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-260- 第19章 魔王の迷宮 (6) |
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一度の跳躍で、萠黄はWIBAを見おろす高さにまで舞い上がった。ところが予想だにしなかったものがそこで待ち受けていた。 「うわっとと」 萠黄はオオヒシクイの群れの中に飛び込んだのだ。萠黄のまわりで羽ばたきと鳴き声が激しく交錯した。 萠黄はバランスを崩し、百メートルほど落下したが、苦闘の末、なんとかバランスを取り戻すのに成功した。 鳥の群れをやり過ごし、ホッと一息ついた時、背中がじんわりと温かくなった。遥か前方に見える比良山系の峰々に赤味が射していた。夜明けの曙光が新しい一日の始まりを高らかに告げていた。 萠黄に景色に見入っている余裕はない。先を急ぐべく自分を包んだ空気に、徐々に加速をつける。 今度は遠方からヘリコプターのローター音が聞こえてきた。ヘリは南から近づいてくる。距離はまだずいぶんあり、あさっての方角に向かっていたので萠黄が見つかったわけではなさそうだ。 いちおうの安全を考えて、萠黄はさらに高度を上げた。すでに空を飛ぶ技は完璧なまでに身につけていた。 あらためて湖面を見おろす。 この高さまで来ると、さざ波が小さな皺程度にしか見えない。そしてWIBAはあくまで巨大な偉容を誇らしげに広げている。 湖岸線を越え、近江舞子の上空に達した。 朝陽を浴びた近江舞子の街並は、くっきりと浮き彫りのように萠黄の足許に広がっている。 彼女にはこの辺りの土地勘はなかったが、JR線をなぞって駅のホームを発見すると、ほんの少し離れた場所に土色のグラウンドを発見した。小学校だ。 萠黄は急降下した。 すると学校の裏手の、狭い道路に面した家から久保田が出てくるのが見えた。 「久保田さん!」 勢いよく着地した萠黄に、久保田は意表を突かれたらしい。えっという顔をして、空を見、また萠黄を見た。 「あ、もう来たの」 「柊さんはどっちに逃げましたか?」 「それが……スマン、気を失っていて」 久保田は汗にまみれた顔を素直に下げて詫びた。 「誘拐されたのは、むんだけですか」 「いや、五十嵐さんも伊里江君もいなかった。和久井君は俺同様、気絶させられていた」 柊はリアルを選って連れ去ったのだ。 (堅田では、わたしと齋藤さん、ハジメさんの三人を手土産に、真佐吉と交渉するようなことを言ってた。でも、わたしらはうまく逃げおおせて、柊さんにしてみれば恥をかくような結果になった。もしかしたら名誉挽回のつもりで新たな三人をさらったのかも) しかし、むんはリアルではない。なぜ彼女までも。 (わたしをおびき出す餌にするつもりか──) 萠黄はまた怒りが込み上げてくるのを感じた。 「おい」 ぶっきらぼうな声が天から降ってきた。 ハジメが萠黄の横に降り立った。萠黄よりも安定した着地だったのは、飛び慣れているからだろう。 「ハジメさん、来てくれたん」 萠黄がうれしそうに言うのを無視してハジメは、 「敵がもうそこまで来てる」 と言って、ふたりを敷地内に押しやった。 「敵──迷彩服が?』 ハジメは頷く。萠黄は久保田を振り返り、 「急いで逃げましょう」 「そうだな、和久井君を呼んでくる」 久保田はすぐに彼女を連れて戻ってきた。和久井はすでに白衣を脱いで着替えていた(目立ち過ぎるため)。他に荷物はむんと伊里江のリュックやパソコンぐらいである。 「来たぞ!」 ハジメが指差す方向から車の音が近づいてきた。久保田はここまで乗り付けた車を出そうとしたが、とても間に合わない。 「うるさい蠅どもめ」ハジメは肩頬を上げて吐き捨てると、「ここは俺が引き受ける。行け」 「でも」 「アンタは親友を取り返せ」 ハジメは、十代の少年とは思えない大人びた口調で言うと、あとは振り返りもせず、路上に出ていった。 萠黄はその背中に「ありがとう」と言い、久保田と和久井の手をつかんだ。 「わたしの言うとおりにして。一、二の三で息を止めて力を抜くの。昇りのエレベータに乗るんやと思えばいいから」 ふたりは心細そうな顔で頷いた。 「行きますよ。せえのっ!」 三人の足がふわりと浮いた。すぐに加速が付き、まるで天に向かって落下して行くような錯覚を久保田は感じた。和久井はヒッと一声漏らした後は、ずっと瞼を閉じていた。 ハジメに殺到したリアルキラーズは総勢二十人あまり。手に手に銃やマシンガンを持っているのはいつものとおりである。 迷彩服たちはハジメが民家の前に立っていることに気づくと、前触れもなく撃ってきた。弾丸の雨が降り注ぐ。 「へっ、能もない繰り返しか」 銃弾はハジメに当たることなく、路面に転がり落ちる。 ハジメはポケットに手を突っ込んだ格好で、迷彩服の前に一歩、二歩と歩み出た。迷彩服たちはハジメに圧される形で、じりじりと後退を始めた。 「ホラホラお前ら、早くウチ帰って寝ろよ。帰らないと全員砂にしてやるぞ」 不敵なセリフを投げつけながら、なおもハジメは四歩、五歩と前に出る。 ちょうど家と家のあいだまで来た時だった。 背後を突くように、狭い路地からハジメに向けて、一本の光線が浴びせかけられた。 ハジメは素早い動きでよけようとした。ところがなぜか身体が思うように動かなかった。 光線源をたどると、奇妙な形をした銃から出た光線の色は「黒」。光のない光線だった。 奇妙な銃を構えた迷彩服の背後には、あの野宮助教授の姿があった。 「新しい──秘密兵器か」 今や足はおろか、腕も首も動かせなくなった。 野宮は「やめ」と告げると、ゆっくりとハジメに近づいた。 しばらく、相手の顔を覗いていた野宮は人差し指を突き出し、ハジメの額を軽く押した。ハジメの身体は石膏に塗り固められたように、同じ姿勢のまま路上にひっくり返った。 |
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