Jamais Vu
-205-

第15章
崩壊
(1)

 その夜は結局、五十嵐との面会は叶わなかった。催眠ガスが効き過ぎて目覚めなかったのだ。萠黄たちはあきらめるしかなかった。齋藤老人は「なんじゃつまらん」とさんざん不平を並べた。
 翌朝になって野宮助教授から詳しい説明がなされた。
 大将はやはりリアルだった。ただ、いっしょにいた信太という男はヴァーチャルで、こんこんと眠る大将の代わりに腰の軽そうな信太を尋問したところ、すぐに観念して、洗いざらいしゃべったという。
 それによると、五十嵐は大学が見えるや、その物々しい警備に、てっきりこれはリアルたちが囚われてしまったものと錯覚したらしい。
『救い出さねばならぬ。これは“聖戦”だ!』
 五十嵐はそう言ったという。
 信太は、東京からバスに乗せて連れてきた仲間(五十嵐に心酔している者たち)に門の外で騒ぎを起こさせ、その隙に空から侵入する作戦を立てた。
 作戦は見事、図に当たり、ふたりは潜入に成功した。もっとも信太がNASA製バルーンと自慢していた降下用ポッド(着陸船)は、NASA製でも何でもなく、安普請のまがい物だった。
「迷彩服たちも、命知らずなと呆れとったよ」
 当初疑われていた『長野防衛隊』との関係はまったくなかったようだ。騒いでいた者たちの攻撃は幼稚きわまりなく、十数人が捕縛され、他は散り散りに逃げ去った。五十嵐と信太も捕われた。
 野宮はホワイトボードに、五十嵐寛壽郎の名前を書き加えた。
「亡くなったリアル四名を除くと、五十嵐を含めて、集まったリアルの人数は七名。まったく出来過ぎだ。なんと効率的な!」
「あと一名ですか……」
 萠黄が感慨深げに言うと、
「そうだ。この調子だと、残るひとりは今日か明日にでも来てくれるかもな。いやもうすぐそばまで来てる可能性もある。中の様子をうかがっていたりして」
 野宮は窓外を眺めた。あいにくの雨空である。
 いつもの応接室には、全リアルが集合していた。
「あとひとりが、もし来ぇへんかったら、どないなるんかいな?」
 ビッグジョーク齋藤が妙な笑みを浮かべつつ訊ねる。
「北海道レベルの超爆発が、この国のどこかで起きます。それが関東を消すのか、四国を消すのか、はたまたこの近畿地方を吹き飛ばして大きな海峡を作るのか」
 最後のひとりは、SS広告を目にしなかったのかもしれない。それとも京都まで来たくても来れないような場所にいるのだろうか。
 萠黄は考えた。もし自分が離島にいたとして、船の都合がつかなかったら……。
 自らの命を絶つ勇気があるだろうか。いや死ぬことを自覚していれば死ねない可能性もある。
 萠黄は想像を巡らせながら、ひとり煩悶した。
「あっ、来た来た!」
 野宮が窓ガラスに顔を押しつけた。
「最後のリアルですか?」
 柊が訊ねると、
「いや違う。転送装置に足りなかった部品だよ。時間どおりに到着だ。さすが副社長だな」
 なるほど、ヘリの音が近づいてきた。
「さて、私はこれから最後の仕上げを取り仕切らねばならない。皆さんには夕方にお会いしましょう。明日のお別れに際し、ささやかな宴の席を設けますので」

 萠黄はようやく久保田に会えた。
「むんさんは肺炎を起こしかけたけど、どうにか持ち直したよ」
 萠黄はそんなことは少しも知らず、驚いた。
「もうすっかり大丈夫なん?」
「ああ、医者は起き上がっても問題ないと太鼓判を押した。体力はまだまだだけどな」
 噴水に近い四阿(あずまや)である。
 噴き上がる水の向こうでは、巨大なヘリが鼻面をこちらに向けている。待望の部品がいま降ろされ、これから電力施設に運ばれるところなのだ。
「今夜のお別れの会には出席できるだろう」
「………」
 いよいよむんとさよならする時が来たのだ。自分は元の世界に帰れば、リアルむんが待ってくれているはず。でもヴァーチャルむんの前から自分は永遠に消えてしまう。
「向こうの俺によろしく……つっても、君のことなんて全然知らないんだな」
 言われて、萠黄はなぜか息が詰まった。
 顔色を隠すように横を向くと、和久井助手が萠黄を睨むような目をして通り過ぎていった。

 午後遅く、五十嵐の意識が戻ったと連絡が入り、萠黄、柊、清香、齋藤、炎の五人が面会に出向いた。
 五十嵐は軍服の代わりに囚人服のような灰色のお仕着せを身にまとっていた。
 彼が幽閉されているのは、病室ではなく牢屋だった。そんなものが大学構内に作られていたことに萠黄は驚いたが、両者の会見は鉄格子をはさんでおこなわれることになった。
 五十嵐は自分たちの行動が、まったくの誤解から生じたことを知って、がっくりとうなだれた。萠黄たちは、彼が同じリアルであることを、できるだけ平易な言葉を選んで説明したが、どこまで耳に入ったかは疑問だった。
 面会を終えようとした時、最後の質問を発したのは、意外にも五十嵐のほうだった。
 彼は柊の姿をしげしげと見ながら、
「あんた、若そうだが、もしかしてお坊さんかな?」
「そうですが」
「ならば訊ねたい」五十嵐は立ち上がり、鉄格子に近づいた。「私の身体にはときどき妙なモノが降りてくる。信太は狐が憑くんだと言う。そうなると私の身体は誰か別のものになってしまうのだ。やりたくもないのに人を斬ってしまうのだ。──教えてくれ、私はいったいどうすればいい?」


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