ショックだった。
目の前でいきなり扉を閉められた思いがした。
「しかたない。三人で今後の策を練るとするか」
久保田はふたりに椅子を勧めた。しかし萠黄は立ち尽くしたまま、ドアの間から覗く廊下の薄暗い照明を見つめていた。
(もっと気遣ってあげるべきやった)
元はといえば、真崎という粘着質の男が放った悪意の矢が原因だ。あれがむんの歯車をどこか狂わせてしまった。
いや、むんはずっと隠し抱いていたのかもしれない。自分がヴァーチャルであることへのコンプレックス。
この世界の圧倒的大半の人間がヴァーチャルであるにもかかわらず、ずっと萠黄と伊里江というふたりのリアルに挟まれた状態で、命からがらここまで逃げてきた。
むんは萠黄を助けるため、いっしょに行動してくれたのだ。親友だったから。
同じく道連れになった揣摩太郎も、当初の動機こそ違えど、萠黄たちの力になってくれようとした。しかし途中で心に変調を来たし、袂を分かつことになってしまった。
当然、むんにも相当の重圧があったとみるべきだろう。
(それを汲み取ってあげられへんかった)
この世界では超人なのだと豪語した萠黄の啖呵は、かえってむんの心を踏みにじったのではあるまいか。ヴァーチャルというひ弱な存在であることを思い知らされ、気持ちが折れてしまったのではないか。
親友とはいえ、これまではいつも萠黄がむんに庇われ、支えられる立場だった。父親が家を出てからは特にその傾向が強くなった。
この世界にやってきて、ふたりの立場は逆転した。
今こそむんを守ってやらねばならないはずだ。なのに彼女を十分に思いやることもなく、勢いだけでひとり勝手に暴走してしまったのだ。悔いが残る。
「萠黄さん? 君にも座ってほしいんだが」
久保田の呼びかけにようやく萠黄は我に返った。
「すみません」
思考を中断し、あわてて伊里江の隣りに腰をおろす。
久保田は話を続ける。
「まあ俺たちもこうして拉致されっぱなしでおとなしくしている謂れはねえ。上の連中は」ちらっと視線を天井にやる。「さっきのニュースに仰天したこったろう。下手すりゃ、リアルたちがなぶり殺しに遭う怖れもあるからな」
「……そう簡単にやられはしないでしょう。リアルは」
伊里江の言葉に久保田は、そうかと頷いた。
「寝た子を起こして、逆に返り討ちにあう可能性もあるわけか。そうなるとますますオオゴトだな。俺たちも何かしら心構えをしておく必要がありそうだ」
「あ、盗聴は──」萠黄が顔を上げた。「いえ、この部屋は盗聴の心配はされてないかなって」
「聞いてなかったのかい? 青年がさっき調べてくれたよ。この部屋は大丈夫だってさ」
伊里江の指さす先に、盗聴器センサーが置かれていた。リュックパソコンが兄に盗聴されていた教訓から、島を脱出する時、センサーを持ち出していたのだ。
「……もう一度言いましょうか? 我々の居室にはそれぞれ二個ずつ盗聴器が仕込まれていましたが、すべて取り外しました」
萠黄はごめんなさいと消え入るような声で言った。
「続けてもいいかい?」
「は、はい」
ウホンと久保田は喉を鳴らし、
「えーと、政府も事態を表沙汰にしたくなかったくらいだから、君たちにせっついてくると思うんだ、リアルを一刻も早くここに集めるよう。そちらの準備はどうなんだい?」
「……いつでも招待状を発送できます」
「上等だ」
久保田は膝を打つと立ち上がった。そして、狭い工作室の中を、両腕を組んでぐるぐると歩き始めた。
「リアルたちには自力でたどり着いてもらうしかなさそうだな。無事到着したら、すぐにでも彼らを転送装置で送り返す。もう迷彩服どもの出番もなし、と。これで万事、一件落着か」
「……いいえ」伊里江が激しく首を振った。「兄を捕えなければいけません。さもないと兄はもう一度同じことをやるでしょう」
「ええっ、またぁ?」
久保田はがっくりと椅子に腰を落とした。
「……しかし私は迷彩服たちの助けを借りたいとは思いません。この手で探し出したい──」
「居場所は判ってるんだよな?」
「……兄の自己申告ですから、当てにはなりませんが」
ポーンポロポーン。
場違いな音楽が響き渡り、天井スピーカーから和久井助手の声が流れ出した。
《十五分後にエレベータがお迎えに上がります。皆様、お揃いの上、お乗りください》
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