Jamais Vu
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第19章
魔王の迷宮
(7)

「ど、ど、どこまで行くんだ?」
 久保田が震える口で訊ねる。
「おふたりにはひとまず、どこか安全な場所に隠れてもらいます!」
 萠黄が口早に答えた。
 高度五百メートルの空の上である。久保田は血の気の失せた顔で硬く目を閉じていた。船の上は平気でも、空の上はかなり苦手らしい。
 逆に、和久井助手は、珍しげに小さく見える街並を眺めている。見た目以上にタフかもしれない。
 萠黄はふたりの手を必死でつかんだまま、真っ向から吹きつける風と必死に闘っていた。ひとりでも大変なのにふたりを連れての飛翔は、バランスが非常に取りにくいということを萠黄は初めて知った。
「それで」久保田は唇を舐めながら言う。「萠黄さんはその後、どうするんだ!」
「WIBAに乗り込みます。柊さんは真佐吉さんとつながっているはず。それにリアルでもないむんを連れ去ったのは、わたしをおびき寄せるため。としたら、むんを連れ込んだのはWIBAに間違いないでしょう!」
 萠黄は大声で答えた。声を張らないと強風に負けて、相手の耳に届かないのだ。
「そうか──それなら俺も行こう!」
「危険すぎます! あそこには迷彩服も待ち構えているし、真佐吉さんがどんな罠を仕掛けているか判らないんですよ!」
「いいさ、乗りかかった船だ!」
 久保田は彼らしいたとえを口にして萠黄の手を強く握った。その手の平には薬指と小指がなく、中指も満足には動かない。
「ここまでいっしょに行動してきて、最後だけ外れるなんて、気になる映画のラストを観ないようなもんだ!」
「私も参ります!」
 和久井もおかっぱ髪を風に乱しながら叫んだ。
「もー、どうなっても知らんよ!」
 萠黄はかぶりを振ると、さらに高度を上げた。

 上空から見おろしたWIBAは、完全な正方形をしていた。久保田と和久井を連れた萠黄は、中央に立つビルの屋上に着地した。
 久保田は腰が砕けたように、その場に尻を降ろしたが、萠黄はビルの縁に近寄って地上を見下ろした。
 眼下にはちょっとした広さの正方形の広場がある。中心には琵琶湖をかたどった人工池があった。いまその近江舞子辺りで鈍い光がゆっくりと点滅している。WIBAの停泊地を示しているのだ。
 広場は萠黄のいる建物によって、コの字型に囲まれている。屋上から観察した限りでは、建物は入れ物が完成した状態でストップしたらしく、将来は百貨店になるのかホテルになるのか、萠黄には見当がつかなかった。
 コの字の開いたほうは広い下り階段になっていて、その先は左右に伸びた大通りにつながっている。
 今その大通りを迷彩服を乗せた数台のジープが横切っていくのが見えた。
「あの連中も入り込んでやがるのか」
 久保田が背後で苦い声を上げた。その手がパソコンを持っている。
「それは?」
「ああ、俺たちのグループの戦利品さ」
 久保田はWIBA記念館のことをかいつまんで話した。
「信太さんは亡くなったん!?」
 久保田は、自分はその場に居合わせなかったんだがと言い、
「砂状化した自分の身体の砂をつかみ取って、敵に目潰しを喰らわせたらしい。根性のある男だったんだな」
 萠黄は呆然とした目を広場に落とした。
 すると突然、空気を震わすような鐘の音が広場に鳴り響いた。哀感をそそる音だった。鐘は七回鳴った。
「午前七時か」
 パソコンの時計表示を眺めていた久保田は、ふと正気に戻ると、
「萠黄さん、これだよ」
と言って、メニューから『WIBA地図』を選んだ。たちまち画面の上にWIBAの立体CG地図が現れた。
「スゴいやん、久保田さん。その赤い点は?」
「迷彩服どもだ」
 全体を俯瞰できるサイズに縮小すると、その上を動き回る赤の+点が無数にあることが判った。
 萠黄はなるほどこれは確かに戦利品だと思った。これがあれば広いWIBAの中で迷わずに済む。
「あっ、紫が陸から渡ってくるぞ」
「紫は誰なん?」
「真崎だよ」
 萠黄はまばたきをとめて画面に食い入った。
「ハジメさんは? 清香さんと五十嵐さんは?」
「残念だがそこまでは無理だ」
 萠黄は地団駄を踏んで怒りを表明した。いっしょにいた仲間が今や散り散りバラバラだ。無理もない。
「わたし、真崎に会って訊いてくる!」
「それは無謀すぎる。衝動で動いちゃいけない。こちらも作戦を練ってかからないと敵の思う壷だぞ」
 久保田が諌めると、萠黄は頭を掻きむしり、そのまま床の上にあぐらをかいて座り込んだ。それを見た久保田が抑えた口調で言い添える。
「まずは偵察が必要だ。我々にはふたつの敵がいる。真佐吉と迷彩服たち。彼らの裏をかくには──は──」
 後が続かない。
 萠黄と和久井は久保田の顔を覗き込んだ。久保田は苦笑混じりで頭に手をやるしかない。
「まあ作戦はこれから考えよう」
 萠黄は立ち上がって、尻のほこりを払い落とした。
「わたし、偵察に行ってくる」
「ひとりでか?」
「うん」
「それなら」横から和久井が話しかけた。「これを持って行くといいですよ」
 彼女が出したのは、むんの携帯電話だった。
「立体地図がこの中にコピーされてます」
 萠黄は、ありがとうと言って受け取った。
「気をつけて行くんだぞ。俺はこの地図を検討して、電力を一番使えそうな場所を探しておく。転送装置はきっとそこにあるだろうからな」
 萠黄は右手でオッケーの印を示すと、広場に向かって跳躍した。


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