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-207- 第15章 崩壊 (3) |
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二度と笑い合えない気がしていたのに──。 こうして三日ぶりの再会を喜び合えた。萠黄はうれしさに、むんの手を握り続けていた。 伊里江はエネ研スタッフをつかまえて、何ごとか熱心に議論している。 ビッグジョーク齋藤は別のスタッフに「ギリギリまで帰る日を遅らせてもらえないか」と訴えているらしい。スタッフが首を横に振ると、気落ちしたような顔で、隅でポテトチップをつまんでいるハジメのほうに戻っていった。 飲食に付き合えない炎少年は、それでも野宮らの輪に混じって、あれこれと質問を浴びせていた。今日の昼、彼は母親にリアルの事情を語って聞かせた。母親は理解するより前に、息子が自分の前からいなくなるという一点にショックを受け、また寝込んでしまったという。炎ももしかしたら期限いっぱいまでこの世界に残ることを希望しているのかもしれない。 (できればそうしたい) 萠黄はむんの肩に手を置きながら心の中でつぶやいていた。しかしそんな情の絡んだ悠長なことなど許されそうにない。今でこそリアルとヴァーチャルが楽しげに語り合っているものの、実際は早く消えてほしいのだ。一刻も早く不安を取り除きたいのだ。 小耳にはさんだところでは、アメリカからは矢のような督促が日々舞い込んでいるという。これで転送装置が稼働しなければ、本当に核兵器を打ち込みかねない鼻息らしい。 「萠黄、ちょっといいかな」 父親が声をかけた。むんは気を利かせてドリンクを取りに行った。 「できればでいいんだが、向こうに戻ったら、一度私を訪ねてくれないか。もちろん母さんが落ち着いてからでいい。お前が消えて、ひどく心配しているだろうしな」 萠黄は父親に抱きついた。 「きっと会いにいくから」 大会議室のある、本館の外。 雨は夕方から勢いを増している。 壁にもたれて、最前からひとりでビールを飲んでいるのは雛田義史だった。 《フュウ〜〜〜ン》 携帯が鳴った。いや泣いた。雛田が舌打ちしながら取り出し、 「誰もいやしないよ。カワイコぶるのはよせ」 液晶画面にひょっこりとピンクのカバが現れた。 《おやおや、威勢がいいね。落ち込んでるかと思ったのに、意外と元気そうじゃないか》 PAIであるカバは、元相棒・影松豊の声でペラペラとしゃべった。 「からかうな。僕はいま人生最大の悩みに、心が張り裂けそうなんだ」 《明日、永遠の別れを前にして、清香に親子の名乗りを上げるべきかどうか──》 「ウルサイ」 《“お前の本当の父さんはカゲじゃなく、俺なんだー。 頼むから最後にお父さんと呼んでくれー”》 「ウルサイっつってんだろ!」 雛田は携帯を芝生の上に放り投げた。 《おおーい、この携帯は防水性だが、いくらなんでもあんまりだ。動物虐待で訴えるぞー》 雛田は膝を抱えて座り込んだ。 雨の向こうにいくつもの電灯の光が見える。これから徹夜作業で転送装置の電源を完成させようとしているのだ。 「いっそ、あそこを壊しちまうかな……」 《物騒なことを言うじゃないか。娘の幸せを考えてないのか?》 「ウルサイ、ウルサイ」 雛田は膝の間で頭を振った。 背後の窓からは、ガラス越しに歓談する声が聞こえてくる。耳は自然と清香の声を探るが、よく聴き取れない。 「──いきなり京都に呼び出されて、リアルだとか、別の世界だとか、雲をつかむような話をされて……。なんだか騙されてるような気がしてならないよ」 ふと持ち上げた足の下で、一匹のアリが潰れていた。知らずに踏んづけたようだが、死骸はアッという間に砂へと変貌した。靴先で触るとアリの形は簡単に崩れ、地面と見分けがつかなくなった。 「生きとし生けるもの皆、死ねば土に帰る──か。ハハハ、こりゃいいや。葬儀屋は廃業だな」 《笑ってごまかすな。時間は残り少ないんだぜ。ぐずぐずしてると──》 「判ってるよ。判ってるけどよ……」 言いかけた時、けたたましいローター音が頭上を通り過ぎていった。ヘリコプターが着陸態勢に入ったのだ。貨物運搬用ではなく、リアルキラーズ専用機だ。 「雛田よ」カバが大きな口を開いた。「後悔するぞ。いま言っておかないと」 「しかし……本当に告白すべきは、この僕じゃなく、向こうの世界の僕じゃないのか!」 《おんなじだろが》 「全然違う! それに出生の秘密をカゲが明かしたのは、彼が死のうとしていたからだ。向こうでは生きているはず。そうなると状況は異なる。彼女は、自分がカゲの子であると信じていたほうが幸せなんじゃないか」 《影松はな……いずれ教えるつもりだったんだよ》 カバは姿に似合わないしんみりとした声で言った。 「だ、だろう? だったら今僕が教える必要は──」 「おじさま!?」 入口から清香の呼ぶ声がした。雛田はハッとして口をつぐんだ。 「そこにいるの、おじさまでしょ? どうして中に入らないの?」 清香は雨を避けて、壁づたいに近づいてきた。 《チャンスだぞ》 カバが小さな声で言った。 雛田はどぎまぎしながら、あわてて立ち上がる。 「姿が見えないので探したわよ。……あれっ、カバ松が雨に打たれてる」 「水浴びしたがったんだよ」 「そんな! アハハハ」 清香は濡れた携帯を拾い上げると、自分のハンカチで丁寧に拭い、雛田の手に返した。 《フュウ〜〜〜ン》 カバが鳴いた。早く言えと促しているのだ。 雛田はツバを飲み込んだ。背中を雨のように汗がつたう。初舞台を踏んだ時以上の緊張感が彼を襲った。 「ほら、カバ松も雨はイヤだって言ってる。さあ部屋に入りましょ」 清香は雛田の手を取って歩き出した。雛田は清香の髪を見ながら、魚のように口をパクパクさせた。 「ゆっくりお話できるのも今晩だけなんだから」 清香の言葉に雛田は涙が込み上げてきた。 ふたりは入口のひさしの下に入った。 「なあ、き、清香ちゃん」 「え?」 雛田の心臓はハードロックのバスドラのように彼の胸をドンドン震わせた。 (言うぞ言うぞ言わなきゃ言うぞ言うんだ言え言え言えばいいんだ言え言え言え) 「何を言うの?」 雛田はあわてて口を手で塞いだ。カバ松がアチャ〜ッと鳴いた。 そこに、水を跳ね上げながら迷彩服たちが駆け込んできた。 「どけどけ、どかんか!」 迷彩服の手が雛田を突き倒した。 「何するの!?」 清香の声にも耳を貸さず、迷彩服たちは泥のついた靴のまま、大会議室の扉を開けた。 「バカモノどもめ、浮かれてる場合か!」 真崎だった。左目を縦に走る裂傷には、血がこびりついていた。 |
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