Jamais Vu
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第11章
激震
(4)

(クソ面白くもない。助教授の俺の頭越しに事を企むなんて!)
 野宮は不快感をあらわにしながら、革張りのソファにどすんと体重を預けた。
 表に「野宮助教授」と表札の掛かっているこの部屋は、エネ研にある彼の私室である。教授倒れるの報にあわててかけつけた野宮は、それが嘘だったことを知らされ、憤懣やるかたのないまま、ここに戻ってきたのである。
「失礼します」
 怒りの源が野宮の正面に腰かけた。久保田陽平。十五年前に筵潟研究室から逃走した男。
 エネ研の内部に立ち入ることができる人間はごくわずかで、もちろん関係者のみである。野宮も毎朝エントランスをくぐる時、眼と手の平を所定の装置にかざし、認証を受けないと入ることはできない。
 久保田の在学中には認証システムはまだ導入されていなかった。そこでデータベースに登録されていた久保田の顔画像を呼び出し、同定したところ、九十パーセント以上の確率で同一人物と認識された。
 他に場所もない。野宮はしかたなく久保田をエネ研に入れ、自室へと連れてきた。いや連行≠オた。
「説明してもらおうか」
 冷たい声で腕を組むと、真正面から久保田の顔を睨みつけた。久保田は殊勝げにタオルを頭から外すと、ボリボリと頭髪を掻きむしった。フケが粉雪のように空中を舞った。
「私のことはもう?」
「ああ、思い出したよ。俺が院生だった時、プレゼミに参加した四回生の中にいたよな。柔道をやってたといって、カリフラワーの耳が記憶に残ってる」
 野宮はチラと久保田のちぎれた耳たぶに目をやる。
「はい、私が入院した時、先生は助手になられたばかりでしたね」
“入院”とは大学院進学を指す隠語だ。逆は当然“退院”。
「思い出話に浸ってる時間はない。さっさとお前の魂胆を洗いざらい吐いてもらおうか」
「判りました。全部お話しします」
 そう言うと久保田は、昨日から今朝にかけて身を以て体験したことをつぶさに語り始めた。
 加太のホテルで数年間料理長を務めていたが、不穏な世情のあおりを受け、営業を停止することになり、自分たち従業員は各々実家などに戻ることになった。久保田の実家は近江八幡だったので、同じく滋賀に行きたいという客を同乗させた。その中の女の子のひとりがリアルだった。
「リアルだと? お前、その言葉の意味を判って言ってるのか?」
「ええ、彼女たちに教わりました」
 リアルの女の子、光嶋萠黄は途中で奈良の自宅に戻りたいと言い張り、自分は軽い気持ちでそれに付き添った。危険があると彼女は忠告したが、まさか武装した迷彩服が待っているとは思いもよらなかった。どうにか自分たちは彼女の家にはいることに成功し、彼女は必要なものを手に入れることができたが、銃撃戦の末、迷彩服のふたりは命を落とした。
「ふむ。それで?」
 野宮は知らず知らず話に引き込まれてた。彼はリアルについての知識は持っているが、その実態はよく知らないのだ。
「萠黄さんは、浴びせられた銃弾を跳ね返したようです。それも相手の身体に」
「………」
 昨日読んだ報告書を野宮は思い出した。秋田で発見された十代のリアルの男性も、撃たれた弾を手で払いのけたという信じがたい話が書かれていた。結局その男性は、言葉では言えないような方法で殺害されたという。
「迷彩服の男性のほうは私の友人で、やはりこの研究室にいた男だったんです。彼は死ぬ間際、筵潟先生を訪ねろと教えてくれました。リアルが死なずにすむ解決策があると」
 野宮は目を閉じ、口を真一文字に結んだまま、静かに久保田の話に聞き入っている。
「それで萠黄さんらを車に乗せ、こちらに向かうことにしました。運転してる間に迷彩服の友人が話したことを聞かせると、同乗する他のふたりが補足してくれましたよ。聞けば聞くほど突飛で恐ろしい話でしたが、信じるしかないと思うようになりました」
(恐ろしい──。まったくだ。俺だって研究者でなきゃ、とっくに逃げ出してるところだ。でも逃げるってどこに?)
「ここに到着したのは昨夜、午前二時頃でした。勢いで来ちまいましたが、さすがに夜中に訪問したってしょうがねえ。そう思って離れたところから懐かしの母校を見上げますと、驚いたことに不夜城みてえに明かりが煌煌とついてるじゃありませんか。正門には櫓みてえなものが聳(そそ)り立っていて、銃を構えた迷彩服が目を光らせてる。まるで犯罪者の奪還を恐れるどこぞの刑務所みてえだ。何だよこれは、とビックリしっぱなしでしたよ」
 話が熱を帯びるとともに、べらんめえ調が混じってきた。身振り手振りも増える。これが久保田の地なのだろう。
「通用門なんかにもまわってみたんですが、こちらも鉄壁な警戒態勢を敷いてやがる。試しにおーいと声をかけてみたらいきなり警報が鳴り出しましてね。耳障りな靴音が集まってくるし、這々の体で逃げましたよ」
「あれはお前だったのか」
 どうもお騒がせを、と神妙に頭を下げる。
「それで、これじゃ埒があかねえと作戦を変えましてね。記憶を頼りに直接、筵潟教授のお住まいを訪ねたんです。夜明けを待って呼び鈴を鳴らしたら、お懐かしや、奥様が応対に出てくださって。で事情を話し、どうしても教授にお会いしたいと頭を下げたら、ありがたいことに奥様、判ったと言って教授の携帯に電話で連絡してくださいました。その時に教授は『直接訪ねてきても構内には入れない。だからこうしよう』と作戦を伝授してくださり、それに従って、さっきご覧になったような一芝居を打ったと、ざっとこういうわけで」
「何がこういうわけでだ、ふざけやがって!」
 野宮はやにわに立ち上がると、執務机に近づき、テレビ電話に指を延ばした。
「お前のような不遜な侵入者は言語道断だ。迷彩服どもに引き渡してやるから覚悟しろ!」


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