Jamais Vu
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第18章
湖上都市へ
(10)

 むんは反射的に背後を見上げた。
 降りてきたスロープの向こう、記念館の玄関付近で人の声がする。
(誰?)
 むんのところからは死角になって見えない。
(ここの職員ならいいけど、違ったら──)
 むんは五十嵐と信太に隠れるよう合図した。三人はそれぞれタッチパネルの陰やショーケースの後ろに身をひそめた。
 足音がスロープを降りてくる。
「村井。お前、シュウさんについて、今朝ここへ来たんだろ? その時、玄関の鍵を開けたまま帰ったのかよ」
「北尾さーん、いつもながら神経質な人ッスねえ。俺、そんなこといちいち覚えてないッスよ」
 むんは聞き耳を立てながら、注意深く顔を覗かせた。
(リアルキラーズ!)
 ふたりはつい先ほど、真崎に直接命令を受けてやってきた迷彩服たちだった。
 彼らの内の若いほうがフロアに降り立った途端、あれえと間の抜けた声を出した。
「どうした」
「先輩! 立体映像が出てる」
「データを持っていった時、スイッチを切り忘れたんだろう」
「いや、それだけは俺、覚えてます。確実に切りました。誰かがまたスイッチを入れたんです」
「誰かって」北尾が腰の銃を抜くと、辺りに目を走らせた。「誰だよ」
 シーンと静まり返る。
 鈍い村井も、北尾の緊張した顔に事態を察知したらしく、あわてて腰に手をやった。
「誰かいるのか?」
 北尾が柔らかい作り声で問いかける。
 むんたちはますます物陰の奥へと身体を押し込む。
「お前、リアル探知機を出せよ」
「持って来なかったッスよ」
「役立たず!」
(よかった)
 むんはひとまず安心した。うまく隠れて彼らをやり過ごせれば、逃げる方法も見つかるだろう。
(でもこの人たちは何をしにここへ──)
 北尾は油断なく前に出ると、ぐるっと部屋を見渡している。
「とにかくお前は仕事をやれ」
「へ?」
「データの消去だよ!」
(消去!?)
 しまったとむんは心の中で舌打ちした。
(わたしたちの手に、立体図面が渡らないようにするためやね!)
 もう一度覗くと、銃を構える北尾の背後で、後輩村井は持ってきたノートパソコンを投影機に接続し、消去作業にとりかかろうとしている。
(どうしよう。地図をあきらめる?)
 しかし複雑に入り組んだ街と噂の高いWIBAに、立体地図なしで挑めるのかどうか。真佐吉の策略に負けないためには、喉から手が出るほど欲しいデータであることは間違いない。
(一か八か、わたしが囮になって彼らをホログラフィ装置から引き離すか。……でも、ひとりが追ってきても、もうひとりが消去作業に徹していたら──五十嵐さんたちが相手をしてくれればいいんだけど、この状況じゃ、連絡し合うこともできない)
「データの消去、準備できました」
「──よし、やれ」
 村井がリターンキーに指を掛けた。押せばデータは永遠に失われる。
「待ちなさい!」
 むんは震える喉で大声を出した。
「誰だ!?」
 北尾がむんの隠れているショーケースに銃を向けた。村井は押し掛けた指を空中で静止させている。
「女だな。出てこい」
「話を聞きなさい」むんは負けじと声を張った。「あなたがたがいま触っている投影装置。そこのデータを改変すれば、この地下展示室に仕掛けた爆弾の起爆装置に電流が流れる仕組みになっています」
「何だと!」
 北尾の表情がみるみる真っ青になった。
「先輩ぃ!」
 村井が気弱な声を上げる。
「バカ! 嘘に決まってる」
 北尾は後輩を叱ったが、伸ばした手が村井に「消去は待て」と言っていた。
「出てこい、オンナ!」
 北尾が再び吠える。
 むんは少しばかり落ち着いた声で、
「出ていくのはあなたがたのほうです。速やかに建物から退去することを命じます」
 しかし北尾は首をひねると、
「おかしいな。いったい何のために爆弾を仕掛けた?」
 妙に思うのも無理はない。むんも自分が理屈に合わないことを言ってるという自覚はある。ただ時間を稼ぎ、彼らの注意を自分にそらしたいだけなのだ。
 北尾はゆっくりとショーケースに近づいてくる。もう距離は三メートルと離れていない。
 むんの額を熱い汗がつたった。
「待ちたまえ」
 その時、部屋の隅に隠れていた五十嵐が立ち上がった。
 これには北尾も度肝を抜かれたようだ。
「──ア、アンタは確か、大学に気球で乗り込んできた大将じゃないか」
 声が大きく動揺した。なにしろリアルの登場である。
 対する五十嵐は、あくまで沈着冷静な物腰で、
「婦女子に銃を向けるものではない」
 言いつつ両手を挙げながら、前に出てきた。
「止まれ! それ以上こっちに来るな!」北尾の銃口が今度は五十嵐に向けられた。「くそっ、リアルに面と向かって撃ってもダメだったんだよな。畜生、いったいどうすりゃいいんだ!」
 北尾は自分の処理能力を越えた事態に直面し、激しく混乱していた。
(彼らは小物や。恐れるに足らん!)
 むんは一気にたたみ掛けるべく声を出した。
「リアルに勝てるわけはないわよ。戦ったらあなたがたは確実に死ぬ。さあ、武器を捨てなさい」
 むんの耳に、北尾の激しい息遣いが聞こえる。
(もうあと一押し──)
 しかし、むんも五十嵐も、信太の動きにはまったく気づいていなかった。
 信太は壁際を忍び足で移動し、むんの反対側にまわった。するとノートパソコンを抱えて、おろおろと立っている村井の姿が、彼のちょうど目の前にあった。
 信太は考える前に、書棚のあいだから飛び出していた。そしてデータの消去を阻止するべく、身体ごと村井のパソコンにダイビングした。
 ドンッ、ドンッ、ドンッ。
 銃声が三度鳴り、三発の銃弾が信太の身体を貫いた。


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