Jamais Vu
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第13章
リアル集結
(11)

「そんなわけで今朝方、お母さんの慣れない運転で、おふたりはここにたどり着かれたというわけだ」
 野宮助教授は話を締めくくった。
 萠黄は肩の力を抜いた。駿河親子の話は以前、PAI関連のニュースの中で読んだ記憶があった。これほどの苦闘の歴史が存在するとは知らなかったが。
「研究所はどちらにあったんですか?」
 萠黄が問うと、母親は顔を上げ、
「名古屋です。高速道路を使いたかったんですけど、料金所やNシステムなどで足がつくのは避けたいと炎が言うものですから、裏道や住宅地、時には未舗装の田舎道を走ったりして、ようやくここまで来ました。私はペーパードライバーですし、一睡もせずに走り通しでしたからどうなることかと心配でしたが、なんとか無事に到着できました」
 そして野宮に身体を向けると、
「先生。私はまだリアルがどういうものなのか、どうして息子の身体がこうなったのか、もうひとつ理解できてません。それでもここに来れば何とかなると聞き及び、ワラにもすがる思いでやってきた次第でございます。どうか私ども親子をお助けくださいまし。良い方向にお導きくださいまし」
 母親は床に降りて膝をつき、野宮の前で土下座した。
「私などどうなっても構いません。どうか息子を救ってやってください!」
 野宮はあわてて腰を浮かし、母親の肩をつかんだ。
「お母さん、どうぞお立ちください。大丈夫です。私どもは必ずあなたがたのお役に立ちます。私が保証致します」
 萠黄は頭を下げ続ける母親の背中を見つめていた。
 これが母親の愛というものだろうか。現在の医学が息子を救えないと知ると、自らの力で治療方法を編み出そうとするその迫力。莫大な資産があってのこととはいえ、並の人間には到底真似のできないことだ。萠黄はそう思った。
「……これは実話ですが」伊里江が口を開いた。「あるところで、我が子が不治の病に見舞われました。現在の医学では治せない。普通ならあきらめるしかありません。ところが両親は自ら勉強し研究を重ね、遂には特効薬を開発してしまったそうです。この話は映画化もされたと聞いています」
 萠黄は自分の両手を眺めた。
(わたしのお母さんだったら、やっぱり自分のために何かしてくれるだろうか)
 目を閉じると、瞼の裏に母の最期の姿が思い浮かんだ。砂になりながらも萠黄に優しく語りかけた母──。
 野宮は母親をやっとのことでソファに座らせた。
「お疲れでしょうから、ひとまずお休みください。お部屋にご案内させますので──おい、和久井クン」
 会話が途切れた。するとそれを待っていたように、
『野宮先生』
 炎の声が助教授を呼んだ。野宮はベッドに顔を向け、ゆっくりと応えた。
「なんだね、炎クン」
『私はまったく疲れていません。もう少しここにいて光嶋さんたちとお話ししたいのですが、構いませんか?」
「ああ、君がいいのならもちろんOKだよ」
『ありがとうございます』
 不思議な光景である。炎少年は眠ったまま微動だにしないのに、その意思はPAIを通じて他人と話すことができる。二〇一四年のハイテク技術はここまで来ているのだ。萠黄は感動に震える思いがした。
 和久井助手は、緊張と疲労で今にも気を失いそうな母親を伴い、応接室を後にした。
「さて、と。光嶋クンたちは朝食を食べたのか?」
「いえ……まだ」
 すると呼応するように、萠黄の腹の虫が鳴いた。
「……私も口をつける直前に呼び出しを受けたので」
 伊里江も腹を押さえる。
「そうか。ならちょうどそこにサンドイッチとコーヒーがある。よかったらつまんでくれ」
 ふたりは揃って頷いた。野宮はベッドに振り向き、
「炎クン、君の朝食はどうなってるんだね?」
『お気遣いなく、先生。ちゃんと栄養剤をベッドの中にストックしてありますから。でもそのうち補給をお願いすることになるかもしれません』
「その時は遠慮なく言ってくれたまえよ。物不足だから百パーセント要求に応えることはできんかもしれんが」
『了解です。先生』
 萠黄はふたりのやりとりを聞きながらサンドイッチにパクついた。だが一口噛むと、急に口を動かすのを止めた。
「先生、このサンド、変わった味ですね」
「ん、気づいたか」
 萠黄はとりあえず口の中のものをコーヒーといっしょに飲み込んだ。そして開封したセロファンの文字に目を注いだ。
「カツサンド……後ろにカッコして合成と書いてありますけど」
「その通りだよ、光嶋クン。君の食べたカツはまがい物だ」
「………」
「判らんかね? 世の中からは、すでに肉がなくなりつつあるのだよ」


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