検査はスムーズに運んだ。エックス線撮影から始まり、説明されても仕組みの理解できない装置による検査は十数項目に及んだ。それでもおおむね順調に進み、これで最後という検査に到達するまで五十分とかからなかった。
おそらくそうなるように、父親が萠黄を呼びにいく役割を買って出たのだろう。萠黄には判っていたが、それでもかまわないと思った。実際、検査は手慣れた検査官を押しやって、父親自らおこなってくれたし、そのほうが萠黄にとっても説明を聞きやすく好都合だった。
「これまで何人のひとが、ここで検査を受けたん?」
白い壁で区切られた検査室には、ベッドの他に各種測定装置が所狭しと置かれている。
ベッドに横たわった萠黄の身体は、さまざまな装置や電極につながれていてほとんど身動きがとれない。頭だけを動かして、窓を隔てた数メートルのところにいる父親に訊ねかけた。
《伊里江真佐夫君を含め、萠黄で四十五人目だ》
父親の声は、頭に取り付けたインカムのマイクを通して返ってくる。
「その中にリアルは、いてなかったん?」
《君たち以外、ひとりもな》
やはり、そうやすやすと発見できるものではないのだ。一億数千万人の中でたった十二人。自分だって出会ったのは番外の伊里江だけなのだ。メールで呼びかけた候補者の中に、果たして本物のリアルがいるのかどうか。いやそれ以上に、この京都まで日数以内にたどり着いてくれるかどうかも疑わしい。
考えてみれば、明るい材料など大して存在しない。転送装置が数日のうちに完成して、自分は元の世界に帰れたとしても、たったひとりのリアルが残っていれば、元の世界共々吹っ飛んでしまうのだ。
いつでも帰れるのだとしたら、自分は一番最後に帰りたい。安心をお土産にして、ヴァーチャル世界に別れを告げたい。
でも、その後、この世界は……?
「お父さん」
《なんだね》
「リアルがいなくなった後、この世界はどうなんの?」
《そんなこと、萠黄が心配するに及ばないよ》
父親は計測データを画面で追いながら答えた。
「聞いときたいねん。だってわたしをここまで助けてくれた友達もいてるんやから」
《大丈夫だ》父親は萠黄に笑顔を向けた。《そのために、この施設があるんだからね》
「えっ、エネ研って、転送装置を作るためだけにあるんやないの?」
《まさか! 確かに転送装置の開発には多くの人手が必要だが、これほどじゃあない。研究員の半数以上は、今後の世界のありようについて取り組んでいる》
ずいぶんと曖昧な表現だなと萠黄は思った。彼女は気持ち、声を落とすと、
「“リアル以後”っていうんやね。さっき、お父さんの会社の人が話してるのを聞いてしもた」
《副社長か。あの人は声が大きいからな》
そう言うと父親はマイクを切り、ドアを開いて測定室に入ってきた。窓には他の人間の姿も見えるが、室内の声は漏れることはない。
父親は手近の椅子に腰かけると、
「ウチの会社、伊椎製作所が大手の仲間入りをしたのはあの人の手腕によるものだ。それは否定できない。やり方には賛同できない部分も多いが」
父親は声に不快感をにじませた。かつて「そんなもんだ」が口癖だった父が、そんな声を吐いたことは一度もなかったが。
「お父さん、変わったね」
「あの頃は、明生社長がいたからなあ。ハハハ。社長は私のことをすごく買ってくれてね。私がノーベル物理学賞で、五人目の日本人受賞者になれたのは、ひとえに明生社長のおかげだよ。なのにあの副社長が口出しするようになってからというもの、社長を実権のない会長職に追いやるわ、あくどい金儲けに走るわで──」
父親は言葉を切った。さすがに娘の前で語る話ではないと自重したらしい。
萠黄は父親の苦闘の道のりを垣間見た気がした。
「リアル以後がどうなるか、聞きたいんだったな」
「うん」
父親はかさついた両手をさすりながら、
「要は、怪我をしても人間の身体が砂状化現象を起こさない方法があるかないか、これに尽きるんだ。私は、それは可能だと思ってる」
「ホントに!?」
萠黄は驚いて起き上がりそうになった。
「まだ理論の段階だがね。──父さんはバーチャル世界、つまりこの世界がどんな世界なのか、それを探るところからスタートした。萠黄も知っているように、大怪我をすると人体は砂になって崩れてしまう。だがちょっとした怪我ならば、軽く砂が飛ぶ程度で、ふつうの怪我とさして変わらない。ではこのふたつの間にどんな相違があるのか?」
「自然治癒できるぐらい軽い怪我かどうか、かな?」
「いい線だがそれではすべてのケースを説明できない。調査した中には、少なくない出血が起きた状況でも砂状化が起きなかった例がある。判るかな?」
萠黄は首を振った。見当もつかない。
「出産だ」
「あ」
「帝王切開でも砂状化は微々たるものだった。不思議だろう? また、ある工場で起きたケースでは、工員が指を第一関節から切断する事故が起きた。彼の姿は二十分で砂に変貌した」
「………」
「これらをすべて説明できる仮説があるのだろうか。私のプロジェクトチームの出した答えはこうだ。『砂になるのは予見できない怪我の場合である』と」
「予見……じゃ、覚悟があればどんな重傷を受けても助かるっていうの?」
「それは無理だ。命に関わるような場合は、リアル世界でも命取りだろう?」
「でも──例えば銃で撃たれたとして『大したことない、こんなんかすり傷や』なんて自己暗示をかけたら?」
「うーん、ダメだった」
「だった?」
「自ら志願して実験した猛者がウチの会社にいたんだ。胆力のある男で、おまけに実験の直前、催眠術までかけさせた上で、指を切断した」
「げっ」
「直後はまったくと言っていいくらい砂は出なかったので、我々も不謹慎ながら万歳を叫んだほどだった。ところが切断した指をくっ付けるべく、準備していた手術台に乗せたところ……指どころか、手首がはじけ飛んだ」
「──!」
萠黄はその様子を想像し、恐れおののいた。 |