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-233- 第17章 裏切りの湖畔 (6) |
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冷たい夜風がサーッとふたりの間に吹いた。 (聞かれてたのか……) それもそうだと、萠黄は口許をゆるめた。 (久保田さんはすぐそばにいてたんやし) ここまでやなと顔を上げたところ、久保田はくるりと背中を向けた。 「べつに答えたくなければ、答えなくてもいいよ。いや、きっと俺の空耳だったんだ。スマン! 忘れてくれ」 久保田は言うと、さっさと足を動かして帰り始めた。 「待ってよ!」 萠黄は追いかけて久保田の腕をつかんだ。 「説明します。いえ、説明させてください」 萠黄は久保田を、半ば強引にバーベキューハウスの屋根の下に連れ戻した。久保田は困った顔をしたが、逆らうことはしなかった。 萠黄は呼吸を整えた。 そして、思い切って打ち明けた。 「あの声は──PAIです」 「PAI?」 萠黄は羽織っているウインドブレーカーのポケットから携帯電話を取り出そうとした。しかし、いっしょに入れていた財布がひっかかり、地面に落ちた。 久保田は腰を曲げて拾い上げ、萠黄に手渡そうとした。 まさにその時──。 キャアアアアアアアアアアアアアアア。 女性の悲鳴が夜の静寂を破った。 「な、なんだ? 誰だ?」 久保田と萠黄は声の方向に目を走らせる。 そこは立ち木が列をなしていた。暗くて判然としないが、声はその辺りからしたように思えた。 久保田が一歩、屋根の下から出た時だった。 「あうっ」 立ち木の陰から意外な人物が、白衣をひらめかせながら飛び出して来た。 誰と問うまでもなかった。 「和久井さん……」 おかっぱ頭の京都工大筵潟研究室の助手は、足を踏ん張って体勢を立て直すと、肩を怒らせた様子で立ちすくんだ。街灯の明かりが逆光になっているので表情が読めない。萠黄は手で筒を作って呼びかける。 「どうしたんですかぁ? まさか痴漢に襲われた?」 「萠黄さん、『まさか』はよけいだよ」 「すみません……」 なにしろさっきの絶叫はただごとではない。衣を裂くという表現がピッタリくるような悲鳴だったのだ。 和久井助手は動かない。いやかすかにプルプルと震えている。萠黄と久保田はその近づきがたい様子に顔を見合わせた。 と、和久井助手の後ろにまた別の人物が現れた。やはり痴漢か、と萠黄が身構えた瞬間、新たな人物は呆れたような声を上げた。 「和久井さん。いい加減にしなよ」 むんだった。むんは和久井の背中を押しながら、久保田の前までやってきた。 「むん、シャワーを浴びてたんやないの?」 「窓の外を挙動不審な人影が通り過ぎたんで、あわてて服を着て、追っかけてきたんよ」 「むんさん。これはいったいどういうことですか。さっきのは和久井さんの声だったようだが」と久保田。 むんはそれに答えず、おかっぱ助手の前に回ると、さりげない口調で言った。 「あなた、久保田さんが好きなんでしょ?」 すると、和久井助手の顔面がまるで化学反応を起こしたように真っ赤になった。 「え、そうなん?」 萠黄はとんちんかんな声を発して、和久井助手の顔を見、久保田の顔を見た。 むんはハアと一息吐くと、 「だから職場を放り出して、こんな危険な逃避行についてきたんよね。今だって久保田さんが散歩に出かけたのを知って、つかず離れず追いかけてきた。ふと見ると、久保田さんと萠黄が親しげに話してる。こんな時間に深刻そうな顔で。何を話してるんだろう。気になる。ちょっとだけ観察してみよう。木陰から見えないように。そうしたら久保田さんが萠黄に接近した。勘違いした和久井さんは思わず悲鳴を上げて──」 (そ、そうなん?) 萠黄は息を飲んだ。 「久保田さんは、彼女の想いに気づいてた?」 「うっ……まさか、とは思ってはいたが」 ガーン。萠黄ショック。 (気づいてなかったのは、わたしだけ?) 秋の夜風が吹き過ぎていく。Tシャツ姿の久保田には肌寒いはずである。けれど彼の前でうなじまで真っ赤に染めた白衣の才女のほうが、この場には不似合いだった。 突然、和久井はうつむいたまま駆け出した。萠黄に肩をぶつけながらも、そのまま一直線に自分のコテージの方角へと走り去っていった。はためく白衣の残像を残して。 「……むん、なにもここで言わんでも」 萠黄が非難の視線を向けると、 「いいのよ」むんはきっぱりと言った。「彼女は自分からは絶対に告白せえへんやろうしね。わたしも見てて、イライラしてたんよ」 「そんなに前から気づいてたん?」 「アレ? まさか萠黄は気づいてなかったとか?」 「くっ……気づいてました!」 「ウソやね」 萠黄はまたショックを受けた。バレてる。 「気づいてたら──まあ、いっか」むんはひとりで納得すると「じゃあ、先にコテージに帰ってるから」とふたりに背中を向けた。 「あ、待って」 萠黄は久保田との本題を思い出し、むんを呼び止めた。 「むんにも聞いてほしい話があんねん」 |
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