Jamais Vu
-211-

第15章
崩壊
(7)

「君が、自発的・意識的・意図的に、わざわざ起こそうと思って地震を発生させたと、こう言うのかね」
 野宮が念を押すように訊ねた。
「そやからそない言うてますやん」
 返事したのはビッグジョーク齋藤だった。
「アナタには聞いてません」
 野宮は老人をあしらうと萠黄に近づいた。
 だが野宮の前に炎少年が車椅子を軋ませて割り込んだ。
『萠黄姉さん、とうとうできるようになったんだね! スゴいなあ。ねえねえ、どうやったの?』
 好奇心丸出しで嬌声をあげる。それでもサングラスの顔はピクリとも動かない。声だけが上気している。
「私も知りたいな」柊も漆黒の衣装をひるがえして目を輝かせる。居室に入っても袈裟を脱がなかったらしい。
「そんな、どうやったかなんて──」
 萠黄は戸惑った。
「待った、待った!」あわてて野宮が萠黄の前に立ち塞がる。「君たち、とんでもないことを言うな。また地震を起こされたら困るじゃないか」
『あ、そうか、アハハハハ』
 炎は軽快に笑った。野宮はそんな少年を睨みながら、
「笑いごとではないぞ。転送装置はこの上にあるんだ。さっきの地震こそ規模が小さかったので助かったが」
「それじゃ口で説明してくださいよ」
 柊が提案した。皆もそうだそうだと頷く。
「え……説明ですか……」
 萠黄はもじもじと身をくねらせた。明らかにしゃべったことを後悔している。
『教えてよ、ねえ』
 炎が全員の心の声を代弁した。齋藤老人など、萠黄にかぶりつかんばかりにすり寄ってくる。
(まいったなあ)
 萠黄は助けを求めるように目を泳がせた。その目がある顔に止まった瞬間、アッと叫んでいた。
 萠黄の指がその顔を指す。全員が指の方角を向く。
 雛田の顔がそこにあった。
「え、僕?」
 今度は雛田が萠黄以上の戸惑いを見せる。
「あのー、わたしがやった方法は……カゲヒナタの『電話マン』を少し変えたんです」
 言ってしまって萠黄はうつむいた。
「電話……マン……ですか」
 柊は知らないなあと唸った。どうやらリアルの誰も、知らないようだった。
『ならさ、そのおじさんにやってもらえばいいじゃない」
 炎の屈託のない言葉に雛田はあわてた。
「ちょっと待ってよ、こんなところじゃできないよ」
 腕を振って視線をかわそうとする。しかし今や全員の期待が彼に注がれていた。
 許されそうにないと知ると、雛田はがっくりと肩を落とし、
「やってみます」
と答えた。
 おーっと全員が拍手を送る。そして廊下は静まり返った。
「一度だけですよ」
 雛田の念押しに、皆はウンウンと首を振る。
 雛田は、顔をはさむ位置に両手を持っていき、片足立ちになった。
 皆が息を飲む。

《アッ地震ですー、
 ハイハイハイ、
 地震ですー、
 ホイホイホイ》

「………」
 地下十階の廊下は、再び静寂に包まれた。
 齋藤老人がやおら咳払いした。そしてパチパチと拍手した。つられて皆も散発的な拍手を送った。
 野宮助教授は、険しい顔で萠黄に問いかけた。
「コレ?」
「は……い、そうです。心の中で、床や壁が揺れている情景を思い浮かべながらやりました」
 はーっと助教授はため息をついた。
 柊だけは片足を上げて試みようとしている。あわてて雛田は制止した。
「お坊さん、二枚目はやらないほうがいいです。大事なイメージを損ねますから」
「はあ」

 野宮は、とりあえず厳重注意を萠黄に与え、山上山中山下を引き連れて、上階へと帰っていった。
 リアルたちも部屋に戻った。
「萠黄さん」
 最後に雛田が声をかけた。萠黄はたまらなくなり、頭を膝につくほど曲げて詫びた。
「スミマセン、大事なギャグを勝手に使ったりして!」
「いや、謝らなくいいよ。それどころか、よく僕のギャグを覚えててくれたね。礼を言わせてください」
 そう言って、萠黄に負けないぐらい深々と頭を下げた。
 萠黄はどう答えていいか判らない。
 雛田は自嘲気味に笑いながら頭を上げると、
「僕たちカゲヒナタって、伝説なんて言われても、つまりは過去の遺物でしょう? だからうれしいんだ」
 萠黄はもじもじするのを止めて雛田を見た。目の前にいる四十五歳の男性は、本当にうれしそうだった。
「君のような若い女性が覚えててくれたなんて」
 じわりと目に涙を浮かべている。思わず萠黄は、そんな雛田の両手を握った。
「わたし、ホントのホントにファンなんです。カゲヒナタの漫才ネタは暗唱できるぐらい繰り返し見ました。わたしの中では無敵のコンビなんです。──さっきの雛田さんの手の伸び、足の上げ具合、往年の動きのまんまやないですか! まだまだイケますよ。もう一度チャレンジしてみませんか?」
 雛田は真っ赤な目を萠黄に注ぐ。
「もう一度って、影松は死んじゃったし──」
「このままやめてしまうのはもったいないですよ。きっと何かいい方法があるはずです!」
「方法が……」
 うつろに壁を這う雛田の目に、あるモノが浮かんだ。
 ──ピンクのカバ。
「そうか、アイツがいた! アイツを相棒に仕立てれば……」
 やがて笑みは顔全体に広がっていった。両手をパンと合わせ、何度も力強く頷く。
「これだ、これしかない! ──萠黄さん、ありがとう。君は僕の救世主だ!」


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