Jamais Vu
-222-

第16章
悪魔の舞台
(8)

 エネ研の出口から、次々と仲間が現れた。
 清香、齋藤、ハジメ、炎少年のベッドに付き添う雛田。少年のベッドは現在、少年の意思とは切り離されている。しかし電動モーターにより自走するので雛田はただ方向を導くだけだ。
 少し遅れて伊里江真佐夫も出てくる。顔色が真っ白だ。
 誰もが芝生に頭をこすりつける山下に不審の目を向けた。
「すみませんでした!」
「謝ってばかりじゃ埒があかんぞ」野宮が叱る。「どうやって真佐吉になりすましたんだ。山上山中とも示し合わせたんだな?」
「──いえ、電話がかかってくるんです」
「電話? まさか真佐吉から直接にか」
「──そうです」
「驚いたな。直にやりとりしとったとは……」
「私はただ言われた通りにやっただけです」
「真佐吉に化けろ、とか?」
「もっと具体的にです。ジージャンを着てエネ研の出口で待機していろ。山中が飛び出してきたらタッチ交替して駆け出せ。建物の角を曲がったら、あらかじめ置いてある白衣を羽織り、気を失ったフリをして地面に横たわれ──そんな具合にです」
「………」
「逆らえませんでした。私は──弱みを握られていましたし、おそらく山上や山中もそうでしょう」
「弱みとは何だ」
 山下は激しく首を振る。
「──それだけは言えません。勘弁してください」
「爆弾を仕掛けたのもお前たちか」
「──はい」
「どうやって持ち込んだ」
「電話で連絡が入ります。学内のどこそこに行けば置いてある。それをうまく地下に持ち込め、と」
「どこの誰が学内に持ち込んだ?」
「それは私にも判りません。山上か山中かも知れませんし、他の者かも知れません。ただ、山上たちとはこの件で決して話し合うなと厳命されていました」
「驚いたな。すると真佐吉には、学内の警備体制や人事に関する情報が漏れていたことになる──」
 その時、ひとりの作業員が発電施設のほうから全力で駆けてきた。彼は野宮を見つけると、
「ダメです。施設は完全に破壊されました。復旧に一ヶ月を要するとのことです」
 その絶望的な報告に誰もが言葉をなくした。
 野宮の携帯が鳴った。
「何だ!?……ああ……本当か!?……」
 電話が切られる。野宮は目を閉じて眉間をこすった。
「どうしたんですか?」
 萠黄が訊ねると、
「地下五階の研究室からだ。中枢コンピュータにウイルスが侵入し、転送プログラムが消去されたそうだ」
 転送プログラム。転送装置を制御するために必要不可欠なソフトウェア。
「その代わり、メッセージがひとつ残っていたという。“研究費を着服してHなビデオを買い漁った男”とは何のことだ?」
「す、すみません!」
 山下は頭を芝にこすりつけた。
 野宮は唖然とし、天を仰ぐとがっくり膝を落とした。
「これで万事休すか──」
 うなだれる野宮を慰める者はいなかった。
 萠黄は木陰に目をやった。その向こうに正門がある。逃走したと思われた真佐吉は、実はここには来なかった。彼は一歩もキャンパスに足を踏み入れることなく、電話だけで発電設備を破壊し、転送装置を使い物にならないがらくたにしてしまった。
 真佐吉だと思っていた人影が真崎に撃たれた時、彼のふるまいが傲岸な口調にそぐわないなと感じた。今にして思えば山上が影武者を演じていたわけで、真佐吉の声を携帯を通じて流していたのだろう。あの時に気づくべきだった。
 三人の研究員の弱みを握って自分の影武者に仕立て上げ、まるでドタバタ喜劇のような追跡劇を演出した。釣り糸のような余計な小道具まで使って。
 明らかに真佐吉は楽しんでいる。
 そして萠黄は気づいた。真佐吉が自分たちリアルをエネ研から連れ出そうとした理由を。
「逃げろ」と言っているのだ。
 転送装置が使用不能になった今、シュウの言ったとおり、リアルの立場は再び、抹殺すべき存在へと堕ちたのだ。
 幽閉されていた地下からこの地上まで案内すれば、あとは自力で逃げられるだろう。いや逃げるしか道はない。
 どこへ?
(やっぱり、大津か──)
 真佐吉は自分がここへ来た時に使った転送装置を持っている。離島の隠れ家にあった転送装置もない今、元の世界へのトンネルはもはやそこしかない。
(でも、それが自分たちをおびき寄せる餌でもある)
 悔しいが真佐吉のシナリオどおりに動くしかないのだ。
 萠黄は柊の袈裟の袖を引っ張った。
「逃げましょう」
 柊も悟ったらしく、
「私もそれがいいと思っていました。今がチャンスです。他のリアルたちに声をかけてきます」
 萠黄はむんを探した。見当たらない。
 彼女は焦った。まさかむんを残していくわけにはいかない。それに久保田も。
 駆け足になった時、エネ研の出口に真崎が現れた。
「聞けい、リアルたち!」
 その声は聞く者を不快にする響きがあった。
「今すぐ地下に戻れ。このまま逃げようと思うな。さもないと人質の命はないぞ」


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