Jamais Vu
-247-

第18章
湖上都市へ
(4)

 エンジン音が徐々に間合いを詰めてくる。存外に音が軽い。
 ハジメは操縦席の後ろに置いてある布袋をひっくり返した。手の平に収まる大きさの石くれがごろごろと床に転がり出た。こんなこともあろうかとあらかじめ用意しておいたのだ。
 ハジメは手に取り、強烈な光を放つサーチライトのひとつ目がけ、渾身の力で投げつけた。距離にしてホームベースから二塁ほどの開きがあったものの、石は見事にライトに命中し、ひとつの明かりが消えた。
 間を空けず、二投、三投とたたみかける。敵側があわてて消灯に奔走したので、破壊されたのは最初の一基だけで済んだようだ。
 暗い湖上に接近する船の姿が浮かび上がる。
 予想した通り、船体はさして大きくはない。さらに目を凝らすと、軍艦とは似ても似つかない。ただの大型クルーザーである。
 連中も「徴発」したのかとハジメは苦笑した。確か上陸したのは陸軍だけだったしな。
 だが船上に見える長身の人影はどれも肘を上げた姿勢をとっていた。銃を構えている。
 ハジメは操縦席のライトを切った。
 敵側の銃がうなりを上げた。しかし、その時にはもうハジメは空にいた。
 彼はいち早く跳躍し、敵の大型クルーザーに降り立った。そばにいた兵士は、天から人が降ってきたと驚いたが、ハジメにとんと脇腹を突かれ、悲鳴を残して水面に落ちていった。
 混乱が起こった。敵襲だ、ライトをつけろと叫んでいるらしい。ハジメは再び宙に舞い上がった。そして身体を丸くすると、自らが大きな石つぶてとなって船体に襲いかかった。

「ハジメめ、壇ノ浦の義経のつもりか」
 齋藤が実況中継よろしく叫ぶと、感極まったように何度もシートを叩いた。
 ハジメの跳躍を萠黄も清香もキャビンの舷窓からはっきりと見た。ちょうど雲間から月が現れた直後で、車輪のようにクルクルと回転するハジメの身体が月と重なり、ふたりの頭にウサギを連想させた。
 それも束の間──ハジメは遥か宇宙の彼方から落下した隕石のように、米軍のクルーザーへと我が身を突き刺した。
 炸裂音が辺りに響いた。続いて火柱が上がる。米兵たちが次々と水の中へと飛び込んでいく。
「うはぁ、こりゃまるで戦争やのう」
 仰天する齋藤の言葉に萠黄は、
「そうですね。もう始まったんですね」
 大型クルーザーはみるみる傾いていった。あたりの水面は炎に映し出され、船体の破片や溺れる米兵の頭部が波間に揺らいでいる。
 船縁にハジメが姿を現した。服や髪はあちこちが焦げ、顔は煤にまみれていた。ウサギなら黒ウサギだ。
 彼はなおも用心深く振り返っていたが、すでに戦闘能力を失った船は海面に没しつつある。
 ハジメは戻ろうとしたのだろう、腰を屈めて跳躍の姿勢をとった、その時。
 ダーン。
 銃声が鳴った。
 ハジメははじかれたように横倒しになり、船体の影に埋もれて見えなくなった。
「ああっ」
 清香が悲鳴を上げる。萠黄はそれより早く、入口の蓋を開き、操縦席へと飛び出した。
 冷たい風が髪の間を抜けていく。
 炎、蠢く外人、砕けた部品や木片。眼前に展開する光景は、ガラス越しに見ているのより遥かに生々しかった。
 狭い操縦席では助走もできない。萠黄は距離を目測すると、意を決して床をタンと蹴った。
 ふわりと身体が浮き上がる。
(お尻の下から包み込むように空気を持ち上げんねん。その量を調節すれば、望むだけの飛距離が出る)
『西遊記』で孫悟空が操る斛斗雲。彼女はそれを連想した。もちろん銃弾を防ぐべく、空気の鎧も身にまといつつ。
 羽毛のような柔らかさで船縁に着地する。
「ハジメさん!」
 彼の姿はすぐ見つかった。片足を立てておき上がろうとしているが、もう一方の太ももから出血している。
「かすり傷だ。どうってことない」
 ジーンズににじむ血もほとんど広がっていない。大した傷ではなさそうだ。
「バランスを崩しただけだ。くそっ」
 ハジメは萠黄の出した手につかまり、起き上がった。
「飛べる?」
「問題ない」
 ハジメは萠黄の手を振りほどこうとしたが、萠黄は離さなかった。いっしょに飛べば安定感が増す。萠黄は目でそう言った。ハジメはそれ以上抵抗しなかった。
 すでに大型クルーザーは半ばまで沈んでいた。急ぐ必要がある。しかし謎の銃声は誰が撃ったのか判らないままだ。
「行くよ」
 萠黄が言い、ハジメは無言で頷いた時。
 ザザザッと波を蹴立てて、一艘の中型クルーザーが、沈む船と清香たちのクルーザーとの間に割って入った。
(他にも、おったんか!)
 中型クルーザーがポンと奇妙な射出音を放った。
 それが網であることに気づいた時には、ふたりともその中に取り込まれていた。
 予想外の攻撃に動揺するふたり。
(こんな網くらい!)
 萠黄は指をかけて出口を広げようと試みるが、引っ掛けた指がなぜか動かない。それどころか、動けば動くほど頭や腕や足に吸い付いてくる。
「静電気か? チクショー」
 ハジメも悔し気に声を荒げる。ふたりは真空パックされた状態で引きずられ、船縁を越えると、冷たい湖水の中にドボンと落ちた。


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