Jamais Vu
-182-

第13章
リアル集結
(5)

 萠黄はパニックに陥った。
 両手で頸にかかった真崎の手を解こうとするが、まるで根の生えたように彼の指は萠黄の喉元から離れようとしない。
「うぐぐ」
 しょせん格闘のエキスパートに敵うはずはない。萠黄の全身から徐々に力が抜けていった。
「おっと」
 真崎は手の力を緩めた。再び気道が新鮮な空気を肺に送り込み、萠黄はかろうじて失神を免れた。
「おい光嶋萠黄、あまり手を焼かせるな」
 真崎は顔を接近させた。もはや萠黄には抵抗する力もない。
「俺は別段お前を痛めつけたいわけじゃない。転送装置の完成で、リアルキラーズはお前たちを殺す必要がなくなった。だから残された使命である、伊里江真佐吉捜索に全精力を注いでいる。そのためには手段は選んでいる余裕はないんでな」
 真崎の顔がさらに近づく。萠黄の頬に彼の息がかかる。
「真佐吉はお前たちにとっても憎い敵だろうが! 奴の犠牲者であるお前たちリアルと、俺たちリアルキラーズの利害は今や一致した。さあ言うんだ! 大津の危険とは、真佐吉に関係あることじゃないのか!?」
 萠黄は目を閉じた。
 そこまで読まれていては否定することもできない。それに、悔しいが真崎の言い分は正論だ。
 萠黄は父親に精密検査を受けたときも、真佐吉が大津にいる可能性があることを打ち明けなかった。話せば真崎に伝わるだろうし、自分たちをさんざん苦しめた迷彩服に協力したくなかったからだ。
 それ以上に弟である伊里江真佐夫の『自らの手で兄を裁きたい』という思いを尊重したかった。
 だが冷静に考えれば、それは単なる感情論だ。一刻も早く真佐吉を捕えなければ、事態は何も解決しない。
 虜囚の身に甘んじている今、自分に何ができよう。ならば情報を提供するのが最善の方法ではないか──。
「判った。言う」
 萠黄はそれだけ答えた。
「よし、話せ」
 真崎は立ち上がると、少し離れた芝生の上に立て膝をついて腰を落とした。ここで話せというのだ。
「──洲本の、離れ島にいた時、真佐吉さんと電話で話しました。無事に島を脱出できれば自分の居場所を教えると彼は約束しました。そして脱出後、彼から弟の真佐夫さんのところに写真付きでメールが届きました。自分は現在、大津にいると」
 萠黄は両手を芝の上についたまま、がっくりとうなだれた。
 真崎は立ち上がると萠黄に近寄り、彼女の小脇を抱えて立たせた。
「そのメールと写真を俺に渡すよう、伊里江の弟を説得しろ。それでお前は無罪放免だ──おい!」
 真崎はシュウを呼び、反対側から萠黄を抱えさせた。
 男たちは萠黄を連れてエントランスに踏み入り、エレベータで五階まで上がると、伊里江の部屋をノックした。
 部屋にいた伊里江は、事情を知ると顔を強ばらせた。彼は写真とメールの提出を拒否したが、萠黄の「もうええやない。後はプロに任せようよ」という言葉に悔しげに唇をゆがめながら、最後は折れた。
 真崎は自分のポケット型パソコンに転送された真佐吉の写真を見ると、
「このふざけた天パ野郎に命乞いをさせるのが、俺の最後の仕事だ」
 そううそぶき、踵を返して部屋を出て行こうとした。
 その時、萠黄のポケットで携帯が鳴った。
《萠黄! どうした? 無事か?》
 出ると、父親がテレビ電話モードで話しかけてきた。顔を近づけ過ぎて眉間と鼻面しか映っていない。
「お父さん──」
《なぜ急にモニターデータが途切れたんだ?》
 モニター──腕輪。
 萠黄は一拍呼吸を置いてから応えた。
「盗み聞きさせるからよ」
《ナニ?》
「なんで腕輪に盗聴器なんか仕込んだの?」
《盗聴? 何を言ってる?》
 液晶画面の父親は、怪訝そうに首を傾げた。萠黄はハッとなった。
(そんな!?)
「ハハハハハハ」
 張りつめた空気を切り裂いたのは、真崎の笑い声だった。
「女子供を騙すのはじつに気が引けるが、それにしても他愛のない。ノーベル賞学者の娘だから、もっと骨があるかと期待してたんだがな」
 呆然とする萠黄の視線を受けながら、真崎は伊里江の部屋から出た。しかしそこで足を止めると、張りのある声を廊下に放った。
「シュウ・クワン・リー!」
「ハ、ハイ」
 シュウが直立不動で応えた。
「たわけが! 小娘ごときに籠絡されおって。お前の見張りの任を解く!」
「はっ……」
 頭を垂れるシュウを背に、真崎は携帯を取り出すと口早に命令を伝達した。
「非常呼集をかけろ! これより大津に向かう!」


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