Jamais Vu
-180-

第13章
リアル集結
(3)

「あんた、ひょっとして、リアルか?」
 作業員の中から一歩進み出た男が、上目遣いに萠黄を見つつ、言葉をかけてきた。
 萠黄はどう返事してよいのか判らなかった。
 もし肯定したらどうなる?
 リアルはこの世界にとって災いの元凶だ。笹倉防衛庁長官の『リアルを殺せ』発言は、それを知った者にとって、まさに共感できるものだったはずだ。
 かといって否定も難しい。周囲を見回すと、自分たちがいかに浮いた存在であるか、改めて思い知らされる。おそらく大学は全学休講中のはず。萠黄のような若い女性は、いてもグレイの作業服を着ていたり、和久井助手のように白衣姿ばかりだ。Tシャツにリュックを背負った軽装の女の子など皆無である。
「違うのか? リアルなんだろ?」
 男がさらに間合いを詰める。グループのリーダーだろうか。鬢に白いものが混じった猫背の中年男性。やはりグレイの作業服を着ており、両手はグレイの帽子を腹の前でぎゅっと握りしめている。
 萠黄はつばを飲み込み、おもむろに立ち上がった。
「光嶋萠黄という、れっきとした名前があります。でもリアルかどうかと訊かれれば──リアルです」
 一瞬、食堂内が揺れたかと思った。前にいたグループの上げたどよめきが、そのまま食堂じゅうに広がっていったのだ。
 リーダーの男は、いきなり萠黄の手を握った。
「あんた、大変な目に遭ったんだってなあ。こんな小さな女の子が」
 所作は荒々しいが、その口振りには萠黄を思いやる心情があふれていた。
「あ、いいえ──」
 手を取られたまま、おろおろしていると、他の作業員たちも我がちに駆け寄り、萠黄に対して口々に話しかけ出した。
「世の中全部が反対に見えるってホント?」
「どんなことで一番苦労した?」
「俺たちと同じものを食べても平気なのかい?」
「超能力が身についたんだってね。スプーン曲げられる?」
 口々に話しかけてくる。横を見れば、箸を持ったまま呆然としている伊里江も肩を叩かれ、あれこれ話しかけられている。
 五分後。
 萠黄は食堂の真ん中に立って、百人もの作業員たちに向かって話しかけていた。萠黄の身の上に起きたことを是非聞かせてほしいと懇願されたのだ。
 作業員たちは行儀よく椅子に座り、萠黄の言葉に耳を傾けている。
(なんでこうなったんやろう?)
 萠黄はしかたなく、奈良の家で起きたこと、神戸から淡路島、加太、そして家に戻り、さらに京都にやってきた間の出来事を、かいつまんで語った。萠黄にとってこれほど大勢の前で話す経験はもちろん初めてのことだ。
 語り終えた時、作業員たちから拍手が湧き上がった。リーダー格の男が代表して再度、握手を求めてきた。
「ありがとう、萠黄さん。おかげで我々の仕事にも張り合いができたよ。必ず君たちを、やってきた元の世界に帰してあげるからな」
 すると誰かが「俺たちゃ、ただ電池のバケモノを用意するだけだよ」と叫んだ。リーダーは、
「違いねえ」
 と応え、食堂は爆笑の渦に巻き込まれた。

「大したものだ、ミス光嶋」
 食堂を出ると、迷彩服の男が言った。
「………」
「大勢に取り囲まれて泣き出す。俺はそちらに賭けていた。まあ、作業員たちがあれほど好意的だとは想像していなかった。それでもミス光嶋の態度は堂々としたものだった。いやいやいや」
 そう言って自分の後頭部を叩いている。
「おじさんは、わたしたちをわざとあの食堂に連れていったんですか?」
 男はバツが悪そうに頭を掻いた。
「そうだ」
「ひどい」
「悪かった。一応、銃の安全装置は外していた。一悶着あった時に備えて。いやいや」
 両手を広げて笑いながら、
「次回、俺たちの前でも、同じように話してほしい」
「冗談やないわ」
 萠黄は憤然としたが、男はたどたどしい言葉運びで、
「冗談ではない。俺たちは名前こそリアルキラーズ、リアルを殺すために編成された部隊。しかし俺は途中入隊組。隊長代理に連れられてきた連中とは違う。真崎に洗脳されてキル・ザ・リアル≠ノ凝り固まってはいない。
 今や転送装置が完成直前。俺たちは解散してもいいんじゃないかと考えてる」
 萠黄は意外な思いに打たれ、男の顔を見直した。男の表情からは硬いお面が取れ、どこにでもいるひとりの男性がそこにいた。年齢は久保田くらいだろう。慎重は伊里江ほどだが、鍛え抜かれた身体はかなりマッチョだ。茫洋とした風貌に似合わないきびきびとした動作は、さすがに特殊部隊の片鱗を伺わせる。
「いやいやいやいやいや」
 どうやらこれが男の口癖らしい。
 彼は足を止めた。
「俺の名はシュウ。香港出身のアメリカ人だ」
 そう言って、萠黄に向き直った。
「シュウさんですか」
 外見では判らなかったが、日本語がたどたどしいのは外国人だったからかと萠黄は納得した。
「家族がカリフォルニアにいる。俺は家族を守るため、リアルキラーズに志願した。理由は金だ」
 シュウは再び歩き出した。萠黄たちも従う。
 萠黄たちは要請がなければエネ研に立ち入ることはできない。居室に戻るしかないのだ。
「ヴァーチャル世界ができてしまった今、リアル世界の俺には、もう何もすることがない。今頃アメリカにすっ飛び帰ってるだろう。最期の時は家族と共にいたいから。向こうの俺には、こちらの状況を知ることはできない。きっと不安な毎日を送っているだろう。いやいやいや」

 この日、萠黄も伊里江も終日、居室で過ごすこととなった。食事は頼めば運んでもらえたが、萠黄は食堂に行くことを希望した。彼女の中にはもう地震の際の高揚感は残っていなかったが、作業員たちと語らいながら食事することに楽しみを見出していた(伊里江は居室を二度と出なかったが)。
 考えられない変貌ぶりである。萠黄はよく喋り、よく笑った。夕食後には、作業を終えた男たちの酒の席に混じって、いっしょに飲み(ジュースやお茶で)、時には歌を披露した。夜更けになって、男たちに見送られて食堂を後にした彼女はじつにいい気分だった。
「ミス光嶋、足許に気をつけるように」
 シュウが注意した。もはや見張りではなく、ただの付き添い人である。
「ダイジョーブ。あ〜楽しかったぁ」
 するとその時、萠黄の携帯が振動した。取り出すと、
〈着信 影松清香〉
の文字が表示されていた。


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