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-238- 第17章 裏切りの湖畔 (11) |
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清香は萠黄の背中で、顔を両膝の間に埋めて震えている。萠黄もできれば見ていたくはなかった。逃げ出したかった。 それでも萠黄は両者の戦いから目が離せなかった。 リアルキラーズは後退を余儀なくされていた。すべての武器が通用しないではどうしようもない。たったひとりのリアルのパワーは圧倒的であり、迷彩服の仲間たちは次々と倒されていく。 (もう十分や。はよ逃げ!) これでは人間とアリの戦いである。いや、戦いにもならない。萠黄は自分にとっても敵であるはずの迷彩服たちが哀れに思えた。 それでも彼らは諦めきれないらしく、包囲を解こうとしない。中途半端な状態で睨み合いが続く。 「うわっ」 迷彩服のひとりが悲鳴を上げ、ふわりと空中に浮き上がった。萠黄は柊を見る。柊は前に突き出した右手をゆっくりと上げていく。またエア・ハンドだ。リアルの超能力を前に、ヴァーチャルは逃げる術がない。 柊の手が肩越しに後ろへと動いた。 「うわぁーーーっ」 迷彩服の男は絶叫を残して、はるか夜空に吸い込まれていった。 十秒後。柊の背後にある琵琶湖大橋、その橋桁の辺りで、湖面に水しぶきが上がった。 リアルキラーズは一斉に逃げ始めた。「本体に合流し、出直しだ」などと叫んでいる。彼らの辞書に『諦める』という言葉はない。諦めてしまってはリアルキラーズの存在意義がなくなる。 街は静かになった。ただ、湖岸に打ち寄せる波の音が聞こえてくるだけ。 横倒しになった観覧車の上に、柊の姿はすでにない。 「ねえ、清香さん、清香さん」萠黄は振り返った。「急いで降りましょう」 「どうするの?」 「柊さんと合流するんですよ」 「イヤ」清香は両手で胸を押さえながら激しく拒否した。 「わたしは行かない。あんなコトする人のところには」 「しかたがなかったんですよ。だって──やらないとやられるし」 「あなたも? 萠黄さん。あなたも同じ人間を相手にあんなことするの?」 ヴァーチャルとリアルは同じ人間なのだろうか。萠黄の心に、今さらながらそんな疑問がよぎった。 「………」 「わたしにはあんなの許せない。与えられた力は、人の怪我を治したりすることにこそ使うべきよ。人を殺めたりしてはいけない」 萠黄だって清香の考えに同意したい。 「清香さん、きっと柊さんは追いつめられたんよ。そやから戦うしかなかったんやと思う」 「やりすぎよ! 過剰防衛よ! 怪我ぐらいでも命に関わることは知ってるはずでしょ?」 同感だった。しかも僧が殺生をおこなったのだから、清香でなくても受けた衝撃は大きい。 清香は立ち上がると、萠黄に背を向けた。 「わたし、帰ります」 「………」 「ごめんなさいね。萠黄さんを責めてもしょうがないのにね」 そう言って清香はコンクリートの床を二、三歩あるいて立ち止まった。しかし萠黄が追ってこないと知ると悲しそうに首を振り、固い床をポンと蹴って、夜の闇の中に消えていった。 (またひとりかぁ) 萠黄はゆっくりと立ち上がると、看板の間から顔を覗かせ、耳をすました。リアル耳には人の気配が感じられない。 萠黄はスーパーの屋上から路上へと飛び降りた。 辺りを警戒しながら、ひしゃげた観覧車に近づく。幼少の頃、彼女はこの大観覧車に乗った記憶がある。直径百メートル以上もある巨大な代物を、どうやって倒すことができたのか。 柊の姿はどこにもない。萠黄は声を出して呼びたかったが、どこに敵の耳があるか判ったものではない。黙って奥へと突き進む。 ここにはさまざまな遊戯施設があったはずだ。しかし今は観覧車を除いて、それらしき建物は見当たらない。あるのは広い駐車場だけだ。その向こうに喫茶店のような建物がある。しかし明かりは灯っていない。 ぞくぞくするほどの静けさ。萠黄はとりあえず、早足で喫茶店に向かうことにした。 駐車場の真ん中を横切る時、 (いま狙われたら隠れようがないわ) と肝を冷やしたが、幸い何ごともなく、店の前に到着した。 柊はここにいるのだろうか? 店の入口のシャッターは上がっていた。ガラスのドアを手で押すとギィーッと音が鳴った。 「──もしもーし」 中からの応答はない。萠黄は勇気を出してドアを押し開いた。 外からの光に頼って店内を見回す。テーブルや椅子はすべて部屋の端に乱雑に積み上げられていた。 カウンターの奥が、家屋の中へと続いている。今そこからかすかな光が漏れていた。やはり柊はここにいるに違いない。萠黄は足音を忍ばせて、前へと進んでいった。 すぐ前に壁があり、通路が右へと続いている。 萠黄が顔をそっと覗かせた時、 「誰だ!」 と鋭い声がした。と同時に萠黄は首をつかまれ、身体を壁に押しつけられた。 「──萠黄、さん? 萠黄さんじゃありませんか!?」 柊だった。 |
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