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-152- 第11章 激震 (5) |
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「ちょ、ちょっと冗談はやめてくださいよ」 久保田は顔色を変えた。 「冗談なものか」野宮は居丈高な態度で冷たく言い放った。「いいか? この世界じゃリアルは厄介者だ、悪性の病原菌みたいなものだ。そんな連中に味方するお前のような奴は、人類の裏切り者と言っていい。さっさと迷彩服に処刑してもらえ」 「違う!」 久保田は立ち上がると野宮に駆け寄り、電話に延ばされた腕を太い手で掴み止めた。 「放せ」 野宮は腕を振ったが久保田には敵わない。 「聞いてください。あのコは病原菌なんかじゃありません。ごく普通の人間です。たまたま白羽の矢を立てられてリアルになっただけなんです。言ってみりゃあ、あのコも被害者なんですよ。違いますかい?」 「………」 「イワの話だと、リアルを元の世界に送り返すことができるそうですね。ここの研究室がそういう装置を開発したと教えてくれましたよ。ブラックホールの暴発を防ぐのは間に合わないけど──」 「おい!」野宮は血相を変えた。「誰に聞いた? 間に合わないなどと」 「へ? 岩村です……死んだ迷彩服の友人ですが」 野宮は舌打ちした。秘密が漏れている。いや秘密というほどのものでもない。ここにいる研究員の誰にでもいい、それとなく訊ねれば判ってしまうことだ。 (俺たちは負けた。たったひとりの天才、伊里江真佐吉に、俺を含めて我が国最高の知性が寄ってたかっても敵わなかった……。クソッタレ!) 野宮は足許のくずかごを蹴り飛ばした。床の上に紙屑が散乱する。久保田が目を丸くして野宮を見つめる。 「──それだけか?」 「は」 「他に言いたいことはないのか?」 久保田は野宮から手を離した。野宮も電話から指を下ろす。 「──萠黄さんたちは一生懸命なんです。彼女はもうひとりのリアルの男と、ヴァーチャルの女友達といっしょにここまでずっと逃げてきたそうです。何度も死線をくぐったと言います。単なる民間人の彼女らがそんな苦労を強いられてるにもかかわらず、自分たちの力で解決方法を模索してるんです。正直、胸を打たれたっていうか……。 俺には可愛い妹が近江八幡に住んでます。一分一秒でも早く彼女のもとに行ってやりたい、怖がってるのを安心させてやりたいと思ってます。でも萠黄さんらを放ってはいけない気がするんですよ。これまで人生逃げてばかりだったけど、今度ばかりは逃げちゃいけないって。 でも俺だけじゃ何の力にもなってやれません。だから昔いたこの研究室を当てにするしかなかった。イワの遺言がなければ、二度とこの学校の敷居をまたぐことはできなかったでしょう。 今朝、筵潟先生のお宅を訪ねたのも、かなり勇気が要りました。下手すればそのまま迷彩服に通報される可能性もあったわけですからね。 先生は意外なほど優しい言葉を掛けてくださいました。私のような中途退学者を覚えてくださっていたことも感激でしたが、『戻っておいで。ここはお前の古巣だ。スタッフ共々歓迎するよ』なんて言ってくださり」 久保田は床の上にどすんと腰をおろした。手で顔面を拭っている。 (泣いてるのか?) 野宮は壁際に設えられた書架に目をやった。そこには彼の著書がずらりと並んでいる。三十代後半にして既に恩師である筵潟先生の著書数を超えた。学会誌への寄稿や報告書などを含めると倍ぐらいになるかもしれない。 研究活動は競争でもある。それでなくとも敵を作りやすい野宮は、人一倍、対外的な活動に重点を置いてきた。執筆活動だけでなく、海外へも積極的に出かけて名前を売り込んだ。そんな時、犠牲になるのは学生たちだったが、野宮は全く気にしなかった。院生にしろ研究生にしろ、実験ロボットぐらいにしか考えていなかった。おそらくは今も。 (筵潟先生は、電話の声だけで久保田を思い出した。なのに俺は目の前に立たれてもコイツがかつてここにいた学生だとは気づかなかった。名前さえも思い出せなかった……) 野宮の目が久保田のつむじに注がれる。 この男はふたりのリアルを連れてきたのだという。そのふたりを元の世界に送り返すだけでもヴァーチャル世界の被害を減少させることができる。これはとてつもないことだ。 (気まぐれに構内に引き入れたものの、通用門にコイツが来た時、無視していたら。引き入れた後に身柄を連中に渡していたら──) 血まみれになって倒れる熊男。そして、ふたりのリアルとのコンタクトは永遠に断たれて……。 「ついてこい」 野宮は戸口に向かった。 「え?」久保田が真っ赤になった目を上げる。 「研究室を案内してやる。イヤか?」 「あ、はいはい」 久保田は頭のタオルを結び直すと、勢いよく立ち上がった。 |
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