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-232- 第17章 裏切りの湖畔 (5) |
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信太が急かすように昇れ昇れと促す。 まさかこんな樹々の生い茂る飛行場もないだろうにと、萠黄は文字どおり、狐につままれたような気持ちで、タラップに足を掛けた。 しかし、登り詰めるとそこには思いもかけないものがあった。萠黄は、 「なぁ〜んや」 と、がっかりともホッとしたともとれる声を上げた。 リフトである。 確かに空の旅といえなくもない。 リフトのケーブルはここを始点とし、樹海の中へと真っ直ぐに伸びている。 「ケーブルの上には、枝葉が傘のように覆い被さっていますから、いっさい空からは見えません」信太は得意げだ。「そしてそしてー、このリフトは京都と滋賀の県境に横たわる山々を横断しているのですー」 「すると終点は──」 「はい。大津です」 そういうことだったのか。萠黄は笑えてきた。 ガコンと大きな音がして、リフトを運ぶケーブルが動き出した。 スキー場にあるようなペアリフトである。萠黄は最前列、つまり先頭のリフトに乗るという栄誉に浴した。 むんと並んで腰かけると座席はギシッと鳴った。新しくはないが、手入れはされているようだ。 振り向くと、仲間たちが次々とリフトに乗っていく。 上を見れば、アーケードのように被さった枝の間から空が見える。 リフトはゆるやかな登りで延々と動いていく。時には太い木をこするように、時には川のせせらぎの聞こえる谷間を越えて。 やがて山の稜線に到達した。 するとふたりの目の前に、忽然と巨大な湖が現れた。 琵琶湖である。 「うほおおおおおっ」 萠黄とむんは同時に声を上げた。 まさかこれほどの景色を味わえるとは予想もしていなかった。そこだけ樹々がまばらだったのだ。おそらく信太の祖父は計算してリフトを作ったのだろう。なかなかしゃれた人だなと萠黄は思った。 湖の対岸は、萠黄たちの背後から差す陽光を受けて、まばゆいほどに朱に染まっている。 萠黄とむんは、うっとりと景観に見入っていた。 むんがぽつりとつぶやいた。 「ここが、最終決戦の場なんやね」 萠黄は顔から笑みを消すと、じっと湖面の輝きを見つめていた。 終着点では、先回りした信太の部下たちが待っていた。萠黄たちは、彼らによって火の灯された宿泊施設へと案内された。広大な緑の敷地に大小さまざまなコテージが点在している。 管理棟に集合した萠黄たちを前に、例によって信太が熱っぽく説明する。 「こちらの『信太コッテージ村』は現役ですから、居心地は良いかと存じますー。皆さんには、まずはここで疲れを癒していただき、明日からの真佐吉討伐に備えていただきたいと思いますー。いじょー」 それだけ言うと、アッという間に五十嵐の休む「コッテージ」へと消えていった。 久保田は半分あきれ顔で、 「じつにマイペースな人だなあ。助けてくれたから悪くは言わんが、俺はどうも苦手だ」 時刻は午後七時。 遅い昼食を腹いっぱい食べたので、誰も晩ご飯をどうしようとは言わず、すぐに割り当てられたコテージへと引き込んだ。それでも萠黄とむんは、今後のことを相談しようと清香や久保田らと八時に待ち合わせすることにした。 コテージはログハウスになっていて、どの部屋も家族が泊まれるほどの広さがあったが、時節柄、宿泊者はおらず、各人が一軒ずつ利用できることになった。 もちろん、萠黄はむんと同室である。 「むん、シャワー、どうぞお先に」 「それではお言葉に甘えて」 萠黄は備え付けの冷蔵庫を開いた。あいにくとカラだ。 「管理棟に自動販売機があったから、何か飲むもの、買うてくるわ」 「スポーツドリンクをお願い」 「あいよ」 萠黄は財布を握って表に飛び出した。 コテージ村の中は、歩くのに困らない程度に外灯がついていた。萠黄はバーベキューハウスの横を通って管理棟にたどり着くと、財布から百円玉を三枚出した。 お金を見たのは何日ぶりだろう。改めて観察すると、文字はどれも左右が逆である。それでも丸いから取り扱いに困ることはない。いや、この世界に放り込まれて十日。たった十日なのにすっかり鏡像世界に慣れてしまった自分に驚きを感じている。 硬貨を自販機に投入する。ボタンを押す。スポーツドリンクのミニボトルがごとんと取り出し口に落ちた。取り出す。もう一度押す。続けて二本目が落ちる。 なんら操作に困らない。 (元の世界に帰れたら、やっぱり最初は戸惑うやろか) そんなことを考えながら、ボトルを抱えて来た道を戻り始めた。 「萠黄さん」 突然暗闇から名前を呼ばれて、萠黄の心臓は止まりそうになった。 「え──ああ、久保田さん」 「何してたの?」 「ちょっと飲みものを買いに」 「ああ、そう」 久保田はズボンのポケットに手を突っ込んだ。 「なあ萠黄さん、ちょっといいかな?」 「何でしょう」 久保田はバーベキューハウスに向かう。萠黄も後についていった。 「ひとつ、君に訊きたいことがあるんだ」 屋根の下に入ると、久保田は前置きもなしに切り出した。萠黄の心臓は心なしか高鳴った。 「はい」 久保田は言いにくそうに膝を上下にさすっていたが、 「いや、純粋に疑問に感じたことなんだが……、今朝、大学で君が作業員に倒されたとき、俺の耳にはっきりと聞こえたんだ。リアルの力を使え、とか何とか」 萠黄の背中を冷たい汗が落ちた。 「………」 「あと、甘えるな、みたいな声も。明らかに君の声じゃなかったし、周囲にそれらしき人物もいなかった。あれは俺の空耳かい?」 |
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