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-262- 第19章 魔王の迷宮 (8) |
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グレーの扉が両側にスライドし、迷彩服の一隊がなだれ込んできた。どの手も油断なく銃を構えている。 彼らの出たエレベータの出入口は、円形の部屋の真ん中にあった。遮るもののない室内には誰のいる気配もない。 「最上階の展望台は、カラです」 ひとりがレシーバーを取り上げて報告した。 《了解。予定どおり二名は見張りとして残り、他の者は戻ってこい》 真崎の声が短く応答した。 室内が無人と判り、ホッとした彼らの目は自然と窓に引き寄せられた。無理もない。ここは三百六十度、全方向を眺め渡せる展望台であり、そこからの眺望はまさに絶景だったからだ。南北に連なる山々を背にすれば、琵琶湖の美しい湖面をワイドに見晴るかすことができる。 WIBAセントラルタワー。 時刻は夜明け。刻々と高度を増す陽光が、絵画に筆を入れるアーティストのように風景に彩りを添えていく。そのあまりの雄大さ、優雅さに、殺伐とした迷彩服たちも、一瞬任務を忘れて見入っていた。 「これが全部、十日前にできたばかりの世界なんてな」 「俺も時々、夢を見てるんじゃないかと思う時があるんだ」 「おい」リーダー格の男が背後から冷静な声を浴びせた。「お前たちふたりはここに残れ。悠長な観光気分に浸ってるんじゃないぞ」 「了解」 ふたりはあわてて敬礼を返した。 タワー最頂部、展望台の天蓋部分はドーム状になっており、何の変哲もないアンテナが立っているだけだ。 今そのアンテナに寄りかかるようにして、萠黄が両膝を抱えて座っていた。朝の風がむき出しの二の腕を撫で過ぎていく。 近江舞子の方向を見おろすと、ビルとビルのあいだに、ちょうどWIBAと陸地を結ぶ桟橋が小さく見えた。桟橋の上では迷彩服たちが等間隔に立ち並んで辺りを警戒しており、兵員輸送車が続々と渡ってくる。 萠黄はさっきからその隊列を注視していた。注視しているものの、頭の中では何も考えていなかった。 (くたびれた) ハアとため息をつき、顎を膝の上に乗せる。途端にお腹がグウと鳴った。思い返せば、昨日の昼から何も食べていない。それでも昨夜はヨットの中で十分な睡眠がとれたせいで、肉体的な疲れはほとんど残っていなかった。ところが精神的疲労のほうは、今になって堰を切ったように萠黄の頭上や両肩に覆いかぶさってきた。 むんが誘拐された。その一事に尽きる。 思い出したくなくても、あの堅田の裏ぶれた喫茶店の奥の畳部屋、柊の薬によって眠らされた齋藤やハジメの姿が脳裏によみがえってくる。 (むんの身にもしものことがあったら) そう思うとたまらなくなる。冷静でいられなくなる。「偵察してくる」と言って飛び出したのは、じっとしていられそうになかったからだ。真佐吉や迷彩服たちに先手を取られてばかりの現状に、たまった鬱憤が爆発しそうになったからだ。 その上、味方が次々と行方不明ときては──。 ビルの屋上から飛び立ってすぐ、萠黄は和久井から受け取ったむんの携帯電話を開いた。ギドラはそこにいた。 ヨットで分かれたままの清香と齋藤に連絡をつけたいと言ったところ、ギドラの答えは無情にも、 《ダメだ。清香さんの携帯は電源が入ってないか、電波の届かないところにいるよ》 というものだった。 ふたりはあの後、殺到してきた迷彩服たちによって囚われの身となったのか? 自分だけ別行動をとったのは失敗だったのだろうか? さらには自分や久保田を逃がす盾となったハジメはどうしたのか? 大学の時のように持ち前の技で敵を撃退することができたのか? 彼らがもしも真佐吉や迷彩服の手に落ちたとしたら、自由に動けるリアルは自分だけだ。 萠黄は心細さにますます動けなくなった。ギドラが先ほどからしきりに呼びかけてくるが、真佐吉につながっている可能性を思うと相手にする気がしない。ずっと「ああ」や「うん」などと、生返事ばかり繰り返している。 萠黄はもう一度、WIBAの街並を俯瞰した。 彼女の目に映る建物群はどれも現実味に乏しかった。理由はすぐに判った。建物はどの壁面もまるで判で押したようにグレーに統一されているからだ。多少の濃い薄いはあり、「WIBAにようこそ」などと書かれた原色の垂幕などが掛けられたりしているものの、ほとんどの建物は味も素っ気もない色をしていた。その上、奇妙なことに、どの窓も一様に小さかった。 「未来都市なんて、かえってこんなもんかな」 それにしても見栄えが良くない。萠黄は心の中でWIBAに赤点を付けると、そろそろ戻ろうと立ち上がった。 まさにその時。 萠黄の厳しい採点に異議を申し立てるように、WIBAは「決起」した。 WIBAは目覚めたのだ。 数分前──。 桟橋の上、WIBAに向かうジープの中で、シュウが真崎に報告していた。 「宝井社長がようやくセキュリティ解除のパスワードを白状しまして、我々もこうしてWIBA内部に部隊を送り込むことができました」 「やったのか?」 真崎が短く訊ねる。 「手の甲に錐を刺してやっただけです。ただ──」 シュウは笑うとも怒るともつかない表情をした。 「どうした?」 「これも真佐吉のしわざでしょうが、セキュリティ解除と同時に、ネットテレビが一斉に広告を流し始めたのです。内容は宝井の談合汚職に関する暴露記事で、彼が強請られていた内容はこれでしょう。隊長代理の読みどおりでした。これは政界を巻き込む一大スキャンダルに広がるでしょう」 「平時ならな」真崎はぽつりと言っただけで話題を変えた。「小学校裏手に潜んでいた連中は取り逃がしたらしいな」 「はい。残念ながら、捕獲できたのは小田切ハジメという青年だけです」 「野宮助教授の開発した秘密兵器か」 「人工ブラックホール技術を応用したもので、リアルの能力を一時的に奪い去るんだとか」 「あの太鼓腹がやっと役に立ったか」 「青年は特殊な檻に放り込まれました。これも助教授お手製です」 「だが逃がした魚は大きい」真崎は近づくWIBAの建物を見上げながら言った。「まあ、逃げた萠黄らも、いずれここに来るだろう。今度こそ決着を──」 真崎が前を見たまま絶句した。シュウも上司の視線を追って前方に視線を向けた。 「!」 「何だこれは!?」 |
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