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-158- 第11章 激震 (11) |
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助教授室の床は薄いカーペットが敷かれているため、足音らしい足音がしない。それでも萠黄には、男が自分に真っ直ぐ近づいてくるのが手に取るように判った。 男の発する灼けつくような“気”が全身を舐め回す。萠黄はゾッとしながらも、恐ろしさに振り返ることができなかった。 男の“気”にはどす黒い感情が込められていた。それは悪意? 害意? それとも、殺意? いや強いて言うなら、原初的な憎しみとでもいうか。 野宮助教授がたちまち難しい顔をした。 久保田も目を三角にして嫌悪感を示したが、萠黄との間に入ろうと、男に話しかけた。 「隊長さん、紹介します。こちらが──」 しかし男は手を挙げると、久保田の言葉を断ち切った。 男はゆったりとした足取りで、萠黄の前にまわった。 若い男だった。三十を超えてはいまい。 短く刈った髪の色はライトグレイで、髪先は心の内を示すようにハリネズミ状に尖っている。 身長は百六十五前後。 筋骨逞しい身体は、まるでそれ自体が生き物の集合体であるように、迷彩服の下でドクドクと律動している。 太い首の上にある顔は、見ようによっては童顔といえるだろう。しかし左目の上を縦断する古い裂傷が、男の顔貌にこの世のものとは思えない凄みを与えていた。 「真崎だ。リアルキラーズの隊長を務めている」 リアルキラーズ……。 「そう、俺たちはリアル殺し専門に編成された」 「──オイ、あんた!」 久保田が鼻息荒く、真崎の右肩を掴んだ。 トンッ。 真崎の伸ばした指が久保田の胸を押した。たったそれだけで久保田はバランスを崩し、「わ、わ、わ」と腕を振り回しながら床に尻餅をついた。真崎の足は一歩も動いていない。 「約束どおり、危害を加えるつもりはない。そこで静かに見ていろ」 鋭い目が萠黄の顔に戻される。 「──光嶋萠黄だな?」 「……そうです」 「ようやく会えたか。奈良のモデルハウスでは見事に我々の裏をかいてくれた。さらに洲本沖合いの無人島では、米軍の攻撃をかいくぐり、まんまと脱出してのけた。プロの攻撃部隊を手玉に取るとは、まったく見上げたものだよ、リアルさん」 そして顔はそのままに目だけを動かすと、 「そちらの男は、伊里江真佐夫だな」 「な、なんと! 久保田、本当か?」 野宮助教授の激しい問いに、久保田は渋い顔で頷いた。 「しかも」真崎は薄い唇をひと舐めし、「こいつはリアルなんだよ」 「げっ」野宮助教授は驚愕の表情を浮かべながら、まじまじと伊里江の姿を凝視した。「言われてみれば、兄真佐吉の面影がある……」 「先生も驚いたか? 俺もさっき知ったばかりだ。入館時の認証で過去の膨大なデータと照らし合わせて判ったのさ。残念ながらテロリストの兄貴のデータは写真以外残ってないがな」 その時、伊里江が一歩前に出た。 「……一方的にテロリスト呼ばわりするな! 兄さんをあそこまで追いつめた連中の側にも非はある!」 真崎は目を眇めると伊里江の顔を不思議そうに覗き込み、 「君は怒っていないのか? 無慈悲な兄貴のせいで弟の貴様まで鏡像世界に投げ込まれたんだぞ」 「……違う! 私は自分の意志で行動した。島に残されていた転送装置でここに来たのだ。兄さんの送り込んだ十二人に私は含まれていない!」 「そうか──判ったぞ! 貴様もグルだな。真佐吉と結託して世界を滅ぼすつもりだろう!」 「……違うと言うのに! 私の目的は、兄さんの過った考えを糾すことだ!」 「嘘も大概にしろ!」真崎は額に青筋を立てて怒鳴った。「現に貴様はリアルの逃亡を助けているじゃないか! 真佐吉の狂った考えに異を唱えるなら、なぜ真っ先にリアルを殺さない!?」 伊里江は言葉に詰まった。真崎は一番痛いところを突いたのだ。 「……私にはリアルを──萠黄さんを撃つことはできなかった。何のためにこの世界にきたのか──」 伊里江は頭を抱えると、がっくりうなだれた。 部屋はエアポケットにはまったように、全ての音が消えた。 フフフと笑い声を漏らしたのは真崎だった。 「まいったね。ちょっと突ついたらホイホイ喋ってくれる。真佐吉の弟にしてはお粗末だな」 (あっ) 萠黄はようやく気づいた。誘導尋問だったのだ。わざと怒らせて相手に喋らせる。基本中の基本じゃないか! それにしても伊里江は素直すぎた。実の兄という最もセンシティブな部分に触れられたのだとしても、 「確かに貴様は兄貴の片棒を担げるようなタマじゃない。さもなきゃおのれが『十二人には含まれない』などという重要な情報を喋ったりはしないだろうからな」 |
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