救出された清香と雛田義文は、萠黄や伊里江、さらには大学の職員らに支えられ、無事キャンパスの中に入ることができた。
ふたりを襲撃した十数人の男たちもまとめて捕えられ、迷彩服らによって最寄りの警察署に護送された。ただし腕を折られた男は病院に、萠黄に潰された車はレッカー車にズルズルと引きずられていった。
現場にいた者で、萠黄たちに近づく者はなかった。彼らには眼前に展開した光景がまるでCGとワイヤーアクションの合成で作られた映像のように見えた。でなければ、あれほど早業で暴徒に近づいたり、車を一撃で踏みつぶすという光景を、どう理解すればいいのか。
それでも結局、彼らが納得し、自らの恐怖心を抑えるためには「リアルは怪物」という結論に行き着くしかないのだった。
一時は意識を失った雛田は、もう大丈夫、コブを作っただけだと笑って訴えた。それでも大事を取って、大学の医療班は彼を担架に乗せ、医務室に直行させた。
清香にはもちろん、リアルの判定検査が待っていた。彼女は萠黄に伴われて講堂へと向かった。そして彼女が検査機をくぐった数分後、その判定結果が出た。
「陽性です」。検査官はそう告げた。
清香がリアルであることが客観的に証明されたのだ。
「まだ信じられない。わたしがいま話題のリアルだったなんて」
そばで萠黄が頷いた。清香は萠黄の手を握ったままだ。「おじさま」がいないので不安なのだ。
講堂には萠黄の父親が来ていた。萠黄が捨てたモニター用の腕輪の代わりは、すでに昨夜遅く届けられていたが、直に会うのは二日ぶりだ。
「今朝、空を飛んだというのは事実か?」
父親は娘の顔を見るなり訊ねてきた。
「うん」
「父さん、びっくりしたぞ。いきなりエネルギーが計測レベルを振り切ったので、これは故障だと勘違いしてしまった」
言うと、父親はポケットから別の腕輪を取り出し、萠黄の前に差し出した。
「ん? 今度は捨てやんと、ちゃんと填めてるよ」
「いや、故障だ」
「え、故障やなかったんでしょ?」
「振り切った拍子に腕輪のセンサーが壊れたんだ。コイツにはより高性能のセンサーを仕込んだから、今度は飛んでも跳ねても大丈夫だろう……たぶん」
萠黄は腕輪を交換した。前のものよりも幅があり、厚みもある。
「あんまりおしゃれやないね。Tシャツには似合わへんわ」
父親は笑ってとりあわない。萠黄はしぶしぶ腕に通した。
「それじゃ父さんは、これから本社に出向く用事があるので、これで失礼する」
「あの」萠黄は真顔に戻って「むんに会いたいんやけど、なんとかならへん? おとつい以来会うてないし、移った部屋には内線電話もないから話もでけへん」
携帯の電波は、地下十階までは届かない。
父親は、あっと小さく叫んで額に手を当てた。
「スマン、伝言を預かってるのを忘れてた」
「伝言?」
父親は自身の携帯を取り出し、赤外線送信で萠黄の携帯にデータを転送した。父親は時計に目をやり、「副社長にどやされる」とぼやきながら足早に戻っていった。
「むんさんって、あなたのお友達ね」
そばで清香が言った。
「はい、ずっとわたしを助けてくれてるんです」
萠黄は伝言メッセージを再生させた。液晶画面に地下の部屋の内部が映った。
(え、なんで?)
萠黄は携帯を持っていないほうの手を口に当てて驚いた。
映像は、むんが自分の携帯で撮影したものだった。彼女はベッドに伏せ、頭を枕に乗せていた。そばには点滴の容器を調整している女性看護師の姿があった。
『萠黄ぃ、わたし風邪ひいてしもたみたい。でも安心して。熱は低いし、症状も軽い鼻風邪程度やから……ックション!』
萠黄の胸は痛んだ。ヴァーチャルのむんは、あの逃亡の日々で心身ともにくたびれていたのだ。今になって溜まった無理が出てきたのに違いない。鼻声が痛々しい。
『萠黄が帰るまでには元気になるからなー』
「帰る」とは、向こうの世界に、ということだろう。萠黄は涙をこぼしそうになった。本当ならむんもいっしょに連れて帰りたい。しかしそれはできない相談なのだ。
「お気の毒に……」
清香がぽつりと言った。
応接室のドアから野宮助教授が出てきた。彼は萠黄の姿を見つけると、
「おー萠黄クン、戻ってきたか。新しいリアルがまたひとり現れたんだってな」
「先生、この人ですよ」
萠黄が紹介すると、清香はていねいにお辞儀した。
「影松清香と申します」
「ほお、あなたか。まるでモデルさんみたいだな」
「センセー。それセクハラ」
「そうか? そんなことより、炎クンが寂しがっとってな。早く来てくれ。影松クンにも紹介しよう」
助教授はとっとと部屋に戻り始める。萠黄は清香を促して後についていった。伊里江も無言で続く。
擦れ違う男性が次々と清香に振り向く。さすがだと萠黄は思った。彼女を知っていようがそうでなかろうが、その容姿は人目を惹かずにはいられない。
応接室に入った瞬間、炎少年の明るい歓声が彼らを出迎えた。
「ワオ! ひょっとしてミュージシャンの影松さん!?」
「え、ええ」
清香は炎の様子に度肝を抜かれたようだ。
「僕、毎日あなたの音楽を聴いてます!」
すると野宮は少年と清香を交互に見て、
「影松クンは音楽家なのか? 売れてるの?」
などと失礼なことを訊いている。萠黄は憤慨した。
「ドームや武道館をいっぱいにできる人ですよ」
「はーっ、そんな有名人がリアルとは露知らず」
清香は真剣な面持ちで前に出た。
「そのリアルというのが何なのか、詳しく教えていただけませんか?」
野宮は清香の言葉にあらためて口許を引き締めた。そして四人のリアルを眩しそうに眺めた。 |