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-241- 第17章 裏切りの湖畔 (14) |
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薬に言葉を奪われた萠黄を前に、柊は一方的にまくしたてる。 「このヴァーチャル世界にいる限り、リアルは超人です。そのメリットを捨ててまで、リアル世界に戻るなんてバカげてますよ。我々は無敵なんです。我々ふたりがタッグを組めば怖いものなどありません。世の中を思い通りに動かすことだってできるのです。何者にも縛られず、我々にとって住み良い世界を作ることだって可能です! ね? どうです、魅力ある話でしょう?」 しきりに『我々』を連呼する柊拓巳。その舌が回れば回るほど話の内容は薄っぺらになっていく。萠黄はそう感じた。 「でも我々の前には避けて通れない敵がいる。伊里江真佐吉。彼が社会に対して抱く恨みは相当深いらしいね」 いつしか口調が馴れ馴れものに変わった。 「リアルが全て殺され、彼が本懐を遂げられなかったとしても、元の世界に舞い戻り、再度、鏡像世界を作られようものなら、これはもうイタチごっこだ」 柊の言い分は矛盾している。真佐吉が元の世界に戻るには転送装置が必要である。しかし最前、真佐吉はすでにそれを破壊したろうと断定した。彼は思いつきで都合のいい論理を組み立てているだけだ。萠黄を自分側に引き込むために。 「俺の考えはこうなんだ」柊は身を乗り出した。「真佐吉に対して妥協案を呈示する。何も地球を丸ごと吹ッ飛ばす必要はないじゃないかと説得するんだ。気に入らない奴らがいるならそいつらだけ消せばいい。北海道を消したようにね。なら、リアルは何人も必要ない。そう言い聞かせ、確保してあるリアルを譲り渡す用意があることを真佐吉に示すわけだ」 萠黄は眼球だけを動かして、眠り続ける齋藤とハジメを見た。柊はそれを察すると、 「そうだよ。彼らは交渉のための人質だ。ここに到着した時に、君と同じ薬で眠ってもらった。さらに君の後を追って他のリアルたちが来てくれるなら大助かりだ。彼らにも人質に加わっていただこう。真佐吉の弟もいたね。彼が手の内にあれば、交渉は成功したも同然だ」 萠黄は動けないことが悔しかった。動けたらこの男の頬を張っていただろうに。 (徳の高そうなお坊さんだと思って油断してた!) 「交換条件はもちろん、俺と萠黄さんには一切干渉しないこと、そして我々が暮らしていくための土地の確保だ。さらにもうひとつ、十四日目に真佐吉がリアルの起爆スイッチを押す時に立ち会うことも求めたいな」 柊はにやりと笑った。 「さらにダメ押しで、もしもチャンスがあったなら──、萠黄さん、俺は真佐吉をヤるつもりだ」 柊はこれまでに見せたことのない、ふてぶてしい表情を浮かべた。もはやお坊さんのイメージは払拭する覚悟らしい。 「ただし、真佐吉が思いを遂げた後でだ。そのほうが真佐吉の警戒も解けるだろうし、だいいち我々以外のリアルに生き残られると困るからね」 萠黄の目に涙があふれた。どうしてこんな男を信用してしまったのか。やはり自分には人を見る目がない。 「俺の声が聞こえたという地震はその手始めだった。あれは真佐吉を呼び寄せるために起こしたものだ。一日も早くリアルを押さえたい真佐吉なら、強力なリアルがここにいることに気づいただろう。……真佐吉よりも前にリアルキラーズをおびき寄せてしまったのは計算外だったがね」 柊はしゃべり疲れたのだろう。首を上下左右に動かすと、おもむろに立ち上がって背筋を伸ばした。 「さて、俺は見回りに行ってくる。次は真佐吉とリアルキラーズのどちらが現れるかな。ハハハハハ──」 ハッハッハッハッハ。 ──だしぬけだった。 笑い声の二重唱。柊の笑い声に、別の笑いが重なった。 「だ、誰だ!」 柊は瞬時に身構えた。萠黄も眼球だけをぐるぐると動かして発声源を求めた。 笑い声はクックッという癇に障る含み笑いに変わった。 しかし声の主の姿はない。 もちろん齋藤の声でも、ハジメの声でもない。ふたりは萠黄に足の裏を見せたまま、静かに寝息を立てている。 笑いは消え入るように小さくなった。 「──そんなバカな」 柊のつぶやきを萠黄の耳は逃さなかった。するとそのつぶやきに呼応するように、正体不明の声は言った。 『拓巳、お前なにをしとる』 「──親父」 (な……なんで? 柊さんのお父さん?) 萠黄の頭の中にクエスチョンマークが充満した。しかし声は委細構わず流れてくる。 『小さい頃から気が小さいくせに、虚勢ばかり張りおって、このバカ息子が!』 そこには我が子の醜態に呆れる親の嘆きが込められていた。 「ウソだ! 親父は三年前に死んだんだぞ!」 『まあ聞け、拓巳よ』 父親の声は、恐ろしく威厳にあふれている。柊は蛇に睨まれたカエルのように膝を震わせて立ちすくんでいた。 『世の中はな、お前を中心に回っているのではないし、お前の知っていることがすべてでもないぞ。このヴァーチャル世界というのはな、霊魂の存在する世界でもあるんだ』 萠黄は仰天した。霊魂!? 『この十日間、父はずっとお前を見守ってきた。嘘ではないぞ。出来の悪い息子を遺して死んだ親としては当然の行動だ。……しかしお前は勤める病院でもあまり評判はよくなかったようだな』 「ウルサイ、親父には関係ない!」 柊が真剣な口調で言い返す。どうやら声の主が父親であると認めたようだ。だが父親は息子の叫びには耳を貸さずに話を続ける。 『宿直明けにお前の姿がなく、薬品が多数紛失してることに気づいた病院の人々が何と言ったか知ってるか? ああ、アイツならいつか何かやると思っていた、だと。父は顔から火が出るほど恥ずかしかったぞ』 「顔もないくせに言うな」 スネた声を返す柊。完全に父親に飲まれている。 『そして家まで訪ねてきてくれた病院の同僚たちを、お前は惨殺したな。新しく得た力を試すためと称して』 「………」 『続いてやってきた所轄の警察署の警官たちも同じ目に遭わせた。さすがに街にいられなくなったお前は逃亡した。山中の鄙びた寺に身を隠し、住職には寝食の世話になったというのに、これも殺めてしまった。今お前の着ている袈裟が何よりの証拠だ』 (──連続殺人犯!) 『自暴自棄の一歩手前だったお前は、悪運が強いと言うか、タイミングよく、リアルに集合をかける広告をネットテレビで見た。生き延びる道はこれだと思ったお前は、追っ手を眩ますために頻繁に地震を起こして街を混乱に陥れた。あの騒ぎで何人が砂になったと思う?』 「俺の知ったことか……」 言葉の威勢はいいが、声に張りはなかった。柊は生前の父親に対して、まったく頭が上がらなかったようだ。 『拓巳よ、これ以上、父に心配をかけさせるな。お前がそんなでは父は成仏できん。お嬢さんに謝罪して、解毒剤を打ってあげなさい』 萠黄は柊の父親に感謝した。霊の存在については横に置いておいて。 柊は形の良い目を閉じて、父親の声に聞き入っているように見えた。 が、突然その目を開くと、 「そこか!」 と叫び、畳を蹴った。 |
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