Jamais Vu
-144-

第十章
託されたもの
(13)

 旧友・岩村の話を聞きながら、久保田はどこかもどかしさを拭えなかった。
 岩村という男。口を開けば饒舌なくせに、大事なことはなかなか言わない。十五年を経てもその習性は変わらないようだ。
 伊里江真佐吉が発明した無尽蔵のエネルギーを生み出す人工ブラックホール。常に資源問題に揺れるこの星に住む我々にとって、それは神のプレゼントだったはずだ。
 しかし伊里江真佐吉は、世界のパワーバランスを乱す者として命を狙われる羽目になり、研究成果を持って、弟とともに失踪した。文字どおり失踪だ。
 しかし既存のエネルギーにしがみつく連中が、それぐらいであきらめるとは到底思えない。その後も伊里江兄弟に対する追跡が執拗を極めたろうことは想像に難くない。
 七年後、彼は自分たちの人生を狂わせた連中への復讐に立ち上がる。自らの研究成果を、北海道をいとも簡単に消してしまうことで誇示し、それでも要求を受け入れない政府に対して、ついには押してはならないボタンを押してしまった。その結果、鏡像世界なんてのが即席にできあがり、十二人のリアルとかいう自爆装置付きの人間がそこに送り込まれた、という。
 ここまでの話を、そのまま受け入れることは、さすがに久保田にもできなかった。
 この世界は、じつはオリジナルを裏返しにコピーされたまがい物……。
 受け入れるにはあまりにも荒唐無稽に過ぎる。
 たしかに、あらゆるものが裏返しになってしまえば、その世界の住民自身、おのれが裏返ったことに気づく手がかりは皆無といえるだろう──。
 岩村たちは、いわば暗殺部隊であり、十二人のリアルを始末するためだけに集められた。伊里江真佐吉の狂った暴走をくい止めるにはリアルをすべて抹殺するしかないという。
(待て。イワは“しかない”とは言わなかった)
 岩村は現状を打破する方策を訊ねられた時、「ある」ではなく「なくもない」と、もったいぶった答え方をした。
 しかも一瞬の言い淀みを久保田は見逃さなかった。
(コイツ、奥歯に何をはさんでやがるんだ!)
 早くここから退散すべきだと頭では判っている。しかし、腑に落ちない話を聞かされっぱなしで旧友に別れを告げるのは、どうにも抵抗があった。
(ひょっとすると、俺に伝えたいことでもあるんじゃないのか?)
 いっそこちらから誘いをかけてみよう。そう思って口を開こうとした時だった。
「ただいま──」
 突然、玄関の扉が開き、女の声が聞こえてきたのだった。
(クソッ、仲間のお帰りか!)
 岩村が腰を浮かせる気配を見せたので、久保田も廊下に目を転じた。
(げっ、萠黄さん!?)
 なんたること、萠黄と女とが鉢合わせしている!
 女は両手から荷物を離し、いきなり小型銃を抜き放つと、萠黄に向かって問答無用で発射した。
 こもった銃声が久保田の耳を打った。撃たれた萠黄は反動を受けて自室に倒れ込み、久保田の視界から消えた。
 岩村が弾かれたようにソファを蹴ったが、久保田の動きのほうが速かった。彼は廊下に飛び出すと、岩村より先に玄関へと突進した。

 銃の照準から目を離したサキは、足音を立てて迫りくる男に、一瞬ひるんだ色を見えた。
 光の加減か、彼女には男がサイか象のようにも映った。
 日頃に似合わぬことだが、サキは恐怖のあまり、無我夢中で銃を向けていた。直前に見た萠黄の不可解な挙動が、彼女から冷静さを奪っていることに気づく余裕もなかった。

「うわっ、やめれ」
 銃口の暗い穴を突きつけられて、久保田の足がもつれた。
 パンッ、パンッ、パンッ。
 銃声は三度鳴り、一発が久保田の耳たぶに当たった。痛みが走り、体勢が崩れる。
「がはっ」
 久保田の背中越しに岩村の咳き込むような声が聞こえた。
(イワにも当たったのか!?)
 だがそれを確かめる間もなく、久保田は肩から廊下の右に開いていた和室へと倒れていった。

 サキは動転していた。両目は焦点を失ったように壁際を徘徊した。
 ちょっと不在にしているあいだに、光嶋家は見知らぬ人間たちに占拠されていた? 岩村はどうした?
 疑問が渦を巻いてサキを飲み込もうとする。だが彼女の身体は課せられた使命を果たすべく、無意識のうちに動いていた。
 リアルを殺す──。
 サキは萠黄の部屋の入口に仁王立ちした。部屋のなか、カーペットの上で萠黄はバッグを放り出したまま倒れている。
(とどめを刺すぞ!)
 サキは再び銃を構え──撃った。



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