Jamais Vu
-235-

第17章
裏切りの湖畔
(8)

「堅田に行きましょう!」萠黄が叫ぶと、
「……安易には判断しかねますね」
 伊里江が冷静に言葉をはさんだ。
「そうだな。飛んで火に入る夏の虫になるかもしれん。それこそ迷彩服の思う壷だろう」
 久保田が言うと説得力が増す。萠黄はしゅんとなったが、心中に不満が残った。
《あのー。ちょっといいかな》
 ギドラが声を上げた。
 人間のおとなと遜色のない会話を交わすPAIに、全員が、好奇と恐れの入り混じった視線を投げ掛ける。
《まだ話せる情報があるんだけどな》
「あるなら、もったいぶらずに話してよ」 
 萠黄が突っ込んだ。ギドラは長い舌をチロリと見せると、
《シビレを切らした米軍が動き出したみたいだよ》
「米軍──また戦闘機が飛んでくる!?」
《それはないみたいだ。向こうもなかなか戦略面で苦労してるようで、爆撃しても本当にリアルを倒せたかどうか判らない。それでは困るというので、陸上部隊を差し向けることになったらしい》
「部隊ってつまり、迷彩服のアメリカ版か?」と久保田。
《そういうこと。彼らは鏡像世界が生まれた直後に、国内の米軍基地で編成されたんだ。さすがのボクにも彼らがどのくらいの規模なのかは判らない。ただ、君たちが京都にいた時には、すでに名古屋方面に上陸を完了していたらしいことはハッキリしてる》
 萠黄は寒気を感じた。また敵が増える──。
《日本政府も君たちの転送が失敗したことで面目を失ったようだ。国会は空転してるし、アメリカの強攻策に対しても、抑えることはできないみたいだね》
「誰か、真佐吉さんの居場所をつかんだ人はおらへんの? あなたはどうなん?」
 むんが訊いた。そうだ、すべてのターゲットである伊里江兄の居所だ。
《おそらく誰も捕捉できてないと思う。それらしきコードネームも、彼らのやりとりする会話やメールに現れないからね。かくいうボクもさ。真佐吉さんの電話やメールは、常に完璧なセキュリティで守られている。京都工大で若手研究員を脅迫した電話だって、発信元は全くつかめなかった》
「……兄は、転送装置を持っています。ということは、装置を動かすための電力が供給できる場所にいるはずです」
「電力会社か?」と久保田。
「……電気を大量に使っても怪しまれない施設ですね」
「滋賀県にそんな場所あったかなあ」
「ダムとか──」
「どうかな、キングギドラさん」むんが訊ねる。
《県内には数カ所あるよ。でも治水用を除いて、大津市内となると見当たらないな》
 誰もがハアとため息をついた。
 その直後だった。
 ズズズゥゥゥゥウゥウゥウゥンンン。
 テーブルが小刻みに震えたかと思うと、床がドンと激しく上下した。女性たちが悲鳴を上げる。
 コテージの壁や床がギシギシと軋み、空気までがビリビリと振動している。皆はテーブルの下に潜り込んだ。
 萠黄はテーブルの脚をつかんで目を閉じていたが、頬に風を感じて薄目を開いた。
 目の前には明るい色の板壁があるだけだ。窓はない。それでも萠黄は顔に圧力を感じた。
『………ぉぉぉおおおおおおぉぉぉ………』
「柊さん!」
 萠黄は理解した。それは柊拓巳の声だった。
 しかし声はすぐに消え、揺れも徐々に治まっていった。
「皆さん、怪我はありませんか」
 久保田が呼びかける。女性たちは互いの無事を確認しながら、ぞろぞろとテーブル下から出てきた。
「今の地震、柊さんがやったんよ!」萠黄は全員の顔を見て言った。「清香さん、エリーさんには聞こえへんかった?」
「……いいえ」「全然」
(そんな)
 萠黄はがっかりしたが、あきらめず、
「ねえ、柊さんは今この瞬間、誰かと戦ってるんとちゃうかな。応援に駆けつけたほうがいいかも」
「でもね、萠黄」むんが諭すように、「もう夜中よ」
「そんなん関係ないよ」
「あるよ。だいいち、どうやって堅田まで行くの」
「車でも借りて」
「さっき、信太さんに訊いたけど、ここには一台もないんやて。仮にあったとしても、ライト灯して走ったりしたら、すぐに衛星カメラに発見されるって」
「なかったら歩いてでも行くべきや。朝になってからじゃ、やっぱり見つかると思う」
 話は平行線をたどるばかりだった。
 萠黄は焦りを感じた。
 柊の声には、ぞっとするような響きが含まれていた。迷彩服か米軍に包囲されたのではないか。なんとか逃げようと地震を起こしたのではないか。
 不満が募る。萠黄はポケットに入れたままのスポーツドリンクを飲もうと、力まかせにキャップを回した。
「痛ッ」
 キャップは回らず、強く握った指がキャップの上をこすっただけだった。
「逆よ」
 むんがすげなく言う。そう、この世界ではネジ巻きの方向は反対なのだ。萠黄は飲む気を失った。
 皆の顔に疲労の色が浮いていた。
 ここまでと見て、年長者の久保田が場の意見をまとめた。
 いま動くのはかえって危険、しかし日が昇ってから移動するのもマズかろうとして、夜明け前に周辺の様子を観察しながら、堅田に向かおうということで落着した。
(悠長過ぎる。あと五日しかないというのに……。やっぱりヴァーチャルの人とは感じかたが違うんかな)
 萠黄は決心した。こうなったら、ひとりででも行こうと。


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