Jamais Vu
-246-

第18章
湖上都市へ
(3)

「あの湖上都市なら、転送装置を動かす電力も十分に供給できそうね」
 夕刻。
 さざなみ街道とも呼ばれる湖岸の道路が夕陽に美しく照り映える頃、萠黄、清香、齋藤、ハジメの四人は、ここまで乗ってきたクルーザーに再び乗船していた。
 清香が、湖西の山陰に入ったウィーバを見つめながら言ったのは、コテージ村での相談を覚えていたのだろう。
「格好の隠れ家にもなりそうやしね」
 ふと漏らした萠黄の言葉に、齋藤が噛みついた。
「隠れ家やと? あないに堂々と浮かんどるやないか。しかも空にデッカく『来たれ』なんて書きおってからに、敵にも見られるっちゅーねん」
「ホンマにね」
 萠黄が緊張感の漂う声で応じると、齋藤は「ほう」と感心した声を上げた。
「お嬢ちゃん、あんたは真佐吉に会うたことがあったんやったな。どんな性格した奴っちゃ?」
「電話で話しただけですけど……彼は遊んでるんです」
「遊ぶ?」
「空に伝言を書くなんて度の過ぎたオフザケもそう。自分の替え玉を使ってわたしたちが元の世界に帰るのを邪魔したのもそう」
「ああ」
「彼は自分で言いました。これはゲームなんだって」
「それじゃ何かい、わしらはゲーム盤の駒か?」
 齋藤は高らかに笑った。八十歳だけに笑いにも貫禄がある。
「奴さんがゲームの気分で来るっちゅうんやったら、こちらも負けてられんな、なあ、ハジメ」
 突然に名前を呼ばれても、ハジメはふてくされた顔で窓の外を見ているだけだった。萠黄は齋藤に加勢するつもりで、
「ずいぶんと愛想のないお孫さんですね」
「孫? アッハッハッハ」
 齋藤は腹を抱えて笑った。
「こいつはわしの孫やない。行きずりの、赤の他人や、ハッハッハッハ」
 笑い声は萠黄の「ひどい」という非難の声までかき消した。

 また夕暮れが訪れた。
 船を砂の上から動かす役割は、ハジメが買って出た。清香は「力を加減してね」とアドバイスしたが、ハジメは片手を舳先に当てるようにして、すーっと、いとも簡単に船体を湖上に押し出した。
「かなり使い慣れてるわねぇ」
 船内から見ていた清香はうなった。萠黄も彼の技は何度も見せられている。ひょっとしたらこの世界で最高のリアルパワーの使い手かもしれない。
 ハジメは砂地を蹴ると、身軽に甲板に飛び乗った。
 湖上は深い藍色に染まっている。
 対岸には、ところどころで道路の明かりがついており、オレンジ色が湖の上に帯のように伸びている。
 クルーザーは向きを変えると、しずしずと幻想的な湖面に滑り出した。船を「押す」役もハジメが担当した。
 もっともハジメは「船なんな乗らずに、ひとっ飛びに飛んでいけばいいじゃないか」と文句を言ったが。
 今回もエンジンは使わないので、まるで手漕ぎボート並の、静かな航海である。
 船体は長さ八メートル、幅二メートル半ほど。操縦席はむき出しで、ふたつしか座席はないが、中に降りるとそこそこの広さのキャビンがある。夜風がけっこう冷たかったので、操縦をハジメにまかせて、三人はキャビンへと降りた。
「まさかこのトシになって船遊びができるとは思わなんだ。両手に花やし、長生きはするもんや」齋藤老人はご満悦である。「これで酒でもあれば申し分ないんやが」
「冷蔵庫はカラでしたよ」
 萠黄は先回りして言った。
 外から見えないように、キャビンの中は暗くしてある。おかげで窓からは外の様子がよく見えた。
「むんさんたちと、わたしたちと、どっちが先に到着するかなあ」
 清香が訊ねるともなくつぶやいたのは、出発する前に湖西にいるむんたちとやりとりしたメールのことだった。
 むん、久保田、伊里江、五十嵐らのグループも、湖上都市ウィーバに向けて移動することを決めた。直線距離ならむんたちのグループのほうが倍くらいある。しかしむんたちには移動手段がなかったので、まずは車探しが必要だった。
 夕方に来たメールでは、どうにかレンタカー会社を発見し、数台の電気自動車を「徴発した」と書かれてあった。
「まるで戦時中やな」と齋藤。
「本当の戦争はこれからかもしれませんよ」と萠黄。
「ハハハ。そら楽しみや」
 琵琶湖は、楽器の琵琶を逆さにした形をしている。柊と遭遇した堅田では、左右の岸は非常に接近しているが、そこから北にかけて徐々に広がりを見せ、萠黄たちが横切ろうとしている辺りでは十二キロほどの距離があった。
 左舷の窓に黒々とした島が見える。沖島は湖岸からわずか二キロのところに浮かぶ、琵琶湖最大にして唯一、人の住む島である。
 その島影から一隻の船が音もなく動き出した。そして音もなく接近してくると、突然、サーチライトが灯され、強烈な光をクルーザーに浴びせかけた。
『ソコノフネ、トマリナサイ』
 外国人のしゃべるような日本語だ。
「何よ、あれ!」
「米軍や!」
『トマリナサイ、イマスグニ』
 言葉はたどたどしいが、有無を言わさぬ調子で停船を促している。
「くっそー、失礼なくらい眩しいのう。何も見えへんやないか」
「と、とにかく上に!」
 その時、キャビンの入口からハジメの顔が逆さまに覗き込んだ。
「動くな。そこにいろ」
 彼は言うと、入口の扉をパタンと閉じた。


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