Jamais Vu
-179-

第13章
リアル集結
(2)

 窓越しに自分を見つめる伊里江の笑顔を見ていると、萠黄はまた怒りがむらむらと込み上げてきた。
「お隣りさんやないよ!」
 八つ当たりだと判ってはいた。しかし募るイライラの持って行き場がないのだ。それでもどうにか気持ちを抑えると、
「──いつからその部屋にいてたん?」
「……昨夜、午前零時を回ってすぐです。地下十階の部屋で、まだ起きてパソコンを触っていたのですが。……あれは有無を言わさずという感じでしたね。萠黄さんの検査で、リアルと地震の因果関係が判明したからと聞きましたが」
「──まあね」
 伊里江が知らないようなので、萠黄は地震が彼女のエネルギーを減らしていることを教えた。案の定、伊里江はひどく驚いた。
「……すると転送が間に合わなくても、リアルのエネルギーを下げることができれば、二週間のリミットを延長できるわけですね!」
「無理よ。地震の起こしかたなんて判らへんし」
「……念じてもダメですか?」
「検査でいろいろ試してみたけどアカンかった。でもええやん。リアルが元の世界に戻れたら関係ないんやし」
 萠黄は視線を縦長プリンに戻した。目を凝らすと、建物の脇で工事に携わっている人の動きが見えた。トンカンという音は聞こえない。大まかな作業は終わって、今は内部の仕上げにかかっているのだろう。あと数日で完成すると野宮は断言した。
「リアルの人たち、早く集まるといいのになあ」
 ヴァーチャル世界が誕生して、今日で六日目。まだ五回しか夜を越していないのだ。萠黄には何週間も逃げまわっていた気がするが。
 腕にはめた測定器は、午前七時半を示している。伊里江の腕にも同じものがはめられていた。
「朝ご飯、食べに行こうか?」
 萠黄は空腹だった。昨夜は、検査の合間にパンを少しかじっただけなのだ。
「……うーん、その案には賛成ですが、見張りがOKするかどうか」
「見張り?」
 その時、コツコツとノックがした。ドアにはマジックミラーもない。
「どなたですか?」
「見張ってる者です。届け物を渡します」
 内鍵を外し、おそるおそるドアを開けると、迷彩服姿の無骨そうな四十男が、片手に持ったノートパソコンを萠黄に突き出した。
「どうも……」
 受け取ると見張りの男はくるりと向きを変え、反対側の壁まで歩いていった。そしてそこに背中をつけると、鋭い目でこちらを睨みつけた。あるいはそれは光の加減のせいかもしれなかったが、萠黄は怖くなり、あわててドアを閉めかけた。
 その時、腹の虫がぐーと鳴った。萠黄は勇気を出し、思い切って男に話しかけてみた。
「あのお」
「何か?」
「お腹が空いたんですけど」
「ああ、朝飯」
 男の表情が幾分和らいだように見えた。
「八時に、食堂に連れて行くよう、言われてる」
「わ、判りました」
 ドアを閉じかけた萠黄に、今度は男のほうが声を投げかけた。
「腹、減ってるのか?」
「えっ、ハ、ハイ」
「そうか」
 男は壁から背中を離すと、伊里江の部屋のドアを叩いた。
「坊やも起きてるか? いっしょに食うなら、今から連れていってもいいぞ」
 伊里江もドア越しに聞き耳を立てていたようだ。リュックを背負ってすぐ飛び出してきた。
 男はぷいと背中を向け、何も言わずに階段を降り始めた。萠黄もリュックを手に伊里江と並んで階段を降りた。

 ふたりが朝食の席に着いたのは、大学生協の食堂の片隅だった。それでもたくさんの作業服を着た男たちが入れ替わり立ち替わり入ってくる。ある者は席に着き、あるいは食べ終わった盆を下げていく。彼らは二十四時間三交代制で発電施設の建設に関わっている人たちなのだ。どの顔も疲労の色が濃いが、目だけはギラギラとしており、異様な緊迫感が伝わってくる。誰もが仕事の重要性を知っていて、完成に向け、懸命に努力しているのだ。
 萠黄は気後れを感じて、スクランブルエッグの上に顔を伏せた。彼らのおかげで自分は懐かしいリアル世界に戻ることができる。そう思うと、ただ寝転んで検査を受けていただけの自分が気恥ずかしい。もっと何かお役に立てることはないのだろうか。
 気づくと、ふと近くでざわつく声がする。顔を上げると、四、五人の作業員がこちらを指さしている。
(やばーっ。袋だたきにされるかも)
 不安になって反対側を見ると、迷彩服の男は黙々と食事を続けている。こちらを無視するかのように。
 作業員たちは互いに頷き合ったかと思うと、つかつかとこちらに近寄ってきたではないか。
 萠黄は身体を固くした。


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