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-224- 第16章 悪魔の舞台 (10) |
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(仕留めた!) 真崎は手応えを感じた。 と同時に、不穏とも言うべき奇妙な気配が、ナイフの切っ先からハンドルを握る手に這い上がってくるのを感じ、真崎は反射的にナイフを抜いた。 「なんだ!?」 彼は心の底から面食らった。 自分の刺したのは萠黄の首筋ではなく、突然現れた男の突き出した右腕だった。 男は腕から血を滴らせながら、髭の下の口を開いた。 「婦女子に対する乱暴狼藉など、およそ男子たる者のすることではないわ」 男が誰なのか、真崎はすぐに思い出せなかった。それが周囲から閣下と呼ばれ、認知症の疑いのある老人であることに気づいた時には、老人の手刀によって真崎のナイフは払い落とされていた。 真崎は老人とは思えぬ手練の技に目を見張った。 (コイツ、軟禁した部屋からどうやって出てきた?) 老人は刺された二の腕をさほど痛がる様子もなく上下に降ると、倒れている萠黄に近づき、言葉をかけた。 「お嬢さん、怪我はないかな」 「──あ、どうも」 「お嬢さんとはどこかでお会いしましたかな」 「はい……昨日」 「ふむ」 老人は口髭を指先でひねりながらにこやかに微笑んだ。 どうやってあの牢屋を脱出できたのか。彼もリアルだから転送される予定だったはずだ。山ナニガシさんがうまく言って連れ出したのかもしれない。間違いないだろう。 萠黄は五十嵐老人の目を覗き込んだ。 (透き通るような青い目──) 萠黄はその目に寂しげな色を読み取った。目の奥から助けを乞う声が聞こえてくるような。 しかし老人はすぐに顔を上げ、銃を拾い上げた真崎に両手を広げて相対した。萠黄の盾となるつもりらしい。 銃を構えた真崎は引き金を引かない。リアルを撃っても無駄なことを知っているのだ。不意をつかない限りは。 迷彩服たちはじりじりと包囲の輪を縮めてくる。 (マズい。生け捕られたら逃げるのは無理かも) 「──閣下!」 キーの高い声が老人を呼んだ。五十嵐はエネ研に顔を向けた。萠黄も遅れてそちらを見る。 細長い物体が五十嵐目がけて飛んできた。彼はそれを片手で受け止めた。サーベルだった。投げたのは狐目の信太。彼も無事に逃げ出したらしい。 五十嵐は冷たく光る刀身を抜き放ち、切先を真下に向けた。そして祈りを込めるように目を閉じると、気合一閃、サーベルを地面に突き立てた。 何をするつもりだ? 誰もが息をひそめた。 しかし何も起こらない。 「ジイさん。ファンタジー映画の仙人にでもなったつもりか? もう悪あがきはやめ──」 ……ズズズズズズズズズズ。 こもった地鳴り音が真崎の口を閉じさせた。 地面が小刻みに揺れ始めた。 萠黄は両足を芝生の上に踏ん張った。揺れは大きくなりつつある。目の前の五十嵐は立ったままだ。 「おじいさん──まさかコレ……」 五十嵐は何ごとかをしきりに口の中で唱えている。 真崎も膝を折った。もはや銃を構えるどころか姿勢を保つのも難しい。 萠黄は胸の中で早く鎮まってと念じた。しかし揺れはそんな思いに反してますますひどくなっていく。 ガクッと地面が傾き、萠黄は悲鳴を上げた。 目の前にパックリと裂け目が開いた。黒々とした土が飢えた地底怪獣の口腔のようにせり上がってくる。 キャンパスのあちこちで地面が割れ、樹木が倒れていく。建物さえ壁が崩れ始めた。 誰かの悲鳴が耳を叩いた。地中に吸い込まれたらしい。 それでも揺れは止まない。 (空腹でよかった。少しは酔わないですむ) 萠黄はそんなことを考えながら、自分はこれで終わりかもしれないと思った。 最後の揺れが消えた後も、萠黄は身体を動かすことができなかった。 いったいどれほどの時間が経過したのだろう。携帯をで確認する気も起こらない。 太陽はまだ東の空──萠黄には西の空だが──にある。 両膝をゆっくりと立て、両手を地面に踏ん張って上体を起こす。そして周囲を見渡した。 萠黄は狭く盆地のように凹んだ場所にいた。あれほどきれいに刈られていた芝生はズタズタに引き裂かれ、のみならず、地面はくしゃくしゃになった布のように盛り上がり、さながら林立する奇岩のように萠黄の周囲を大きく囲っていた。 五十嵐老人は露出した岩塊の陰にいた。前のめりに帽子をかぶった頭を土の中にめり込ませ、気を失っていた。 |
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