Jamais Vu
-159-

第11章
激震
(12)

 傲慢な笑みを顔全体に浮かべた真崎。伊里江は燃えるような怒りの視線をその笑みにぶつけていた。
(このままだと次に何を口走るか──)
 不安に駆られた萠黄が声をかけようとするより早く、むんがスッと真崎の前に立ち塞がった。
「初対面なのに、いきなり無作法な人ですね。取り調べをするならするで、前もって予告してください。こちらの心の準備もありますから」
「ほお」真崎は両目を半ば閉じると、揶揄するような口調で「お前は、北海道事件遺族団の広告塔の女だな」
 しかしむんは相手の言葉に取り合わず、じっと黙って相手を見返した。
 真崎は不敵な笑みを浮かべたまま、
「ヴァーチャルに用はない、引っ込んでろ……と言いたいところだが、お前の性格からするとしおらしく引っ込んでたりはしないだろうな。舞風むんさんよ」
 むんは唇を噛んだが、それでも視線は外さない。
 しかし、どうやら既に三人の名前や素性はバレているようだ。
「OK」真崎は両手の平を見せ、一歩退がった。「そこの先生たちとの約束もある。初顔合わせはこのくらいでお開きにしよう。だがな、最後にひとつだけ教えてくれ──おい、伊里江真佐夫」
 フルネームを呼ばれて伊里江は身体を強ばらせた。
「お前の兄、真佐吉は、いまどこにいるんだ?」
 もし真崎が“読心術”を使えたとしたら、三人の頭の中から容易にひとつの地名を読み取ったことだろう。
 ──『大津』。
 息詰まる時間が経過した。
 誰も動かない。伊里江が問われた刹那、サッと顔を背けた以外は。
(それじゃ『知ってます』と言うてるようなもんやん)
 萠黄が心の中で厳しく毒ついていると、
「もういい。真崎さんとやら、席を外してくれ」
 久保田が言い放った。怒鳴るのをやっと抑えてるという声で。
「判ったよ」
 真崎は肩をすくめると、ドアのほうに歩き出したが、すぐ立ち止まり、
「その代わり、例の話をこいつらにちゃんと言い聞かせとけよ」
「くどいな」
 真崎はドアノブを回した。そして部屋を出ようとした瞬間、さりげなく横で睨みをきかせているむんに顔を向けると、こう言った。
「リアルに付き合ってても良いことはないぞ。お前は連中とは違うんだからな」
 むんが投げた片方の靴は、ギリギリのところで閉じたドアに当たって大きな音を立てた。

 野宮助教授は四人を伴い、壁ひとつ隔てた隣りの部屋に移動した。そこは小さな会議室で、中央に置かれた長テーブルを十人も囲めば満員になりそうな広さだった。
 テーブルの端には大型液晶画面付きのパソコン端末が設置されている。助教授室と廊下に面した壁にはそれぞれドアがあるだけ。地下だから当然窓はなく、いたって殺風景な部屋である。壁の色はライトブルー。助教授室もそうだったし、ここに来るまでのエレベータや廊下も同じ色で統一されていた。
(なんとなく気の引き締まる色。そんな効果を狙ってるのかも。理系の大学ってどこもこんなんかな?)
 会議室などという場所に入ること自体、萠黄にとっては初体験である。憧れまじりで首を巡らせていたが、落ち込んだまま面を伏せている伊里江と、いまだ興奮冷めやらないむんが目に入ると、あわてて視線を落とした。
「まあ、適当に座ってくれ」
 野宮は言うと、そばのインターホンを押して、和久井助手にコーヒーを五つ持ってくるよう言いつけた。
「あの真崎という奴は、人の神経を逆撫でするのが趣味のような男でな。気にすることはないぞ」
 反応はない。
 萠黄はおずおずと久保田に目線を送った。彼はその意味を感じとったらしく、野宮に向かって、
「先生、彼女らにしてみりゃ先生だって初対面の人間だし、突然こんな地下に連れてこられたんだ。そうそう急にリラックスはできねえよ」
「むう……そんなもんかな」
 野宮は困った顔をすると、白衣のポケットをまさぐってチューイングガムを取り出し、無造作に紙を剥いてポイッと口の中に放り込んだ。
 モグモグ動く口と連動するように太鼓腹が揺れる。萠黄は不思議な生き物でも見るように、腹の曲線が上下動するのを眺めていた。
 ノックがした。廊下側のドアが開いて和久井助手がコーヒーを乗せたワゴンを部屋の中に運び入れた。和久井はホテルのルームサービスよろしく、五人の前にカップを置いてまわる。そして丁寧にお辞儀をして出て行った頃には、部屋は香しいコーヒーの匂いが充満していた。萠黄はようやく緊張の糸がほぐれるのを感じた。
 チラッとむんに目をやる。すぐ横の椅子に腰かけたむんは、まだ思いつめた顔で空中を睨んでいる。
 萠黄は手を伸ばし、テーブルの下でむんの左手に触れた。すると意外なことにむんは一瞬手を引っ込めようとした。
(えっ?)
 萠黄はハッと息を飲んだ。
 助教授室でむんは完全にキレてしまった。ドア目がけて靴を投げた後、何か叫んだようだったが萠黄には聴き取れなかった。
 鬼のような形相。そんな親友を見るのは初めてだった。それだけ真崎のひと言は彼女を傷つけたのだといえる。
 萠黄は逃がすまいと腕を伸ばし、むんの手を強引に握った。むんの肩から力が抜け、目から涙があふれ出すと、そのままもう一方の腕で顔を包むように机に突っ伏した。
 萠黄は握る手を換え、むんの肩を後ろから抱いた。
 男たちは狼狽と戸惑いで、互いに顔を見合わせるしかなかった。



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