Jamais Vu
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第11章
激震
(3)

 なおも規則がどうのと言い募る副長を無視して、野宮は自ら重たい門にその両手をかけた。
 副長は取り乱した口調で、おいレーザーを切れと守衛所の部下に叫んだ。部下は返事もそこそこに壁のレバーへと駆け寄る。
 大学の周囲には至るところにレーザー防御装置が設置されているが、防御と言いつつ、じつは熱線を発射する代物である。何も知らずに出入りしようものなら、鳥でも猫でも黒焦げになってあの世行きだ。
 いま野宮はVIPと称すべき人材である。迷彩服たちが慌てふためくのも無理はなかった。野宮はそれを知っていて強引に門を開いたのだ。
(目の前で熊が蜂の巣になるのは見たくないからな)
 開いた門の向こうで、熊男は満面の笑みを浮かべて立っていた。野宮は入ってこいと首で促した。
「待て」顔を潰された副長が野宮に迫る。「コイツが口にしたことは本当ですか?」
「あん? 何だっけ」
「教授が倒れたとか」
 野宮は面倒くさそうに熊男を振り返ると、顔を前に戻し、
「知らん。昨夜、最後に会った時はお元気だった」
「や、やはり」副長はなすびのような顔を紅潮させると、熊男の腕をがしっと掴んだ。「この野郎、でまかせで言い逃れられると──」
 その時である。エネ研のエントランスから、おかっぱ頭の女性が飛び出してきた。彼女は通用門に野宮を発見すると、血相を変えてスロープを駆け下りて来た。
「野宮先生! 筵潟先生が大変ですー!」
 野宮も副長も、ぎょっとなった。
「大変って、どういうことだ?」
「お部屋で倒れたと連絡が──」
 野宮はすでに駆け出していた。が、背後の問題を思い出し、
「おい熊男、付いてこい。それから副長、あんたも来てくれ」
 熊男は放せとばかり副長の手を振りほどくと、野宮に従って大股で走り出した。副長も勝手にさせるかと、ふたりの後を追う。
 熊男はすぐ野宮に追いついた。でっぷりと肉の付いた野宮の駆け足は至ってノロい。
「おいクマ! お前どうして教授の具合が悪いのを知った?」
「今朝方、教授を訪ねてご自宅に寄ったんですよ。そしたら奥さんしかおられませんでした。するとそこに教授自身の電話がありましてね。苦しい、苦しいって」
 もっともらしい話だが、野宮にはにわかに信じられない。
「教授はゲストハウスのほうですね?」と熊男。
「コラ、俺より先に行くな。だいたい久保田なんて名前、卒業生名簿に載っとらんぞ!」
「俺は中途退学なんですって!」

 筵潟教授は、床の上に仰向けに倒れていた。久保田の言葉は嘘ではなかった。
「先生、しっかり!」
 野宮は久保田の手を借りて、教授をベッドの上に寝かせた。怪我の有無を一番先に確かめたが、どうやらそれはないようだ。
「先生!」「先生!」
 ふたりの呼ぶ声に筵潟教授はうっすらと目を開けた。その細い手が宙に伸びる。
 還暦を迎えたばかりの教授は、もう一回り上に見えるほど、外見は年寄り然としている。百六十センチに満たない身体は松の古木を連想させ、少なくなった白髪や白い髭、皺だらけの顔の細い目などの印象も手伝い、どこか木彫りの仏像を連想させた。
「お前は確か……」教授の手が伸びた先に、自称退学生の顔があった。「久……久保田だったな?」
「覚えていてくださいましたか!」
 久保田は泣きそうな声で答えながら、その細い腕をしっかと掴んだ。
 その巨体を押しのけて、野宮が教授の顔を覗き込む。
「先生、お加減は?」
「ん〜、大丈夫大丈夫」教授は細い目をさらに細くして微笑んだ。「ただの貧血だ。あわてて家内に電話してもうたが、大したことはない」
 ホッと野宮は安堵の息をついた。筵潟教授はこう見えても日本の宇宙物理学界の重鎮であり、進行中のプロジェクトのリーダーである。病に伏せられては一大事だ。
「そんなことより、そのむさ苦しい顔をどけい」
 野宮は肩をすくめると、背後から覗き込んでいた副長に、もう大丈夫だと告げた。副長は職務を果たしたという顔付きで出て行った。
 部屋の入口が閉まると、筵潟教授はベッドの上にガバッと起き上がった。さらに野宮が唖然としたことには、声高らかに笑い出したではないか。
「先生?」
「愉快、愉快」教授は膝を叩きながら「野宮よ、すべてはこの久保田を構内に引き入れるための策略だ。悪く思うなよ」
「策略ですって?」
 教授は再びベッドに横たわり、枕に頭を落とした。
「詳しいことはそいつから聞け。私はもう一眠りする。すぐにトコトコ歩いて行っては、仮病だったとバレてしまうからな。かっかっかっ」
 教授は黄門様のような笑い声を上げた。
「……外に聞こえますよ」
 野宮がむくれた声でたしなめた。


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