Jamais Vu
-184-

第13章
リアル集結
(7)

 女性──いや母親は、我が子を車から引っ張り出した。
 なんと彼女の息子はベッドの上に横たわっていた。
 十四、五歳の小柄な少年だった。
 ワンボックスカーから母親が両手で引き出すと、ベッド下に折り畳まれていた車輪が地面へと伸びた。救急車などで使用されるストレッチャーに似ているが、ベッドの縁には酸素ボンベや吸引器、心電計といった計器類がひしめき合い、点滴棒がアンテナのように垂直に伸びているさまは、少年の容態が決して軽いものではないことを物語っていた。
 隊員のひとりが消化器を持ってきた。車の煙はどうにか沈静化した。
「どこへ行けばいいの?」
 母親はベッドの把手を握りながら、副長に顔を向けた。
「奥さん、ここは病院ではありませんよ」
「判ってますよ、大学でしょ? 京都工業大学でしたっけ? 私たちは呼ばれたから、わざわざやってきたんですよ」
「呼ばれた? 誰に?」
「知らないわよ。とにかく来なさいって。ところで、いつまでこんな風の中に立たせておくの? 中に入れてよ」
「そうはいきません。部外者の立ち入りは──」
「だから言ってるじゃない! 私たちは──」
 その時、スッと白衣があいだに割って入った。野宮である。
「う、またアンタか」
 副長は露骨にイヤな顔をしたが、野宮は無視して母親に話しかけた。
「奥さん、あなたはリアルですか?」
 迷彩服たちは、ざわっとなった。
 母親は顔に、緊張の中にも決心の色を浮かべると、すっと背筋を伸ばし、つぶやいた。
「いえ……この子です。私のたったひとりの息子」
 野宮は重装備の移動式ベッドに目をやった。
 白いシーツの上に横たわった少年は、これほどの騒ぎや強風にもかかわらず、安らかに眠っていた──眠っているように見えた。胸元までタオルケットをかぶせられ、その上に置かれた両腕は白く細い。頭部には白いキャップがかぶせられており、そこからは数百本もしくは数千本のコードが頭もとの機械へと伸びていた。
「あのぉ、この大学のかたですよね?」
「申し遅れました。わたくし、当大学助教授の野宮甲太郎と申します」
「まあ! 先生様でいらっしゃいますの!」
 母親は一歩下がると、頭が地面につくほど身体を折り曲げてお辞儀した。
「お母さん、ここでは何ですから、どうぞ中にお入りになってください」
 そして副長に向かって、
「おい、門を開けてくれ! 呼びかけに応えてくれたリアル第一号だ!」

 野宮は親子をキャンパスに引き入れ、そのまま講堂に案内した。講堂では、すでに連絡を受けて待機していた係員が、親子を判定機のそばへと導いた。
「人体には影響はないんでございましょうね?」
 母親はくどいほど同じ質問を繰り返した。
「大丈夫です。ベッドのままゲートを通ってもらえれば、人体にもベッドの装置にも影響せず、正しい結果が得られます」
 係員も忍耐強く答えた。
 ベッドがゲートをくぐった。
 約一分後、スキャンされたデータからコンピュータがはじき出した答えは──。
 グリーンのランプの点灯。
 リアルである。正真正銘の。
 単なる内臓の左右入れ替わりなどではなく、細胞レベルでそうなっていることが証明されたのだ。
 野宮はホッとした。最初の訪問者がリアルだったとは、じつに幸先がいい、そう思った。
「私、駿河千恵子と申します。そしてこの子は、炎」
 母親は安全な場所にたどり着けてホッとしたようだ。講堂の応接室でソファに腰かけると、目に見えて身体から緊張が解けていった。
「いろいろとご苦労なさったんでしょうな」
 インスタントコーヒーのカップを母親と自分の前に置くと、野宮は気さくな口調で話しかけた。
「……はあ。とてもひとくちでは」
「よかったら話してもらえませんか」
 母親はチラッと息子を見た。息子は依然、眠ったままである。
「もうお判りかと思いますが、息子は起き上がることも、目を開いて物を見ることも叶わない身体なんです。二年前の事故が原因で」
「植物状態──ですか」
「いいえ、厳密には違います。炎は外見的には眠っていますが意識はちゃんとあるんです。そればかりか、しっかりと話すこともできるんですのよ」
「話せる?」
 野宮は首を傾げた。それでは植物状態とは呼ばないのではないか?
「お疑いのようですわね。では実際にご覧に入れましょうか」
 母親は胸を反らすと、顔をベッドに向けた。そして左半身をこちらに向けて寝ている息子に声をかけた。
「ホノオ! 気分はどうかしら?」


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