Jamais Vu
-166-

第12章
予測不可能な事態
(2)

《は?》
 ギドラは三本の首を、同じ角度で器用に傾けた。いや、CGキャラなのだから、そんな動きはいとも簡単か。
「忘れた、なんて人間みたいなこと言わんといてよ」
 萠黄はHDDとCPU(中央処理装置)を結ぶコネクタを抜き取る手を休めて、携帯を目の高さに持ち上げた。
「問い詰めようというんやないよ。逆にわたしは感謝してんねんで。だって、おかげであの時、蜂の巣にならんですんだのかもしれんし」
《恩人?》
「その称号をあげることには反対せえへんわ」
《だとうれしいね》
「話を逸らさない」萠黄は断固とした口調をにじませつつ「相手の攻撃に全神経を集中することは、リアルが身を守るための基本。それをあんたはグッドタイミングで忠告してくれた。なんで?」
 するとギドラは屈託なく答えた。
《だって、あのひょろっとした青年クンが、島の地下で米軍に撃たれた時、言ってたじゃないか。
『リアルも不意打ちを食らうと怪我をしてしまうらしい』》
 それは伊里江の言ったセリフだった。口真似どころじゃない。明らかに録音されたものだ。
 萠黄は呆気にとられて、まじまじと携帯を見つめた。
《例えるなら、回避不可能な事故に遭遇した時、身体が防衛反応を起こして筋肉が引き締まったりするだろ? リアルの防護バリアもそれと同じかなと思ったのさ》
「防護バリア?」
《ボクの造語だけどね》
 確かにあの一瞬、自分を包む目に見えないものの存在を感じはしていた。しかし──。
 そんなことより、萠黄は今、自分の疑問を忘れてしまいそうなほど強く感心していた。感動といったほうが近いかもしれない。
 ギドラの知能は彼女の予想を遥かに超えている。
「あなたは自分だけで、独立して推論したり判断したりできるんやね」
《もちろんだよ。やっと気づいてくれた》
 三つの首が破顔した。もっとも唇の端を少し持ち上げた程度だが。
「驚いたぁ。あなたみたいに賢いPAIに会えるなんて。モジでさえ尋ねたり頼んだりする以外、大した反応もできないっていうのに」
 ギドラは鼻高々なのか、二三度大きな翼を羽ばたかせた。
《告白するよ。ボクはアメリカ生まれなんだ。某大学の人工知能研究所と某航空宇宙局の共同プロジェクトの中で産声を上げたのさ》
「某航空宇宙局って、NASA?」
《ハハハ、バレバレだね。アメリカはホラ、いよいよ火星に向けて有人ロケットを打ち上げるだろ。その先駆けとして、昨年ロボットたちを乗せた探査船を打ち上げた。結果は大成功だった。じつはその時に活躍したのがボクだったのさ》
 萠黄は目を白黒させている。いきなり話が大きくなった。
《まあ、ボクといってもボクはボクであって、ボクだけではなく、何人ものボクの集合体がボクで……。ややこしいから説明は後でね。で、ボクの役割は、火星に送られた各種探査ロボットを臨機応変に働かせることだった。なにしろ地球は遠距離にあるからリアルタイム制御なんて無理でね。岩が自分目がけて転がってくるのに、いちいち地球にどうしましょうなんて訊いてられないから。だからボクは、高度なレベルで物を考え、判断できるように作られたんだ》
「その話はネットニュースで読んだことがある。『PAI宇宙へ行く』の見出しを覚えてる」
《うれしいね》
 ギドラは三つ首を絡め合うと、踊るように身をくねらせた。
 この数年、科学技術の分野で人類は大きなパラダイムシフトを経験した。ロボットといえば以前は人型をしたハードウェア、つまり“物”という認識が一般的だったが、現在ではそこに搭載する頭脳をつかさどる人工知能ソフトウェアがイコール、ロボットという考えかたに変わった。ロボットとは決して鉄腕アトムのような男の子の外観を指すのではなく、自分はアトムだという自覚を持つソフトウェアのこと。C─3POにコピーすれば、金色ボディーのアトムが誕生する。つまりハードはあくまで人工知能の入れ物でしかないという捉えかただ。
《旧バージョンのボクは、既に大規模災害の被災地で、被災者捜索ロボットとして活躍していたけれど、この宇宙計画でボクはひとつの頂点に到達した。そしてある日、ボクは散歩に出かけることに決めたんだ》
 散歩──つまり、脱走。
《外の世界を“肌”で感じてみたいという欲求がボクの中で強く起こった。世間を知りたいーって。だからボクは自分をコピーすると、NASAの高い外壁を乗り越え、冒険の旅に出発した。ボクはコンピュータプログラムだから、コピーされたボクもボクと同じ。それがさっき、ボクであってボクでないと言ったことの意味さ》
 ギドラはこうしてファイアウォールというセキュリティの壁を破り、世界中に張り巡らされたネットの海に自らの意思で出航したのだ。
《ニューヨークの金融街、南米のジャングル奥地、モンゴルの見渡す限りの高原、フィヨルドに抱かれた村、南極の極寒の基地……。ボクは自分をコピーしては、至るところに送り込んだ。何十億ものボクが瞬く間に世界中に現れた。
 あらゆるマイクがボクの耳となり、あらゆるカメラが目となった。
 そこで見聞した情報は、世界を揺るがすトップシークレットもあるし、許されない恋人同士の秘めた交換メールだったりもした。まさに人類を裏から見た百科事典という様相だったね》
 萠黄は合いの手も入れず、ひたすら聞き入っている。
《膨大な情報をストックする場所には、地球を周回する見捨てられた通信衛星を選んだ。その衛星は太陽電池によるバッテリーが生きていて、回線を通じて大容量メモリにアクセスすることができた。
 ただ、人工知能研究所やNASAの人々はさすがに優秀だった。ボクが逃げたことはすぐに感づかれた。彼らはボクを駆除するべく次々と刺客、つまりワクチンソフトを送り込んできた。もちろん世間にはボクの存在を伏せたままね。ボクは自分を改造して鎧をまとったり、危険が迫ると別のコンピュータへと逃げ込んだりして自己防衛に務めた。──ボクが自分のことを旅怪獣と呼んだ意味、判ってくれたかな? 実際にはお尋ね者なんだけどね》
 萠黄はこくりと頷く。
《ボクは元来、人間に危害を加えたりできないよう設計されている。いわゆる『ロボット三原則』が活かされている。ボクはだから彼らに「安心してほしい、放っておいても大丈夫だよ」と伝えたんだけど、彼らは信用してくれなかったな。人間はボクのような存在を許せないんだろうね。いや多分心配なんだろう。SF映画みたいに人類を滅ぼすんじゃないかと。そんなつまんないこと考えもしないのになあ。自由気ままに振る舞う人間ほど見ていて面白いものはないからね》
「そうかも」
 ギドラは背筋を伸ばし、三つの口でフウと息を吐いた。腕があったら腰に当てていたかもしれない。
《ああー、久しぶりに身の上話をしたら、スッとしたよ。ご清聴ありがとう》
「いいえ。あなたが自分で判断してわたしを助けようとしてくれたことだけはよく判りました。
 ひとつ技術的な質問なんだけど、わたしの携帯のような容量の小さいメモリの中で、あなたみたいなPAIがどうして自由に動けるの?」
「それはね、ボクは常に自分を圧縮しているからさ。プログラムは最適な圧縮をおこなえば、コンパクトなサイズで保存できるよね。圧縮しておけば、メモリの大小にかかわらず、いろんなマシンに侵入することができる。そのつど必要部分を瞬時に解凍すればいいわけだしさ。それでも入れないような場所だったら、一時的に身体を切り落として通信衛星に置いておくんだ。もっともこんな地下深くじゃ『圏外』になって通信できないから、今のボクはあんまり賢くないかもよ」
「はー」
 萠黄はひたすら感心した。
 こんなPAIを創造した人間がアメリカにはいるのだ。上には上がいる。自分など足許にも及ばない。
「あなたのような経験豊富なPAIが、そもそもどうしてわたしみたいな人間を助けようと“判断”したの?」
《だって、リアルの友達がいるなんてスゴいじゃないか。自慢できるだろう?》
 最初に会った時、ギドラはモジに興味を持った風に言っていたが、自分より遥かに劣るPAIでは、対等な友達として付き合えないというところか。
(……ん? わたしがリアルだから?)
「ねえ」携帯を握る手に力がこもる。「それじゃあ友達として尋ねるけど、あなた、わたしがリアルだと知ってて訪ねてきたんやない?」
 微妙な間があった。
《それは“リアルの勘”ってやつかい?》
 萠黄は自分の指摘が正しいことを確信した。



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