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-206- 第15章 崩壊 (2) |
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柊は席を立つと、鉄格子を両手でつかんだ。 「あなたの身体が、ご自分の意思に背いて動いてしまったと、こうおっしゃるのですか?」 五十嵐はうつむいたまま頷いたが、途中で激しく横に振った。 「そうとは言い切れないのです。なぜなら斬った人間はどれも『斬り捨ててしまえ』と心の中で思った人間ばかりなんですから……」 「しかし、あなたにはそこまでするつもりはなかった」 「──信じてはもらえないでしょうが、人の命を奪おうなど本気で考えたことは一度も……いえ、一度だけありました」 「それはいつですか?」 「──東京の山手線に乗っていた時です。あの日、私は孫の仇を探していました。孫は先日、ある駅でごろつきどもに半死半生の目に遭わされました。今もまだ入院しとります。私は犯人たちをこの手で成敗してやろうと決心しました。サーベルは祖父の遺品の中から持ち出してきたものです。ですが誓ってもいい。殺意を持ったのは、その時だけです!」 五十嵐は一気に吐露すると、苦しそうに咳き込んだ。 萠黄には、彼の目は一点の曇りもないように見えた。嘘を並べて罪を逃れようとしているようにはとても思えなかった。 「ご老体、まずは落ち着いてください」 「これは不覚。取り乱してしまって申し訳ない」 その時、齋藤がスッと前に出た。 「五十嵐さんとやら。わしは齋藤という老人や。ひとつ聞かせたってくれ。アンタ、何かココに病気をお持ちやあらへんか?」 齋藤の指先が叩いたのは、自分の側頭部だった。 五十嵐は呆然と齋藤を見た。 「なぜ、それをご存知で?」 「病院で言われたことがあるんですな?」 「その……息子に連れられて精密検査を受けに行きましたら……大脳の一部が萎縮していると……」 「さよか。そうやないかと思たわ」 「ご老体。五十嵐さんは脳の病気で?」と柊。 「おそらくな」 齋藤は確信のある頷きかたをした。 「すると……人を斬るのは止まらないんですな」 五十嵐は頭を抱えた。 誰もかける言葉が思い浮かばなかった。萠黄もただ哀れみの視線を送ることしかできなかった。 『お別れの会』は日暮れとともに始まった。 本館の大会議室に集まったのは、萠黄、清香、炎、柊、齋藤、ハジメ、伊里江のリアルたち。そして萠黄の父とそのスタッフ数人。徹夜で突貫工事をおこなう現場から抜け出してきた責任者数名。さらには伊椎製作所の副社長とその取り巻き。 萠黄が待ちわびていたむんは車椅子に乗って登場した。後ろから久保田が押し、和久井助手が介添えする形で、奥の扉からゆっくりと入ってきた。 司会の野宮は満を持して挨拶に立った。 「最後の部品が到着し、転送装置がいよいよ完成する運びとなりました。これにより、リアルの皆さんは自分たちの本当の故郷に帰ることができ、我々も世界を滅亡から救うことができるのです。そう、我々はテロリストの陰謀に打ち勝ったのです!」 拍手が起こった。 「さて今宵、ささやかな宴席を設けましたのは、我々の勝利宣言とともに、リアルの皆さんに窮屈な思いをさせたことに対する罪滅ぼしの意味も兼ねております。簡単な立食パーティーで申し訳ありませんが、しばしご歓談いただければと思います。なお、肉はすべて合成でございます」 あちこちで苦笑が起きた。そして野宮が頭を下げたのを合図に、それぞれグラスに手を伸ばした。 「日本の未来にカンパ〜イ!」 あらためて拍手が巻き起こる。 萠黄は人のあいだを縫って、むんの元に走った。 「もえぎーっ」 「むーんっ」 萠黄は飛びつくように抱きついた。 むんの身体はわずか三日で驚くほど痩せていた。 会いたかった──。そう言いたかったのに、感極まって言葉が出ない。むんも思いは同じのようで、ただただ手を握り合うばかりだった。 でもこんな時、口火を切ってくれるのはいつもむんだ。 「明日でさよならやね」 「……ごめんな」 萠黄は目を伏せる。 「謝ることないよ。萠黄の住む世界は向こうなんやから。これからPAIを更新してもらわれへんのがすごく残念やけど」 「それだけぇ?」 「アハハ、向こうにいるわたしによろしくね」 ふたりともしゃべっているそばから、涙が滝のように溢れて止まらない。 萠黄はもう一度むんを抱きしめた。彼女の体温を記憶に刻み込もうとするかのように。 |
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