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-194- 第14章 リアル集結 II (4) |
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驚いたはずみで、雛田はソファから床にずり落ちた。笑いを誘う転けかただったが、ギャグではないようだ。 「そそそれは、つつつまり──リアルの人間は、この世界からいなくなっちゃうってことですか?」 野宮は得意げに頷いた。 「部品と資材が一部、未到着で困ってるんだが、明日には届くでしょう。そうすればリアルの世界へのトンネルが開通します。これができるのは世界広しと言えど、我が大学のエネルギー工学研究所だけです」 「わたしの父が!」清香が叫んだ。「父の生きている世界に帰れるんでしょうか?」 「もちろんですとも」野宮は満足そうに笑みを浮かべる。「感動の対面がトンネルの向こうで待ってますよ」 清香は胸の前で手を合わせると、目に涙を浮かべた。 時報が午前十一時を教えた。 お部屋にお連れしましょうと、野宮は腰を上げた。 「炎クンに影松クン。悪いが君たちの居室はここから少し離れている。時間がないので急いで──」 「先生、わたしが案内します」 萠黄が言うと、野宮はホッとした顔で、 「助かるよ。私は正午に会議が入ってるのでな。また口うるさい副社長のご機嫌を取らねばならん」そして残った雛田に顔を向け、「あなたはリアルじゃないので、私についてきてください」 「はあ」 雛田は力なく返答した。 居室のある建物──リアル館と呼ばれている──へ行く前に、炎が母親を見舞いたいと言ったので、萠黄と清香も付き合うことにした。 三人は廊下で和久井助手を見つけると(この人はいつも必要な時に現れる)、彼女の案内で保健室へと向かった。 母親はベッドで深い眠りについていた。診察した医者は、 「かなり無理をされたようだ。なあに、丸一日ゆっくり休めば快復されるだろう」 『よろしくお願いします』 ボディ・ランゲージが不可能な分、炎の言葉には、母親を気遣う少年の気持ちがこもっており、医者も心を動かされたようだった。 空には雲ひとつない。すべて吹き飛ばされたようだ。 キャンパスを歩いていく。すれ違う作業員たちが萠黄に気がつくと、口々に声をかけてきた。 「お嬢ちゃん、お仲間かい?」 「完成まであと一歩だ。待っててくれよ」 萠黄は頭を下げてそれに応えた。 「萠黄さんは人気があるのね」 「いえ、ただわたしの立場に同情してくれてるんです」 「そんな風には見えないわね。あなたには人を惹きつけるものがあるのよ」 萠黄は清香の言った意味が判らなかった。わたしが誰かを惹きつける? 「とんでもないです! わたしなんて万年引きこもりの、パソコンオタク少女で、高校も大学も出席率悪いし」 「そうね、まだお会いしたばかりで、わたしはあなたのことをよく知らない」 清香は萠黄の正面にまわった。 「でも判るのよ。わたしは演奏活動を通じて、数多くのカリスマと呼ばれる人たちを見てきたから。あなたにはね萠黄さん、どこかカリスマチックなところがある」 「からかわないでください」 萠黄は唇をゆがめ、激しく首を横に振った。 すると横から炎が近寄り、 『僕も清香姉さんに賛成。萠黄姉さんはカリスマだあ」 「カリスマのホントの意味、知ってて言うてんの?」 萠黄は意地悪い口調で切り返した。 『たったいま、ネット辞書で調べたよ』 便利なベッド、いや車椅子である。 萠黄はたまらず顔を伏せた。 「ごめんなさいね。でもからかってるんじゃなくて」 清香がよく通る声で言った。そして彼女は、一週間前に突如として起きた左右反転現象以来、心細い日々を送ってきたことを告白した。 「駆けつけてくれたおじさまには感謝してもし足りないくらい。でも、わたしの陥った状況は、どんなに説明してもおじさまには理解してもらえない。……だからわたし、萠黄さん、あなたや炎くんに会えて本当にうれしいの。事情が判っただけでなく、同じ立場にいる仲間なんですもの」 萠黄も同感だった。むんや久保田には申し訳ないが、境遇が同じだからこそ共有できる気持ちがある。 『元の世界に帰るのは、明日かあ』 炎がため息混じりに言うと、萠黄は相づちを打った。 『こっちのお母さん、独りぼっちになっちゃうな』 そのつぶやきは、萠黄に苦い感情を呼び起こした。 ──この世界を救うため、自分たちは帰還しなければならない。本当は伊里江兄が捕まるのを見届けてからにしたいが、そんなわがままは許されそうにない。もちろん帰りたい気持ちは目いっぱいある。しかし帰るということは、こちらの世界のむんや久保田とさよならするということだ。苦労を分かち合ったヴァーチャルの友達たちと……。 |
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