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-230- 第17章 裏切りの湖畔 (3) |
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遡ること、十五時間前。 萠黄やむんたちを乗せたバスは、京都の街並を左へ右へと駆け抜け、気がつくと建物は姿を消し、鬱蒼とした森の中の険しい道を突進していた。 運転手は巧みにハンドルを捌いている。 「あの」ゆらゆら「どこまで」ぐらぐら「行くんでしょーか?」 元はバスの運転手という永倉は萠黄の質問に、 「もうすぐでさー」 と威勢よく答えた。しかし萠黄は同じ返事を十回以上聞かされていた。その間もバスは速度を落とさず、乗客たちは乗り物酔いに悩まされていた。 「平気そうやね」 むんが青ざめた顔で訊いた。萠黄はうんとだけ応えておいた。リアルパワーの恩恵であることは間違いない。 「あと数分で到着します。お荷物をお忘れなく」 車掌・信太が乗客に注意を与えた。 バスはようやく速度をゆるめ、木々の間の空き地に停車した。エンジンが静かになる。 「こんなところで降りるん?」 萠黄は、直接、大津まで行ってくれるものだと思い込んでいた。信太が閣下と呼ぶ五十嵐老人にとっても、大津行きは重要なミッションであると、ここまでの道すがら、強引に説き続けていた。しかし、リアルやヴァーチャルなどの概念は、信太の理解を超えているらしく、話は常にそこで止まってしまう。 「まーこの信太めにおまかせーください」 「でも」 まーまーを繰り返しながら、信太は底の硬い靴で騒々しくステップを降りていった。 萠黄はむんと顔を見合わせた。むんの後ろには久保田が目を閉じて横になっている。指の怪我のせいで熱を出したのだ。奇妙なのは傍らで彼を看病している和久井助手だ。彼女は必死の顔付きで久保田の額の濡れタオルを交換している。 「あの人、なんでついてきたんやろ」と萠黄。 「さーねえ」とむん。 最後部のシートに寝かされている伊里江は、熱冷まし用のシートを乗せられたままである。また、別のシートには五十嵐が寝かされている。彼は意識を取り戻したものの、未だ夢うつつをさまよっている。 「これ以上、揺れるバスに乗せとくのも気の毒やね」 萠黄は頷くと、窓の外に目を移した。 外は陰々として暗い。高く聳える木々が天蓋のような木の葉で陽射しを遮っているためだ。 太い木の幹の向こうから、突然、数人の人間が湧き出すように現れた。信太が手を振る。どうやら味方らしい。 萠黄は携帯の時計を見た。午後三時。 信太が駆け戻ってきた。 「どーぞ降車してくださいー。仲間たちがご案内しますのでー」 「あれもお仲間やったん?」 「そーですそーですー。あらかじめ彼らをここに残らせて、食糧の補給などをやらせてましたー。ちなみにこの森はワタクシの祖父の私有地です。めったに他人は入ってきませんから、ご安心をー」 信太は鼻にかかる独特の抑揚で説明すると、まだ意識の戻りきらない五十嵐を、運転手の永倉と背負って、先にバスを降りていった。 萠黄、むん、清香は、少しは歩けるようになった伊里江を支えながら後に続く。久保田もふらつく足取りで和久井とともにステップを降りた。 全員が降りるとバスはそのまま走り去っていった。 やわらかな下生えの間に、踏みしめた一本道がある。その先を歩いていくと、やがて一軒の家の前に出た。 「祖父が昔使っていたコッテージですー」 信太は「ッ」を特に強調して建物を紹介した。 「ぼろっ──」 むんは言った口を慌てて閉じた。 外壁のペンキは剥がれ落ち、絡み合った蔦がその上をびっしりと覆っている。見るからに使われなくなって久しい二階建てのコテージである。 先着の仲間たちによって掃き清められた玄関を入ると色褪せた絨毯の敷かれたロビーがあった。投げ出したようにソファが並べてある。一同はひとまずそこに落ち着いた。 五十嵐は隣接する寝室に寝かされたが、伊里江と久保田は大丈夫と言って横になるのを断った。 「ここまで参謀として付いてきたんだ。ラストまで見届けさせてもらうよ」 久保田は力なく笑う。 「さーさー皆さんハングリーでしょー。昼抜きでしたから、少し多めの食事をご用意しましたー」 一同が食堂の扉をくぐると、テーブルにはパンや料理が山のように盛られていた。それを目の当たりにして驚かない者はいなかった。 「食糧難のご時世だというのにスゴいな」 久保田がクロワッサンを手でひっくり返しながら言うと、 「祖父の家から分けてもらいましてー」 信太は胸を張って応えた。 食事は萠黄たちと信太たちグループの幹部クラスとの会食の形でスタートした。例によって肉や魚介類はない。食材は野菜ばかりである。 「ここは京都と滋賀の県境の辺りですよね」 むんは野菜サラダをボールからよそいながら訊ねた。 「ほーれふほーれふ」 信太は猛烈な勢いで食物を口の中に掻き込んでいる。 「このコテージに寄ったのは、ご飯を食べるためだったんですか?」と萠黄。 「それもーありますがー、最大の理由はー、追っ手をまくためですー。だってあなたー、ずっと心配してらしたでしょー?」 「ううん」萠黄は首を横に振った。「そういう心配はしてませんでした。彼らにわたしらを捕まえるつもりはないと思うし」 「ほー」信太は食べる手を停めた。「それはーどういうことで?」 萠黄はナプキンで口を拭うと、 「彼らの狙いは、わたしたちを泳がせておいて、大津に潜伏している真佐吉さんと接触したところを一網打尽にすることやと思うんです」 食堂に沈黙が降りた。 ややあって久保田がスプーンでスープをすくいながらつぶやいた。 「俺たちは餌ってわけか」 萠黄は皿の上の豆腐ハンバーグを見つめながら頷く。 「そうですね。執念深い真崎のことだから、転送装置が壊れて、真佐吉さんを捕まえ損ねた──じっさいは影武者だったんだけど──あの瞬間からわたしたちを餌にするつもりだったんでしょう。 いえ──リアル憎しで凝り固まったあの男が、目の前に集まったリアルに牙を剥かなかったのは、最初からわたしたちを餌としか考えてなかったんでしょうね」 「俺は二度、あの男を間近で見たわけだが、真佐吉の名前を口にするヤツの形相は鬼のようだったよ。いったい何がヤツをあそこまで駆り立てているんだろうな」 再び沈黙が降りる。 「しかしー、私も伊達に軍事オタクを長年やってたわけではありませんー」 信太はレタスを頬張りながら、狐のような目をさらに細める。 (軍事オタクだったのか) 萠黄は古い軍服を身につけた信太を改めて見つめた。 彼は続ける。 「──こちらの動きを敵に補足されたくない、そう思った私はー、街角に設置されている監視カメラや街角ネットテレビのカメラ、さらには衛星からの撮影に映らないよー、ここに来るまでの道を注意深く選びましたー。あえて遠回りしても、バスを死角の多い道を走らせ、無事に昼なお暗い安全な森の中にゴールしたというわけです。へっへっへー」信太は裂けたような大きな口で笑ってみせた。「これでも結構、考えてるんでさー」 「なるほどね。ここなら衛星からも見えない、か」 久保田が見直したように感心する。 「祖父は仕事柄、人目を好みませんでしたのでー」 「待って」むんが手を挙げて注意を惹いた。「ゴールはここやないんですけど」 「判ってまさー。バスに乗るのはここまでってことでさーね」 「じゃあ、ここからは歩き?」 「いえいえー。食事が終わったらご案内しますー。バスの次は“快適な空の旅”ってやつでさー」 (空? 見つかるやん、そんなの) 萠黄は不安になった。 |
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