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-227- 第16章 悪魔の舞台 (13) |
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萠黄の危機をいち早く察したのはむんだった。彼女は足場の悪い地面を取って返す暇がないと知るや、掘り返された土の中から目についた石を拾い上げ、男に向かって、えいっとばかり放り投げた。 石は、銃を構えた作業員に届かず、足許にポトンと落ちた。しかし作業員はそれが自分に投げられたものと気づき、 「何しやがんだよー」 と筒先をむんに向け直した。作業員の目はもはや常人のそれではなかった。相手がリアルかどうかなど、とうに頭から消えている。 マシンガンが唸りを上げる。むんはかろうじて地面に突っ伏して銃弾をやりすごした。 (どうにかせんと!) 思い切って投石したものの、銃を向ける相手はやはり怖い。身体の震えが止まらない。なんとか身を守らなければ。 「おめえら、まとめて始末してやる!」 ますます狂気を募らせていく作業員が迫ってきた。 《──黄さん、萠黄さん》 「ああ、ギドラ、帰ってきたんや」 《早く起きなよ。絶体絶命じゃないか》 「目の前が真っ暗で何も見えへんねん。わたし、どこにいてるの? 助けてよ」 《ああ、額に直撃を受けたんだね。一時的な視力喪失さ。手の平を額に当ててごらん。すぐ治るさ》 萠黄は言われたとおりにした。すると、じんじんとする痛みが手の平の温かみに触れると、砂漠に雨が降るようにスーッと癒されていく。 だが事態はそんなことにおかまいなく進行していた。 ざざっと擦るような足音。はあはあと荒い息遣いが、すぐ間近で聞こえた。 《マズい、銃を持った男がそばに来た!》 萠黄は目を開いた。 さっきまでとは違って、視力がかすかに戻っていた。 まだ薄暗がり程度の光しか感じられないが、それでもぼんやりと見える。挙動不審な男。 『何しやがんだよー』 忌まわしい連射の音。 短い悲鳴。むんだ。 「ああ!」 萠黄は起き上がろうとした。しかし、肩が地面の裂け目にめりこんで、思うように抜けない。 《リアルの力を使うんだ!》 「そんな、どうやって──無理やよ」 《いい加減、カワイコぶるのはやめなよ! 親友が死んでもいいの?》 ズキッと額に激痛が走る。 (甘えてる──?) 『おめえら、まとめて始末してやる!』 ぼやけた人影が両肘を上げた。銃を構える姿勢だ。 萠黄の目がみるみる視力を取り戻していく。右を向いた作業員の輪郭がくっきりと浮かび上がった。 その顔を見忘れはしない。萠黄に握手さえ求めてきた作業員たちのリーダーだった。 (一度はわたしの味方やったくせに──許せない!) 萠黄は息を吸い込み、怒りにまかせて両手を前に突き出した。 パーンッ。 空気の割れる音が雷鳴のように轟いた。 気圧が変化して萠黄の身体がふわりと宙に浮く。 視界は乱れ飛ぶ芝生のかけらでグリーン一色に染まった。 激しく回転する萠黄の身体。 上下も左右も判らない。 そして突然、萠黄は腹を下にして地表に落下した。 「むわっ、ぺっぺっ」 口に入った土や草が入ってしまい、顔をしかめて吐き出す。それでも素早く周囲の様子をうかがうことは忘れなかった。 「うわ、こんなとこまで……」 五十嵐の起こした地震。その震源地はまるで巨大なアリジゴクの巣だった。自分はその底にいたはずである。なのに今は遥か上から見おろしている……。 すり鉢の一方がまるでブルドーザーの通り道のように崩され、均されている。その外側には吹き飛ばされたと思われる大きな土塊が、あちこちにごろんと転がっている。内から外へ、大きな力が通り抜けたのは明らかだ。 「わたしが──やったん──やな」 土塊に混じって、そこここに作業員たちが倒れていた。怪我をしなければいいがと心配になる。 すり鉢の底では、清香やむんたちが起き上がる姿があった。 (よかった。わたしのやったことは正解や。自信を持とう) ふと、自分の手の下にグレイの布地を敷いていることに気づいた。やはり作業着だ。中身がない。まさか。 襟の辺りから腕をたどると、袖の膨らみの陰に、砂と化した手があった。その先にマシンガンが落ちている。 リーダーの成れの果てなのだ。 萠黄は目を閉じ、両手を合わせて拝んだ。 彼女は何も考えない──考えないでひたすらリーダーの冥福を祈った。 もう悔やむまい。後悔すまい。くよくよ考えるのはすべてが終わりを迎えてからにしよう。萠黄はそう決心した。 必要ならば、リアルパワーも積極的に使おう。望んで得た力ではないが、いま使わなければ──元の世界に帰ってからでは遅いのだ。 (そう、わたしは絶対に元の世界に、自分の生まれた世界に帰ってみせる) 目を開いた。そして危険な人影がないことを確かめると、再びすり鉢の底に降りていった。 仲間たちは無事だった。久保田は手の怪我を清香がリアルパワーで治療≠オていた。砂状化は指だけで済みそうだ。五十嵐と伊里江は気を失ったままだが、むんも信太も和久井助手も擦り傷だけで、大した怪我はなかった。 しかし、左手(萠黄から見て)の指を失った久保田の落胆は相当なものだった。 「包丁、握れないなあ、これじゃあ」 力なく微笑む横で、和久井が「わたし、握れるようになります」となぜか力説していた。 萠黄は彼らに囲まれると、くたくたと地面に座り込んでしまった。そんな様子にむんは、 「さっきの、スゴかったよ。萠黄がまるで風の神様に見えた」 苦笑いを返す萠黄の耳に、大型車のエンジン音が聞こえてきた。 また敵か? 疲れた身体に鞭打って立ち上がる。 やがてすり鉢の縁に大型の乗り合いバスが現れた。急ブレーキがかかると、ドアや窓を問わず、若者たちがいっせいに降り出してきた。 「閣下!」 「ご無事ですかー?」 彼らは大声で呼びかけながら、転がる勢いで斜面を降りてくる。 信太が前に出て手を振った。 「こっちこっちー」 そして振り向くと、彼らは皆、五十嵐閣下≠慕って集まった仲間なのですと説明した。 彼らによって五十嵐は無事引き上げられ、萠黄たちも助け上げられた。 「どうやって入ってきたの?」 むんが質問すると、仲間の一人が笑って応えた。 「地震で櫓が倒れたりして、いま正門はものすごい混乱状態なんです。その隙に乗じて、煙幕を焚きながら強行突入しました。急ぎましょう、追っ手が来ます」 萠黄たちを乗せたバスは地割れを避けながら通用門へと全速力で走り抜けた。 通用門側でも別の仲間たちが待っていた。彼らによって撒かれた煙幕がこちらでも奏功し、見事、バスは門を突破して、そのまま裏通りを疾駆した。 みるみる京都工大のキャンパスが遠ざかっていく。 「我々はどちらに行けばいいんでしょうか?」 ハンドルを握る元バス会社勤務の男は、そばで前を見つめる萠黄に問いかけた。 「このまままっすぐ、東へ向かってください」 萠黄はきっぱりとした口調で応えた。 |
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