Jamais Vu
-169-

第12章
予測不可能な事態
(5)

「ほら来た、さっそくおいでなすったぞ」
 天井を睨む久保田の言葉に、萠黄も自然に身体が緊張するのを感じた。
 上に昇れば再び、エイリアンでも見るような奇異の視線をシャワーのように浴びることだろう。
(負けるもんか)
 三人は立ち上がり、各自の部屋に戻って身支度することになった。
 萠黄はその前に、むんの部屋をノックしてみた。ドアは一般のホテルのように閉まると外からは開けられない仕組みになっている。
「むん、起きてる? わたしたち行くけど、加減が良くなかったら休んでて」
 ドア越しに返事らしい声が聞こえたが、何と言ったのかは判らなかった。
 十五分後。予告どおりエレベータが到着し、扉が開いた。中には誰も乗っていなかった。
「さあ行くぞ」
 三人が乗り込み、久保田が《閉》ボタンを押そうとすると、「待って」とむんが駆け込んできた。
「いいの?」
 萠黄が短く尋ねると、むんは息を弾ませながら、こくりと頷いた。
 扉が閉まる。エレベータは上昇を始めた。誰もが無言で減っていく回数表示を見ている。
 地下五階に到着。開いた扉の前では、野宮助教授が厳しい表情で待っていた。
「盗聴器を外したそうだな。真崎が怒っておった」
「今度やったら訴えてやると伝えてください」
 助教授はふっと鼻を鳴らし、
「テレビのニュースは観たな?」
「リアル狩りですな」
「ああ。政府はマスコミの応対にてんてこ舞いだ。あの小心者の長官のせいでな」
「で、俺たちを呼んだ理由は?」
「トボケなくてもいい。例のリアル呼集の件だ。急げ! またどこかの町が吹っ飛ぶ前にな」
 久保田は萠黄と伊里江に視線を送った。ふたりは頷き返す。
「こちらもそのつもりですよ、先生。ただしいくつか飲んでほしい条件があるんですがね」
「後で聞く。ひとまずついてきなさい」
 言うと野宮は白衣をひるがえして歩き始めた。あわてて四人も追いかける。
 予想どおり、視線の雨が彼らに降り注いだ。嫌悪の目、好奇の目、非難の目。気にせず四人は進んでいく。前方に群がった研究員たちは、逃げるように道を開けた。
 円筒形の壁にはいくつものドアが並んでいた。野宮はそのひとつに萠黄たちを招じ入れた。
「この部屋を君たち専用に使うといい」
 萠黄は一目見てそこが気に入った。
 四つのスチール机が向かい合うように並び、机上にはパソコンがご丁寧に人数分並んでいる。うち一台は最新型ハイエンドタイプのデスクトップMacintoshだ。しかも──。
 萠黄は前にまわり、両手でキーボードを持ち上げた。
「うわああ」
 エスケープキーが左上にある。テンキー群が右側に集まっている。萠黄にとってこれこそが使えるキーボード≠ナある。
「急遽作らせた。中身は元のままだけどな」
 萠黄はさっきまでの憤りを忘れて、素直に喜んだ。
「ここのメインコンピュータへのアクセス権も設定しておいた。向こうのドアはトイレだし、壁には配膳エレベータもある。用があればそこのコールボタンを押しなさい。和久井クンに通じている。
 さて、君たちの条件を聞こうか?」
 久保田は三人の顔を見渡すと、野宮のほうに戻した。
「いえ、特にないようです」
「オッケーだ。すぐ取りかかってくれ。私は発電所の工事現場の見回りに行かねばならん。足りないものがあれば和久井クンに言ってくれ。ではこれで失礼する」
 助教授はいそいそと出て行った。
 萠黄はリュックからおもむろにHDDを取り出した。この部屋にも工具箱があるので、取り付け作業は何とかできそうだ。ドライバーを回す方向が逆なのが少々つらいが。
 伊里江もウィンドウズマシンが元の世界仕様だったので喜んでいた。
「軍事独裁国家に捕まった頭脳集団がむりやり最悪の環境下で働かされる──なんて図を想像してたのに、これじゃ文句をつけようがねえ。なあ、むんさん」
 むんは軽く頷いただけだった。
 その時、ドアが開き、野宮が再び顔を覗かせた。
「光嶋クン」
「は、はい」
「ひとつ聞きたいんだが、君のお父さんの名前は?」
「──裕二ですけど」
 やはりな、と呟いて野宮は遠い目をした。



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