Jamais Vu
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第11章
激震
(17)

 笹倉防衛庁長官、緊急記者会見。
 NHKらしく、そっけないテロップの並んだ画面。そこには頭髪の薄い五十がらみの男性が、思い詰めた表情でテーブルに置いた両手の爪を見つめていた。
(──これが防衛庁長官)
「このうらぶれたおっさんが本当に長官なのかい? 確か総理と同期だったと記憶してるが、とても五十歳には見えないな」
 そのとおりだ。画面でしょぼくれている男性は、控えめに見ても六十過ぎの容貌をしている。
《始めてもよろしいでしょうか?》
 進行役のアナウンサーらしき女性の声がした。笹倉は夢から覚めたように顔を上げると、顔を傾けて曖昧に頷いてみせた。
《それではただいまより記者会見を始めさせていただきます。長官、どうぞ》
 促された笹倉はすぐに声を出そうとして痰が絡んだらしい。そばに用意されたコップに手を伸ばすと、煽るように飲み干した。こぼれた水が顎から首筋にしたたる。
「なんでえコイツ、ネクタイを締めてないなと思ったら、ジャージじゃねえか」
「会見場は、長官の自宅なんやって。これは緊急特番で、全然予定されてなかったって言うてたわ」
「しかしなんで自宅なんかで?」
「……シーッ」
 伊里江が唇に指をあてるのと同時に長官は話し始めた。
《放送をご覧の国民の皆さん、私が今から申し上げる話は全て事実です。信じられない、あり得ないと思われるかたも多いでしょうが、どうかひとまず最後まで冷静に私の話をお聴きください。国民の皆さんひとりひとりに関わることなのです。
 最初にお断りしておきますが、この記者会見は私の一存で開かせてもらいました。政府は一切関知しておりません。おそらく今頃、首相官邸では私の独断専行を知り、当惑していることでしょう。政府は全てを秘密裡に解決しようとしていたのですから……。しかしそれも限界です。私は今こそ国民の皆様に真実を知っていただき、共に困難に立ち向かうべきだと信じて、急遽この場を設けさせていただきました》
(それで自宅なのか──)
 笹倉は一呼吸おくと、片手で頭髪を梳き、自らの決意を確認するように二三度頷いた。
《皆さんもご存知の北海道消失。じつはあれは天災ではなく人災だったのです。それもたったひとりの科学者、伊里江真佐吉が引き起こしたことなのです。
 伊里江というのは、かつてブラックホール騒動を起こしたマッドサイエンティストです。彼は私利私欲のため、価値ある研究を独占するべく、重要なデータと共に、所属していた研究所から姿をくらましました。
 その後、彼が失踪時に書き残した言葉が一人歩きをし、人工ブラックホールなどというのはでまかせの嘘っぱちだという認識が一般に広まりました。ところがそれこそが嘘、まやかしだったのです。実際彼はブラックホールを作り出すことに成功していました。
 身を隠した後、伊里江は自らの発明の売り込みを開始しました。ブラックホールは無尽蔵ともいえるエネルギーを生み出します。金のなる木どころか、この世界の有り様を一変させる技術です。欲しがらない者などいるわけはありません。大は軍事国家から、小はテロリスト集団まで──。
 強大な力を持った者の宿命でしょうか。伊里江は発明の価値を高めようと、いえ、自ら世界の王となるため、その力を誇示することを思いついたのです。
 かくして北海道は彼の指先一本で消滅しました。
 彼は、世界が自分の前に跪くことを望みました。そして我が国政府に対して、到底不可能な待遇の実現を要求してきたのです。
 私の長年の同志であり、現内閣総理大臣である山寺鋭一は当然この要求を突っぱねました。ところが既に狂気に囚われていた伊里江はそれを不服とし、最後の一線を越えてしまったのです》
 笹倉は言葉を切ると、水のお代わりを要求した。いつの間にかその眼には炯々とした光が宿っていた。今や伝えることの使命感が彼の全身を支配している。
(長官はヴァーチャル世界の正体を国民に暴露しようとしてる。そんなことして何になる? まさか──)
「……汚い」
 萠黄の耳が、伊里江・弟の怒気のこもったつぶやきを捉えた。彼は血の昇った顔を画面に向け、震える指先を笹倉に向けた。
「……兄さんひとりを悪者にするつもりですか……これでは欠席裁判じゃないですか! 卑怯! 卑怯! 卑怯です!」
「落ち着け、青年」
 久保田が諌めたが、伊里江は聞く耳を持たない。
「……この男、次にこう言いますよ。『皆さんで伊里江真佐吉を探してください。発見次第、血祭りに上げるのです。そうすれば世界は救われます』と!」
(それだ!)
 萠黄は画面に目を戻した。真佐吉の公開指名手配。記者会見はそれが狙いだったのだ。
 笹倉の話は続く。
 伊里江真佐吉は自暴自棄になり、とうとう世界を丸ごとブラックホールに飲み込ませるという最悪の手段に出た。九日後、世界は終末を迎える──。
 萠黄たちにとっては既成事実として受け入れている事柄が淡々と語られていく。初めて耳にした人々はどんな風に受け止めることだろう。
(戒厳令のせいでほとんどの国民は家にいる。この番組の視聴率も当然高いはず。やられたな。こんなことならわたしらもマスコミを利用する方法を考えるべきやった。どうしたらええかは判らへんけど)
 萠黄が考えごとをしている間にも会見は進み、長官の話はいよいよ終盤を迎えた。
「……まさか兄の顔写真を公開するんじゃ」
 伊里江の呟きに、他の四人もそうなるだろうと予測した。それ以外には考えられない。
 しかし笹倉が最後に口にした言葉は、その予想を完全に裏切るものだった。
《──残念なことに、真佐吉の顔画像は一切残されていません。しかし皆さんにもできることがあります。
 あなたの身の回りに、突然左右の風景が入れ替わってしまったという人はいませんか? 右利きなのに突然左利きになってしまった人を見かけませんか?
 それがリアルなのです。
 私たちの平和な世界を脅かすマッドサイエンティストの申し子なのです。
 皆さん! 今すぐリアルを殺してください。
 息の根を止めてください。
 そうすればこの世界は救われます!》



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