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-183- 第13章 リアル集結 (6) |
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その日、京都では朝から突風が吹き荒れた。 台風を思わせる横殴りの強風は、木々の枝からまだ青い葉を強引に引きちぎり、神社の庭の掃かれた砂を舞い上がらせ、鴨川の水面を激しく波立たせた。 清水寺や金閣寺など、著名な観光名所に人の姿が見えないのは今日に限ったことではない。人々は怪我を恐れて自分の家から一歩も出ようとはせず、じっと息を潜めているのだ。 ヴァーチャル世界が誕生して一週間。 笹倉防衛庁長官のテレビ発言により、この世界が直面している事態の全容は、あまねく国民の知るところとなった。 ドラマやバラエティ番組を放送しなくなったテレビ局は、連日放送枠ぶち抜きで報道番組を組み、この問題を取り上げ続けている。非常な決意で暴露をおこなった笹倉長官は、今や時の人として各局で取り合いになっていえる始末だ。 政府は笹倉の発言が正しいことを公式に認めた。ただし、リアル狩りについては不快感を示した。不当な魔女狩りに発展する怖れがあるためだが、どこまで国民に伝わったか判らない。 国民の関心はふたつ。ひとつはリアルの捕獲。そしてもうひとつは、あと七日のうちに人体の砂状化病(一般には伝染病だと誤って認識されている)に効くワクチンが開発されるかどうか。この件については笹倉も詳細は知らされておらず、出演した番組内で、某所にて完成間近とだけ答えた。 しかし生活面にて、すでに深刻な事態が発生していた。ライフラインである上水道や電気、ガスなどは支障なく供給されているものの、食糧の流通はほとんどストップしている。人々はわずかな食糧を食いつないで日々を送っている。それゆえ動きたくとも動けないのだ。 いや、深刻と言えば、より深刻な問題があるのだが、それはさておき。 野宮助教授は、今朝も定時に起床した。 いつものようにガムを噛みながら、ゲストハウスのエントランスを出る。 強風はキャンパス内の樹木を倒さんばかりに揺らしている。野宮は白衣の前を両手で合わせ、エネ研への道を急いだ。 ゴミ箱が途中にある。中に敷かれた半透明のゴミ袋が今にも飛んで行きそうにはためいている。強風にもかかわらず、野宮は日課のガム飛ばしを実行した。入るわけはないと判っていた。案の定、ガムは風にあおられてゴミ箱の横を素通りし、植栽の中に落ちた。 チッと舌打ちする。今朝の彼は猛烈に苛立っているのだ。 その理由は、昨夜、発電施設の工事現場を見回った時にさかのぼる。 予定では翌日の完成と聞いていた。それを確認しに行ったのだ。ところが──。 「無理です。仕上げに必要な部品が何種類か、まだ届いてないんです」 工事責任者はヘルメットを乗せた頭を振りながら答えた。野宮は目を見開き、それでは困ると詰め寄ったが、責任者は、 「点火プラグがなきゃ、車も走りますまい」 とにべもない。 「最近はプラグのない車も増えてるぞ」 「こいつには必要なんですよ」 おかげで昨夜は怒りのあまりなかなか寝つけなかった。中途半端を嫌う性格として、こういう宙ぶらりんな状態が一番苦手なのだ。 世の中が物不足なのは知っている。研究資材の不足はこれまでにもあった。しかし政府は速やかな調達を約束したはずではないか。加えて伊椎製作所の後ろ盾もある。なのに肝心な時にこれでは! 前方からやってきた迷彩服たちが、野宮に気づき、道を空けた。さすがのリアルキラーズも、絡み癖のある彼には閉口しているらしい。 「何だあれは?」 脇を通り過ぎようとした迷彩服のひとりが、通用門のほうを指さしながら相棒に尋ねた。つられて野宮も首を巡らす。 一台の車が通用門に近づきつつあった。水色の大型ワンボックスカーだ。野宮らのいる場所はわずかに丘陵になっているため、その車が左右にふらつきながら接近するのがよく見えた。 「酔っぱらいか?」 「運転してるのは年配の女性のようだが」 「……あ、あ、ぶつかる!」 水色の車は鉄製の門扉に正面から激突した。ガシャーンという派手な金属音をたてると、途端にエンジンから煙が噴き出した。 「自爆テロかよ!」 非常事態は迷彩服たちの出番を意味する。彼らは腰からぶら下げた銃を握りしめ、丘を駆け下りていった。 「自爆テロだと? それにしちゃ、ゆるくないか?」 野宮はつぶやくと、改めて強風に身体をすくめた。 「お騒がせ連中の相手は迷彩服の仕事。俺も自分の仕事をしよう」 彼はエネ研のほうに歩きかけたが、ふと何かが気になって、もう一度視線を通用門に戻した。迷彩模様がわらわらと集まり、門扉の脇から表に出て行こうとしている。 数日前の出来事が脳裏によみがえった。久保田が前触れもなくやってきた時に似ている。 (まさかな。だが──) 野宮は白衣のボタンを留めると、足を通用門に向けた。 煙を上げるワンボックスカーの運転席から、ひとりの女性が転がるように飛び出してきた。年齢は四十歳くらい。彼女はあわわわと聞き取れない言葉を口にしながら、車の後部にまわろうとした。 「こらっ、止まれ!」 例の副長が怒鳴った。しかし女性はくるりと振り向くと、 「あなたたちナニゆっくり見物してるの? 車が爆発するかもしれないのよ。助けてくれたらどうなの!」 副長は本能的にたじろいだ。ナンダコイツ? 「ぼさっとしてないで手伝ったらどうなの! 車にはまだ息子が乗ってるのよ!」 彼女は言うと、自分に向けられた銃口には目もくれず、車の後ろにまわり、後部ドアに手をかけて、ぐっと引き上げた。 副長は苦虫を噛み潰した。 (なんでここにはまともな人間が来ないんだ! どいつもこいつも銃を怖がりゃしない!) 副長と隊員たちはそれでも銃を構えたまま、女性の背後にまわると、距離を保ちながら彼女を取り巻いた。平凡な主婦を装っているが、油断させておいて爆弾を持ち出さないとも限らない。 しかし── 「あ」 彼らの目が車内にいたもうひとりの人間の姿を捉えると、どの顔も一様に驚きの声を上げた。 |
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