Jamais Vu
-250-

第18章
湖上都市へ
(7)

 信太の策によって、数多くの車が町へ散っていった。彼らはむんたちが目指す近江舞子方面ばかりでなく、南の浜大津や京都へも向かった。すべて信太の指示による。
「考えることがいちいち細やかだねえ」
 久保田が感心した声を出すと、
「ワタクシの頭には、さまざまな戦略軍略が入っているのです」
と信太は誇らし気に答えた。軍事マニアという自称は、そういう意味だったらしい。
「我々もそろそろ出発するか」
 久保田が膝を叩いた。すでに準備はできている。
 七人乗りワゴンには、運転手に久保田、助手席にはナビ係のむん、ミドルシートには信太と五十嵐、リアシートに和久井と伊里江。
 それぞれが乗り込んで、シートベルトを締めた。
 むんはバックミラーでそれとなく後ろを観察する。
 伊里江の調子は相変わらずで、目の下の隈が痛々しい。
 和久井は久保田から引き離され、何度目かの拗ねモードだ。能面の下の表情もかなり読めるようになってきた。
 信太はネット上の地図でなく、紙の地図とにらめっこしている。逆探知を恐れてネットに接続しないという「掟」を忠実に守っているのだ。
 五十嵐は──ただただ窓の外を眺めていた。
 五十嵐と信太のふたりは、比較的地味な配色のポロシャツ&スラックス姿に改めさせた。信太は不満そうだったが、軍服ではあまりにも目立ち過ぎる。
 ついでに和久井助手も。白衣を脱がせると下は意外にもピンクのサマーセーターだったので、むんは意表を突かれた。これも恋のなせる技か?

 出発したワゴンは、もちろん国道には出ず、多少悪路でも山際の道をたどっていくことになった。
「迷彩服たちの持つリアル探知機は、半径百メートルほどしか有効半径がないそうです。だからニアミスしない限り大丈夫でしょう」とむん。
 左には(伊里江にすれば右)には比叡山。右を見おろせば琵琶湖。ワゴンはうねうねと続く道を走り始めた。
 目指すは、近江舞子。
 そこに浮かぶ、湖上都市WIBA。
「あのお坊さん、ヒイラギといったかな」
 唐突に五十嵐が訊いた。
「はい」
 むんが顔を後ろに向ける。
「彼はお坊さんでも何でもなかったというのは本当かな。しかも仲間を裏切ったとか」
 萠黄がメールで教えてくれた衝撃の事実だ。
 リアルキラーズの攻撃をいとも簡単に退け(詳細は書かれていなかった)、齋藤とハジメに麻酔剤を打ち、彼らを手土産に真佐吉と交渉しようと企んだという。
 むんはハイと答えて、心中では別のことを考えていた。
 萠黄たちは間一髪で柊の魔の手を逃れることができたと聞き、むんはホッと胸を撫で下ろしたが、
(わたしを残して出ていったのは、ヴァーチャルなんかでは役に立たないと思われたからやろか……やろな)
という思いが捨てきれない。
(当然やわね。そばにいてたら、わたしを庇おうとしてかえって萠黄が窮地に立たせるかもしれへんし)
 それでも自分は萠黄をサポートしようと誓った。きっとリアル世界にいるリアルな自分も「萠黄を助けてあげて」と必死で念じているに違いないから──。
「お、お待たせしましたー」
 信太は起立するように立ち上がった。その結果イヤというほど天井に頭を打ちつけてしまった。
「──どうしました?」
 何を待たせていたというのか、久保田たちがいぶかしんでいると、
「ツツツ……湖上都市に関する情報をまとめたのですー。ネット検索は無理なのでー、過去に受信したメールマガジンなどから編集しましたー」
 信太は頭を押さえながら、湖上都市の来歴について述べ始めた。それは前述したとおり。
 ここ三ヶ月は近江舞子のほとりに浮かんでいる。
 陸地から渡る通路は付いているが、当然ながら関係者以外は立ち入り禁止。中にいるのは、メンテナンス会社から派遣された十数人ばかりの人間だけ。
「敷地はですねー、これはスゴい! 縦横一キロメートルありますー。五十メートル四方のパネルが四百枚合わさってできているとかー。建物類は地上だけでなく地下、つまり水中ですねー、そちらにもあるんだそうです」
 湖に浮かぶパネル? むんは蓮の葉に乗るカエルを想像した。
「聞いていると、子供の頃、映画で見た未来都市のようだな。これからそこへ向かうのかと思うと、ちょっとばかりワクワクしてきたよ」
 久保田はのんきなことを言いながら、くねくねと曲がる山道を右へ左へとハンドルを切る。しかし、むんがその横顔を覗くと、言葉とは裏腹に緊張感が頬をヒクつかせていた。
「……未来都市が、大きな罠となって待ち構えている」伊里江の苦し気な声が全員の耳を打った。「……皆さん、油断しないでください。奇策を好む兄のことです。何が待ち受けているか──。とにかく我々が真っ先に探すべきは転送装置です」
「そうやね」
 むんが引いた顎に指を当てた。彼女は気づいていないが、たいていの男性が心をときめかせる仕草だ。
「となると、内部の詳しい情報が欲しいなあ」
「書店によりましょー。解説本かムック本が置いてあるかも──」
「いいえ。もっといい所があります」
 信太の声を遮ったのは意外にも和久井助手だった。
 全員が耳を疑った。まさかの人物の発言である。
「お嬢さん、それはどこかね?」
 五十嵐が上体を反らして、後部座席に問いかけた。
「WIBA記念館があります。そこを訪ねれば湖上都市全体の立体地図が入手できます。デジタルデータも配布しているので、携帯電話にコピーすればいいでしょう」
 むんは伊里江兄弟の秘密基地で見せられた立体地形図を思い出していた。確かにあれは役に立つ。
「へえー、そんな施設があったとはね。貴重な情報じゃないか。で、場所はどこなんです?」
 和久井は久保田に訊ねられたのがさもうれしかったのか、息をはずませて答えた。
「わたしの生まれ故郷なんです。最寄り駅は小野で、記念館は駅前にあります。堅田の一駅北です」
 信太がすかさず地図を広げ、額に手を当てた。
「アチャー、湖岸のキワ、国道沿いですねー。こりゃーヤバい!」
 堅田で迷彩服がウヨウヨしているなら、小野にも──。
「行くしかあるまい。和久井さん、ありがとうよ!」
 久保田はアクセルを強く踏んだ。
 薄目を開いて何げなく隣りを見た伊里江は、奇妙な動物を見たように両目を丸くした。
 和久井助手が顔面を真っ赤にしてうつむいていた。頬に押しつけた両手のあいだからは、裂けたような口がへらへらと笑っていた。
 ハッと伊里江の視線に感づいた彼女はあわてて顔をそらした。しかしあわて過ぎた。額をゴンと窓に打ちつけてしまったのだ。幸い、誰も気づかなかったが。



[TOP] [ページトップへ]