Jamais Vu
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第17章
裏切りの湖畔
(7)

 ポケットから取り出した携帯電話を、しかし開かず、手の中でこね回しながら、萠黄はぽつぽつと話し始めた。
「学園前のモデルハウスで朝を迎えた時、迷彩服が攻めてくるって言うたよね。あの情報は、突然わたしの携帯に現れた、見たこともないPAIからもらったんよ」
「モジ君やなくて?」とむん。
「うん。彼はNASAで開発された特別なPAIで、世界中の携帯を勝手に渡り歩いてきたんやて。電波や回線をつたって人の携帯から携帯へ、コンピュータからコンピュータへと旅をしてるんやて言うてた。だからとてつもない量の情報を彼は持ってる。それで、たまたま立ち寄ったわたしに危険を教えてくれたというワケやの」
 萠黄は一息つくと、すぐに早口で続けた。
「彼はPAIの原則を踏み出した存在やから、人間に見つかったらヤバい。だから黙っといてくれとわたしに頼んだ。わたしも情報をもらった手前、断るわけにはいかへんかった。でも……今まで黙ってて、ごめんなさい」
 萠黄は頭を下げ、さらに続ける。
「わたしが自宅でサキさんに撃たれた時も、彼は助けてくれた。そして問題の京都でも、絶体絶命の時にリアルのパワーを使えと、これ以上ないタイミングで助言してくれたんよ。まるで守護神みたいに」
「そのPAIは、まだいてるの?」
 萠黄は二つ折りになった携帯を開いた。液晶画面は塗り潰したように黒一色だった。
(約束破ったんで、どこかに行ってしもたんやなあ)
 ところが見ているうちに、黒い画面の中央にうねうねと動く真っ赤な物体が現れた。それは急速に3D化し、画面から飛び出してきた。
 わっと驚いて、萠黄は上体を引いた。
 さらに屈託のない笑い声が萠黄を驚かせた。
《ハッハッハ。ひっかかったねー》
「ギ、ギドラ!」
 赤い物体はギドラの舌だった。黒いと見えたのは、彼の口の中だったのだ。
《裏切り者には、お仕置きだっ》
 萠黄は喉まで出かかった文句の言葉を飲み込んだ。
《むんさん、初めましてだね。ボクはギドラ。そちらの大きい人もよろしく》
「キングギドラ……」
 突然湧いて出た、緻密で精巧なキングギドラのCGに、むんも久保田も息を飲み、呆気にとられ、呆然として、言葉を失った。
《なんで出ていかへんかったんよ、と聞きたそうだね、萠黄さん》
 ギドラは、この場の主導権を握ったと言わんばかりに、得意げに三つの首を揺らしている。
《理由は単純明快。ここにいると面白いことに出くわしそうだからさ》
 そんなギドラに初見のふたりはおそるおそる顔を近づける。
「はー、よくできてるなあ。さすがNASA製だ」
 感心する久保田を尻目に、むんは無言を通している。萠黄はそれが気になった。
《今はあんまり長居する空気じゃなさそうだね。それでは皆さん、またお会いしましょう》
 ギドラは鱗をきらめかせると、煙のように消え去った。
 残された三人は、空中に飛散した金粉にしばらく目を奪われていた。
「──あれが本当にPAIなのかい? 俺の知ってるのとはずいぶん違うな」
「知能レベルは相当高いと思う」萠黄が補足する。「わたしも最初は信じられへんかったけど」
 むんが上体を起こした。萠黄は上目遣いに親友の顔色を盗み見る。するとむんは、
「やめなさい。そんな目で見るのは」と萠黄をたしなめた。「秘密にしたのは理由あってのことなんでしょ?」
「ごめんね」
「謝るなっちゅーの」
 むんは拳を作って萠黄の頭を軽く小突いた。
 久保田も顔を上げる。
「まあ、PAIとはいえ、心強い味方のようだから、仲良くしとくに越したことはないな」
「そうね」サバサバした口調でむんが言う。そして自分の携帯を取り出して時計表示を見て、「そろそろ打ち合わせの時間やね。このまま行きましょうか」
 三人はバーベキューハウスを出て、何ごともなかったように、伊里江のコテージに向かった。
 この辺りは山の裾野である。遠くに月に照らされた琵琶湖の湖面を望むことができた。
「あら、こんばんは」
 途中で歩いてきた清香と合流した。四人はそのまま歩を進め、伊里江のコテージをノックした。
「……熱は引きましたが、本調子ではないので、このままで失礼します」
 伊里江はソファで横になっていた。客の四人はダイニングテーブルを囲んで着席した。
 メインの議題は、明日からどう行動すべきか、だったが、真佐吉がどこにいるのか判らない現在、実りある会合は難しい。
 伊里江真佐夫が、天井を見つめながら言う。
「……紆余曲折はありましたが、リアルが大津に集まってくるのを知って、兄はきっと笑いが止まらないでしょう。自分の筋書きどおりになったと」
「悔しいな」ぽつりと久保田が言う。
「……彼は必ずコンタクトをとってきます」伊里江は続ける。「それを待っていては、後手に回るでしょうが」
「お坊さんはどこにいるんでしょう」と清香。「あのおじいさんやお孫さんとも合流できればいいのにね」
 萠黄はギドラに訊ねてみようと携帯をテーブルの上に置いた。もはや隠し立てする必要はない。
「ギドラ、他のリアルさんたちの行方は判らへんの?」
 すると待っていたように金色の首がにょきっと飛び出した。一本ずつ、ワン、ツー、スリー、と。
《アハハ、萠黄さん、知らなかったんだね。あの三人とも、携帯電話は持ってないんだよ》
 がっかり。萠黄は肩を落とした。
「……その動物、何ですか?」
 萠黄は伊里江と清香のために、もう一度説明しなければならなかった。彼女は、伊里江にも裏切り者と誹られるのを覚悟した。だが彼は何も言わなかった。不満そうに唇を尖らせはしたが、それ以上に未知のPAIに対する興味が勝ったようだ。伊里江の目は大きく見開かれ、萠黄の携帯を瞬きもせずに見つめている。
《ただ、いくつか面白い動きがあるよ》人間の感情など知ったことかと、ギドラは楽しげに話し続ける。《街角のカメラが捉えた映像によるとね、迷彩服の御一行がある場所を目指して動き出してる》
「それって、まさかココ?」とむん。
 全員が身体を強ばらせる。
《残念。ハズレだよ》
「もう! クイズやないんよ。どこだか早く教えてよ」
《ここから湖岸に沿って北に行ったところにある、堅田の辺りさ》
「堅田──琵琶湖大橋のたもとやないの」
「そうか」久保田が指をパチっと鳴らした。「柊さんたちはそこに“着地”したんだな」


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