『開店期日未定』と注記されている。 久保田は万歳した。 「こうと判ってりゃ、来る時に何か買ってくるんだったな。せめて釣り竿でもあれば琵琶湖に糸を垂らしてやるんだが」 「──ここには常駐のメンテ要員がいるはずです」 和久井助手が突然口を開いた。 (この人、必要な時しかしゃべらへんから緊張するわ) 萠黄はそう思いつつ、身体を向けて、 「それが何か?」 「ひょっとすると、その人たち専用の食堂があるかと思いまして」 久保田がポンと膝を打った。 「なるほど! 考えられるな。わざわざ陸地くんだりまで、飯食うために足を運ぶのも煩わしいしな」 「とすると」萠黄は立体地図を覗き込んだ。「その人たちが住み込んでる事務所を見つければいいんやね」 「ウンウン」 久保田がにやりとしながら何度も頷く。和久井も久保田の役に立ったことがうれしいのだろう。頬を赤らめている。 「早速探そうぜ。早くしないとガソリンが切れちまう」 「隊長代理」 真崎は呼ばれて振り返った。彼の前に現れたのは、金髪長身の隊員だった。軽薄そうな笑みを浮かべている。おそらく当人はニヒルなつもりなのだろう。後ろに人相の悪い隊員をふたり引き連れている。 「お前か。利根崎とかいったな」 「トニーです。じつは隊長代理にお願いがあって参上しました」 「何だ」 利根崎は片えくぼを浮かべながら顎を引き、その暗い目に妖しい光をたたえて言った。 「リアル狩りの先鋒を、俺たちに任せてもらえませんかね?」 |
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