Jamais Vu
-162-

第11章
激震
(15)

「カッカッカ、先生って意外とベタな笑いで場をかっさらっちゃう人ですかい?」
 笑った弾みで弛んだらしい。久保田は頭に巻いていた手ぬぐいをはずした。
「ヘタな笑い? 下手ってなんだ!」
 野宮は真剣に目くじらを立てている。おそらくみんなが笑った理由を理解することは、この助教授には難しいかもしれない。
 ドンッ。
 突然前触れもなくドアが激しく揺れた。誰かが表から強い力で叩いたようだ。何か硬い物で。
 久保田は手ぬぐいを拳に巻きつけると、肩を怒らせてドアに近づいた。
「相手にするんじゃない」
 野宮の注意にも耳を貸さず、久保田の手は躊躇なくドアを開けた。
 廊下を遠ざかる足の停まる気配がした。久保田が睨む先にドアを鳴らした人間がいるのだ。楽しげな笑い声にいらついた人間が。
 と、久保田はなめし革のような大きな舌を、喉の奥から相手に向かってビュッと突き出した。
「ベーロベロベロベロ」
 彼はやるだけのことをやると、すぐにドアを閉め、素早く内鍵まで掛けた。外を駆け戻ってくる足音がする。
 ドンドンドンッ。てめーこのやろーなどと罵りの声がドアの外で炸裂する。
 久保田は「おーコワいコワい」などとおちゃらけた声を上げながらテーブルのそばに戻ってきた。野宮は困ったやつだとばかり眉を顰めている。
「迷彩服どもの心証を悪くすると、ここの居心地が悪くなるばかりだぞ。まったく子供じゃあるまいし」
 だが野宮の小言など馬耳東風とばかり、久保田はハーイと子供返事を返し、口笛を吹いている。
 萠黄とむんは笑いをこらえるのに必死だった。
 その時──。
 萠黄の中で小さな爆発が起こった。
 線香花火のように小さな火花が瞼の裏で四散した。
 凍えるように冷たい光だった。
 光は萠黄の心臓をひと撫ですると、あっという間に消え去った。
(何? 今の……)
 呆然と胸の辺りを見おろしたが、何も変わったところはない。
 しかし萠黄の頭はその意味を察していた。
 リアルの直感──。
(こんな風にみんなと笑いあう機会は、この先もうないのかもしれない)
 それはあまりに哀しい直感だった。

 笑いが収まると、全員の視線は再び画面に集中した。
「撮影できた風景はわずか二秒。しかし間違いなくリアル世界だ。こちらとは裏返しになった文字が確認できたしな」
「同じ方法で、向こうに行くことができるんですな?」
 久保田の問いに野宮は大きく頷いた。
「生体実験はまだだが、東京から輸送されてきた検体を用いて、向こう側への移送が可能なことは既に確認してある」
「検体?」と萠黄。
 野宮はあっさりと答えた。
「ハモリの遺体だ」
 あっと皆が叫んだ。
「もっとも使用したのは彼の髪の毛のみだったが」
「他の──リアルの人たちは?」
 野宮は首を横に振った。
「残念ながら、遺体のかけらも残っとらん」
 萠黄は胃液がこみ上げてくるのを感じた。
 遺体すら残らない殺されかた……。
 既に四人のリアルが死亡たというショッキングな事実を、先ほど教えられたばかりだ。ハモリ氏を除く三人はいったいどんな最期を迎えたのだろうか。
(ひとつ間違えれば、わたしもそうなってた──彼らも転送装置が完成してたら死なんでも済んだのに)

 時計を見た野宮がイカンと小さく叫んだ。
「もうあまり時間がない。とりあえず必要事項だけ伝えておくぞ。
 まずリアルのふたり。君たちは、電力設備が完成して転送装置が稼働し次第、元の世界に帰ってもらう。それまではこの建物の居住エリアで過ごしてくれ。そちらの女性とお前」久保田を顎で指した。「お前も事情を知った関係者だ、ここから出すわけにはいかないので同じく居住エリア行きだ」
 ていのいい軟禁や。萠黄は唇を尖らせた。
「さて、この建物は地下一階から五階までが吹き抜けの巨大な実験室になっておる。転送装置もそこにある」
 それで廊下の天井があんなに高かったのか。
「あとは私らの部屋があるくらいだ。君たちの居住してもらう部屋はこのひとつ下の地下六階にある。
 さっきみたいに物騒な迷彩服どもが、この建物を含め、キャンパス内をくまなくパトロールしておる。鬱陶しい限りだが安心してくれ、連中はこの地下五階までしか入れん規則になっておる。安眠を妨害されることはないだろう」
 物は言い様である。結局は頭を抑えつけて逃亡できないようにしているのだ。
「そして最後にひとつ。あの真崎に幾度も念押しされとるので伝えんわけにはいかん。
 君たちなんだろう? この広告を打ったのは」
 マウス操作で画面にスクリーンセーバーが立ち上がった。すぐに映ったのは萠黄たちが加太のホテルで作ったSS広告だった。
(うわ、まだオンエアされてたんや)
 しかし三人は示し合わせたように無言を守った。
 野宮は息をひとつ吐くと、
「黙秘されても、とうにバレとるよ。迷彩服たちは、広告の隅に掲載された男性の写真から舞風クンの線を掴んだらしい。その時点でハッキングされとる全ての人工衛星を機能停止にすることもできた。おそらく君らも遅かれ早かれそうなると予想しとっただろう。
 だがそうはならなかった。なぜか判るか?」
 萠黄はおもむろに顔を上げた。
「ほう、光嶋クンは気づいたようだな」
「広告に反応を示したリアルたちに、ここへ集まるよう、呼びかけさせるためですね?」
 野宮は両腕を組んで深く頷いた。
 萠黄は続ける。
「迷彩服たちがわたしたちに手を出さなかった理由もそれでしょう?」
「君はなかなか聡い女の子だな。回転が速い。こんな時でなければ、私の研究室に欲しいところだよ」
 萠黄は苦笑を浮かべた。
「馬鹿にしないでください。初めから判ってましたよ」


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