Jamais Vu
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第11章
激震
(14)

「ウーン、いい質問ではある。ではあるが説明している時間的余裕はない」
 野宮は冷たく言い放ったが、それではあんまりだと思ったのか、
「まあ大雑把に言うとだな。二個のブラックホールを干渉させるんだ」
「二個を干渉?」
「そう、一方のブラックホールに、別の小さなブラックホールを近づける。すると当然二個は互いに引き合うわけだ。引き合いながらも、大きなほうは小さいほうを飲み込もうとする。ところがこの時、二個の間には引っ張り合う力が均衡する点というのが両者を結んだ線上に出現する」
 野宮の手がマウスをクリックした。すると画面に大小二個の球が現れた。そして両者の間の少し小さいほう寄りに黄色く光る+印が点滅している。二個の球が近づきあうほどに+印も微妙に位置をずらしていく。
「……+では重力がゼロになるのですね」と伊里江。
「そうだ。我々はゼロG点と呼んでいる。このどちらにも引きずり込まれない点上に居さえすれば、熊であろうが蟻であろうが、二個のブラックホールが互いに激突する瞬間まで平気でいることができる。そこで我々は、ゼロG点にマイクロ飛行艇を飛ばすことにした」
 画面が切り替わった。今度はビデオカメラで撮られた映像だ。非常に窮屈そうな部屋の中に、その四角い実験装置は置かれている。横に立つ野宮の背丈と比べると装置はかなりの大きさだ。
 カメラが寄る。装置は上半分が透明ガラスで覆われており、中は明るい。その明るい中に黒くぼやけた雲状のものがふたつ浮かんでいる。
(ふたつ? ……ということは、これが)
「人工ブラックホールだ」萠黄の見当を、野宮が補足した。「これは四日前におこなった実験の記録だ。ほら今、マイクロ飛行艇が射出された」
 予告されたとおり、画面の端から小さな物体が黒雲に向かってゆっくりと進み出した。
 ここでまた映像が切り替わった。今度はマイクロ飛行艇搭載のカメラ映像らしい。
「飛行艇の鼻面は大きいほうのブラックホールを向いている。もうじき、リアルの世界が見えてくる。ここからは瞬き禁止だぞ」
 萠黄は緊張に生唾を飲み込んだ。いつの間にか爪が食い込むぐらい拳をきつく握りしめている。
(リアルの世界、わたしの居るべき世界!)
 飛行艇は雲に突入し、画面は真っ暗になった。画面下の秒数表示がめまぐるしく変化している。早回しにしているのだ。
「さあ、いよいよだ。まさに二個のブラックホールが重なろうとする直前──!」
 自己陶酔した野宮の声がファンファーレのように耳を打つ。萠黄も煽られてテーブルに乗り出し、期待感に身を震わせていた。
 画面がカッと光り輝いた──。
 だがそう思ったのは一瞬で、輝きが収まると液晶画面には大きな文字が三つ浮かび上がった。

 千日前

「………」
「……せん・にち・まえ?」
「これって……?」
 その通り! と野宮が腕を突き上げて絶叫した。
「ストライクだろ? カメラは見事に狙った標的を捉えたんだ。どうだい、光嶋クン」
 呼ばれて萠黄の目は、助教授と画面の間を行ったり来たりしたが、ようやく実験の目的を思い出した。
「そうですね……えっと、文字はわたしの慣れ親しんだ向きになってます」
「だろう?」
 野宮は得意満面といった調子でポンと腹を打った。
 映像が映し出したのは、大阪ミナミの中心地ともいえる場所、千日前商店街アーケードの入口である。「千日前」の三文字はまさしく左から右に配置されている。疑いようもなく、それはリアル世界だった。
 遠出の経験の少ない萠黄にもその景色は身覚えがあった。この先には大阪の誇る日本橋電気街がある。
 しかし。
「あのー、なんで千日前なんですか?」
 萠黄は思い切って訊ねてみた。すると野宮はよくぞ質問してくれたとばかり、妙なウインクをしてみせると、
「生まれ故郷なんだ」
「先生のですか?」
「そう、私は千日前の老舗料理屋の次男坊として生まれ、この街で育った。だから街の隅々までよく知っておる。実験するからには裏返しになってもピンとくる場所でないといかんだろ? だから実験当日、装置を一式、大型トレーラーに乗せてわざわざ大阪まで行ったんだ」
「でも先生サンよお」今度は久保田が訊ねる。「ここは京都なんだから、わざわざ大阪くんだりまで出て行かなくても、もっとこう気の利いた場所というか、たとえば清水寺とか金閣寺とかのほうが良かったんじゃないかい?」
「何をヌカす!」野宮は憤慨した。「見てたろ? あの小さなマイクロ飛行艇を。超小型CCDカメラを積載した飛行艇はな、目標に向けて正確に飛ばすのが極めて難しいのだ。お前のような落第モンには判るまい」
「いえ、俺は自主退学でして」
「どっちでもいい! あのな、建築物というのはちょっと見る角度を誤るとワケが判らんようになるんだ。だから私はあえて──」
「はいはい、もう納得しましたから、どうか落ち着いてください」
 久保田は両手で野宮の肩を叩き、何度も頭を下げた。
(わたしはなんとなく嵐山の風景なんかを想像してたけど──、よりによって千日前が出てくるなんて)
「……教えてもらいたいんですが」
 伊里江が挙手した。皆の視線が彼に集まる。
「……千日前とは、いったい何のイベントのカウントダウンなのですか?」
(???)
 わずかの後、小会議室は爆笑の渦に巻き込まれた。
 久保田は腹を抱えて。野宮はむせるように。萠黄は涙を流しながら。伊里江だけはずっと、きょとんとしたままだった。
 萠黄はさりげなくむんに視線を向けた。彼女も口許を押さえながら、くくくと忍び笑いをしていた。



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